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2008/04/08(火)
変わらぬ気持ち
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とある『掲示板サイト』に2008年4月6日「4年経って・・・音生より」の文面がコピーされ貼り付けられていた。 それはあたかも私たちが書き込んだかのように・・・ 気が滅入る。
私を含め、私たちはいつも絢香のことを気にとめ、心から応援をしている、このことだけは事実であり本当の気持ちである。
時々であるが、私達は絢香のことを会話している。 周りからも彼女のことを聞かれる時がある。
勿論、必要以上に語ることはないが、 只言えることは今も私達の気持ちは変わっていないと言う事だけである。
なぜ、今になって音生がここで以下のような文章を書き綴ったのか・・・ 私には音生の気持ちが痛いほど理解出来る。
彼女が私のパートナーとして約5年、彼女は私の横で私の行動を見てきた。
私がなす音楽の世界もその一つ、彼女の協力、理解がなければ決して今の私はなかっただろう。 それほど彼女の存在は私にとり「大」な訳である。
先日”2008’4’5”私はバンドでLIVEを行った。 私が企画したものである。 メールを通じて出会った方が身内の方、知人友人数人を連れてLIVEを観にきてくれた。 そして彼らは絢香のファンであった。
私はこの日、「絢香のデビューのきっかけとなった」自主制作音源(2004年4月制作)をLIVEハウスで流してもらった。 『message』のフルバージョンである。
初めて聞く人が(この音源を)ほとんどであったが、皆感動していた様子を私はみた。
2004年の丁度今頃・・・私は絢香率いるデュオ「aporon」をなんとかして大きなアーティストに導きたい思いで必死にRECプロデュースを行っていた。
当時絢香(aporon)には3曲のオリジナル曲があった。 その3曲の全ての作詞作曲は絢香である。
「message」「会いたい夜」「愛を込めて」 ・・・messageも含め後の2曲も”絢香らしい”とても素敵な曲であった、言い換えるのなら『当時の彼女の純粋さ』が伝わる曲だ。
私はこの3曲を必ずレコーディングしたいと言う気持ちに燃えていた、そしてそれを成した時に必ずや絢香(aporon)は本物のアーティストに成長してくれる、いや、すると確信していたのだ。
残念ながらmessage収録のあと、「会いたい夜」収録の途中で彼女(絢香)は私から去っていった。 そう、彼女を福岡(ヴォイス)へ連れて行った半月後のことだった。
私には色んな思いがある、それは今もこれからも消えることはないだろう。 私は音楽の『プロ』ではない。 しかし人に感動を与えなければならないこと、その相手が大きく成長するであろうと見出し導くことは誰にも負けたくはないと思っている。
そして私にとり『絢香(aporon)』もそうであった。
そしてなぜ今、音生がここで日記を書いたのか、 ・・・彼女もまた絢香を応援し愛している一人に他ならないからである。
何年かぶりに彼女の耳に入ってきたmessage・・・ きっと色んな思いが込み上げてきたのに違いない。
CD制作当時、『一人でも多くの人に知ってもらおう、一人でもたくさんの人に絢香(aporon)の曲を聴いてもらうんだ・・・』私達はそんな気持ちで彼女の歌を届けたい一心でした。 たった1曲しか入ってない歌だけど、REC音源の中には色んな思いが込められていました。
マスターテープから1曲1曲をCDに焼き、ジャケットも1枚1枚カッターナイフで切り・・・曲は生まれてきたのです。
私達はこの4年間で色々と批評も頂きましたが逆にあらゆる批判もされてきました。 時には『脅迫めいたこと』までされたことがあります。 しかし私達は決して人に恨まれたり、憎まれたりされるようなことだけはしていない、と言うことだけは断言できます。
『aporonと共に』は私の思いであり真実です。 決して嘘や偽りは書き述べてはいません。
いつかaporonを成長させたい・・・絢香に大きくなってもらいたい、その一心のみです。
そしてそれは音生も同じ気持ちなのです。
以前、N氏は私に言いました、『絢香ちゃんは素晴らしいシンガーソングライターとして育てていきたい』と、『そのために作曲の勉強をさせます』と・・・。 私はその言葉を聞いた時とても嬉しかった。
そして彼から(福岡)送られてくる音楽メニューを絢香に渡し続けました。(大阪でのスタジオレッスン日)
「シンガーソングライター絢香」としての旅立ちを私も見守っていたのです。
絢香は自分の歌を精一杯歌い訴えることが出来るシンガーです。 そして感動を与えられるシンガーなのです。
ただ4年経ったいまもそれが叶うことなく彼の曲を歌い続けています。 私の思いは『本当の(本物の)絢香』を見ることを願っているのです。
それまでは『aporonと共に』は消え去ることはないのです。
そして私達はいつもいつまでも絢香を心から応援し続けているのです。
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