aporonと共に・・・
(aporon)飯田絢香〜メジャーデビューの足跡と奇跡を綴ります。
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2008/04/10(木) 分かるでしょうか
では、質問しましょう。


@一般的に発掘とはどういうことを言うのでしょうか?

Aあなたはいつどこで絢香を知ったのですか?
 
Bどのようなきっかけで絢香を知ったのですか?

Cあなたが生まれて初めて絢香の声(歌)を聞いたのはどこですか?

D絢香はどのようにしてヴォイスを知ったのですか?


N氏は以上の質問に対し私にどう答えるであろうか?


しかし、そんなことはどうでもいい!
多分答えはしないだろう、いや答えることは出来ないと思う。

私にとってそんなことは大切なことではないからだ。


私のこの4年間ずっと悩み苦しんできたこと、傷をおっていること、
その答えを今ハッキリ言おう!

それは、『私と絢香との引き裂かれ方に大きな問題があった!』
と、言うことだ。
それにより一人の人間がどれほどに傷ついたか貴方には理解できるでしょうか?


私は貴方から絢香を奪おうなどと考えたこともない、そして名声や金銭も全く眼中にはない!
ただただ絢香を心から応援し続けたい”のみ”である。

このシコリがある限り心から応援するのが辛くなる時があるのだ。
分かるでしょうか?

逆に私は貴方に全てを託し、『どうか宜しくお願いします』と頭を垂れるほど思い願っている。

もっと言うならば、
私は貴方と共にずっと永遠の音楽の友でいたかった。
同じ音楽を愛する仲間として、そして人生を語り合える友として、私は貴方と歩んでいたかった。

なぜ貴方には私の気持ち、心がわからないのだろう。

約8年前にサイトを通じて貴方と出会い、いいことも悪いことも語り合ってきた、そして『いつの日か必ず会って音楽を語り合いましょう』と願ってきた日々を貴方は忘れたのでしょうか?

私は貴方に憎まれたり裏切る行為は一切しなかったつもりである。
貴方は当時デュオを組んでいた『Eちゃん』のことももう忘れたのでしょうか?
そしてBネロのCDに私のネームまで刻んでくれたことを忘れたのでしょうか?
お互い苦しい思いの中、音楽を語り合った日々を忘れてしまったのでしょうか?

私は貴方と触れ合ってきた思い出は忘れたことはない。
永遠の音楽の友として、人生の偉大なる、誇れる友人として今も・・・

だから私は貴方に彼女を託したのです。

あなたは覚えているでしょう
私と絢香が福岡(ヴォイス)へ行く前日のことを。

あの日(ヴォイスへ行く前日)絢香は彼女のお母さんと私と3人で大阪M市にある百貨店のレストランにいました。

そこで私達はどのような会話をしていたのか貴方は覚えているでしょうか?

そう、初めて”絢香と貴方”が私の携帯電話で言葉を交わした日です。
『体調(喉の調子)が悪いから明日は福岡へ行きたくないです』という絢香を説得し、『声が出なくてもいいじゃないか、何かを得に行こう!』と私は絢香を説得し再度貴方に福岡行きを伝えた時です。

私は今でも目の前にいた絢香と絢香のお母さんの顔は忘れられません。
そして私がその時に彼女達に言った言葉があります。
『あやっぺ、絶対にビッグになるんだよ、そしてもし素晴らしいアーティストに成長したら(メジャーデビューできたら)君が歌うステージにお母さんとNさん、そして僕を一番良い席に招待してね、その時はきっと感動の涙を流すよ』と。

私の夢はこれに尽きていたのです。
3人して絢香のステージを涙流しながら観る、感動の歌を聞きながら、これだけが私の願いだったのです。

後は何も言うまい、言うこともない。
そしてそんな思いが叶ったとき、
たとえ貴方が『発掘』という言葉を語ったとしても絢香が貴方の曲を歌ったとしても、私は全てを『無の境地』で見守っていたと思います。
それは絢香だけではなしに、貴方をも含めて。

そしていつもいつまでも音楽、いや人生の友として語り合っていけたと思っている。

言いたいこと、分かってもらいたいことは言い尽くせないほどあります。
しかし私が一番心に引っかかっていることは・・・
『断絶させられた貴方のやりかた(方法)』なのです!

前にも言いましたが。私は音楽のプロではありません。
しかし私は『人を裏切る音楽、苦しめる音楽』だけは決してしません。

貴方は素晴らしい音楽家です、それは私にも十分理解しています。
以前貴方から送られてきた貴方のお弟子さんのCDは今も私のコレクションとしてCDケースに飾ってあります。
あなたが関わってこられた数々の音楽と作品、そしてお弟子さん(生徒さん)への気持ち・・・そんな素晴らしい人間の貴方を私は見失いたくないのです。

どうかこの日記(文面を)ご覧になっていましたら(連絡などいりません)これからの絢香をどうか宜しくお願い致します。
言葉などではなしに『絢香の歌の中で』私に訴えてください。
そして人を感動させる絢香に成長させてください。
どうかどうか宜しくお願い致します。


※しばらくの間この日記は休止します

2008/04/08(火) 変わらぬ気持ち
とある『掲示板サイト』に2008年4月6日「4年経って・・・音生より」の文面がコピーされ貼り付けられていた。
それはあたかも私たちが書き込んだかのように・・・
気が滅入る。

私を含め、私たちはいつも絢香のことを気にとめ、心から応援をしている、このことだけは事実であり本当の気持ちである。

時々であるが、私達は絢香のことを会話している。
周りからも彼女のことを聞かれる時がある。

勿論、必要以上に語ることはないが、
只言えることは今も私達の気持ちは変わっていないと言う事だけである。

なぜ、今になって音生がここで以下のような文章を書き綴ったのか・・・
私には音生の気持ちが痛いほど理解出来る。

彼女が私のパートナーとして約5年、彼女は私の横で私の行動を見てきた。

私がなす音楽の世界もその一つ、彼女の協力、理解がなければ決して今の私はなかっただろう。
それほど彼女の存在は私にとり「大」な訳である。

先日”2008’4’5”私はバンドでLIVEを行った。
私が企画したものである。
メールを通じて出会った方が身内の方、知人友人数人を連れてLIVEを観にきてくれた。
そして彼らは絢香のファンであった。

私はこの日、「絢香のデビューのきっかけとなった」自主制作音源(2004年4月制作)をLIVEハウスで流してもらった。
『message』のフルバージョンである。

初めて聞く人が(この音源を)ほとんどであったが、皆感動していた様子を私はみた。

2004年の丁度今頃・・・私は絢香率いるデュオ「aporon」をなんとかして大きなアーティストに導きたい思いで必死にRECプロデュースを行っていた。

当時絢香(aporon)には3曲のオリジナル曲があった。
その3曲の全ての作詞作曲は絢香である。

「message」「会いたい夜」「愛を込めて」
・・・messageも含め後の2曲も”絢香らしい”とても素敵な曲であった、言い換えるのなら『当時の彼女の純粋さ』が伝わる曲だ。

私はこの3曲を必ずレコーディングしたいと言う気持ちに燃えていた、そしてそれを成した時に必ずや絢香(aporon)は本物のアーティストに成長してくれる、いや、すると確信していたのだ。

残念ながらmessage収録のあと、「会いたい夜」収録の途中で彼女(絢香)は私から去っていった。
そう、彼女を福岡(ヴォイス)へ連れて行った半月後のことだった。

私には色んな思いがある、それは今もこれからも消えることはないだろう。
私は音楽の『プロ』ではない。
しかし人に感動を与えなければならないこと、その相手が大きく成長するであろうと見出し導くことは誰にも負けたくはないと思っている。

そして私にとり『絢香(aporon)』もそうであった。

そしてなぜ今、音生がここで日記を書いたのか、
・・・彼女もまた絢香を応援し愛している一人に他ならないからである。

何年かぶりに彼女の耳に入ってきたmessage・・・
きっと色んな思いが込み上げてきたのに違いない。

CD制作当時、『一人でも多くの人に知ってもらおう、一人でもたくさんの人に絢香(aporon)の曲を聴いてもらうんだ・・・』私達はそんな気持ちで彼女の歌を届けたい一心でした。
たった1曲しか入ってない歌だけど、REC音源の中には色んな思いが込められていました。

マスターテープから1曲1曲をCDに焼き、ジャケットも1枚1枚カッターナイフで切り・・・曲は生まれてきたのです。

私達はこの4年間で色々と批評も頂きましたが逆にあらゆる批判もされてきました。
時には『脅迫めいたこと』までされたことがあります。
しかし私達は決して人に恨まれたり、憎まれたりされるようなことだけはしていない、と言うことだけは断言できます。

『aporonと共に』は私の思いであり真実です。
決して嘘や偽りは書き述べてはいません。

いつかaporonを成長させたい・・・絢香に大きくなってもらいたい、その一心のみです。

そしてそれは音生も同じ気持ちなのです。

以前、N氏は私に言いました、『絢香ちゃんは素晴らしいシンガーソングライターとして育てていきたい』と、『そのために作曲の勉強をさせます』と・・・。
私はその言葉を聞いた時とても嬉しかった。

そして彼から(福岡)送られてくる音楽メニューを絢香に渡し続けました。(大阪でのスタジオレッスン日)

「シンガーソングライター絢香」としての旅立ちを私も見守っていたのです。

絢香は自分の歌を精一杯歌い訴えることが出来るシンガーです。
そして感動を与えられるシンガーなのです。

ただ4年経ったいまもそれが叶うことなく彼の曲を歌い続けています。
私の思いは『本当の(本物の)絢香』を見ることを願っているのです。

それまでは『aporonと共に』は消え去ることはないのです。


そして私達はいつもいつまでも絢香を心から応援し続けているのです。

2008/04/06(日) 4年経って・・・  音生より
昨日のKinPouGeライブで、合間に”message”が流れました。
早いものでaporonとの出会い、そしてレコーディングから4年が過ぎたわけです。
夢をかなえ見事メジャーデビューを果たした絢香。
毎日がんばっているんだろうなと思います。

まえちゃんと絢香に関していろいろ取りざたされることもあります。
絢香自身の中にも彼に対する誤解があるかもしれません。

一つ言いたいのは、彼は絢香にいつもせいいっぱいのエールを送っているということです。
それは守口のミスドで話をしたあの日から何一つ変わってはいません。
ただ間に入った人に問題があって、このような結果になってしまったのだと思います。

早い時期からMP3で音楽を流していたまえちゃんのところに、塾生のCDを次々と送ってきたNさん。
当時MP3の3分の2がヴォイス関係の曲で、彼は何年もの間サーバーに使用料を払いながら塾生の曲を流し応援し続けました。

”MISIAを育てたえらい先生”という触れ込みでしたが……本当に本当だったんでしょうか?
まえちゃんは信じていたようです。
なぜなら当時のバンドメンバーにも、絢香にもそう伝えていましたから。
そしてそれがNさんの信任状になったわけです。

4年前の今頃ひどく落ち込んでいたNさん。
メールを受けた私たちは不思議に思いました。
なぜってその時塾生が2組もデビューすることになっていたのですから。
一番いい時なのになぜ?空の巣症候群かもしれないって心配しました。

でも後になってそのわけを彼自身がまえちゃんに話したそうです。
それはデビューするYが「自分の歌を歌いたい」と言ってNさんの楽曲提供を拒否したから。
なぜ?それで当然ではないですか。
むしろ指導者として喜ぶべきことではないのでしょうか。

でも、今にして思えばすべてはここに始まったわけですね。
まえちゃんの方はひたすらNさんに同情するばかりでした。

私は話を聞いてすぐに金勘定だと思いました。
作曲の印税は3%。それが入るか入らないかで大きな違いがあります。
今絢香が歌っているのはNさんの曲ばかり。
それも契約条件の中に入っているのでしょうか?

リスナーとしてはもっといろいろな人から楽曲提供を受けてほしいと思います。
様々な才能の生み出す作品を絢香に歌わせてみたら……その方が楽しいじゃないですか。

絢香を福岡に連れて行った時、まえちゃんを待たせてNさんと絢香だけで一室に入ったそうです。
それはかなり長い時間で、まえちゃんは塾生の歌を聞いてほしいと言われ、次から次へと聞かされたとのことでした。
その時中でどのような話があったのか…… ある程度想像できます。

福岡行きが絢香にとって初めての新幹線乗車だったようです。
「歌手になりたい」という思いは彼女と家族の厳しい現実を背負っていたはずです。
まえちゃんと私はそのことを十分理解しているつもりです。

絢香が彼のことを「恐い」と言っているとNさんから聞きました。
「だからもう近づくな。一切連絡を取るな。」と命令されました。
もしかしたら「Mといたらメジャーになんかなれない。悪い癖がついたり潰されてしまう。」的なことを言われたのかもしれません。
結果それを信じた16歳の少女を責めるつもりはありません。

でも本当に「恐い」と思う人と二人きりで新幹線になど乗るでしょうか?

理解できないのはNさんの豹変ぶりです。
まえちゃんは最初からNさんに託すつもりだったわけで、他のオファーも断り、長い付き合いのNさんの元に連れて行ったのです。
当時絢香は高2になったばかりで、お母さんと妹さんとの3人暮らし。
すぐに福岡に移れるとは思いませんでした。
だから大阪にいる間自分が見ていこうと考えたわけです。
実際Nさんから言われたメニューで彼女の指導をしていたのですから……

それが突然じゃまだと言われ、ホームページからaporonに関する一切を削除するように指示されました。
(ついでにヴォイスの塾生のMP3も止めろと言われましたが、別にこっちが頼んでやってるわけでもないのにと笑止千万でした。)
またaporonのサイトからもまえちゃんに関する内容がすべて消されていきました。
管理人のSちゃんは何と言われてその作業をしたのでしょう。
Nさんは(もしくは指示を受けた絢香は)いったいどういう説明をしたのでしょう。
                      
他にもいろいろなことがありましたが、背後に、ある意志を持って関与する人間を感じました。

ヴォイスのスタッフから長文のメールが送られたこともあります。
デビューが本決まりになって後顧の憂いをなくしたいという意図でしょう。
「Nも絢香もMさんには本当に感謝しています。」
とありましたが、ではなぜ本人が直接言ってこないのですか。
たった一行のメールでも、そこに心があれば十分ではないですか。

解せません。
Nさんの性格云々という言い訳がありましたが、そういう問題ではないと思います。
要するにNさん本人には「すまないことをした」とか「ありがとう」等々の気持ちはないということです。
一人の人間の心がどれほど傷を受けたか、想像できないほど感受性が鈍いのですか。


今願うのはNさんがいつか約束したように、絢香をしっかり育ててほしいということだけです。
真の師たる者、決して自分の利得に基づいて動くべきではありません。
彼女にとってマイナスだと思ったら潔く身を引いてください。


私たちはこれからも絢香を見守っていきたいと思っています。
絢香自身の”message”を忘れないで。
 


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