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2004/11/10(水)
みんなを泣かせてやる
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平成13年組として全日本女子プロレス入団。 後楽園ホールでのデビュー戦二週間前に練習中怪我で入院、ドクターストップで退団。急性硬膜下血腫。
四期生としてKAIENTAI入団 鼻血がとまらなくなり、受身禁止令の後、レフェリー、売店員への転身を進められ退団。
首が弱いみたいですね。今はがっちり鍛えてますけど 二つの団体に入り、練習生でやめてるっていうのは、すごいダークな見方しかみてもらえないんですよ 実際に表向きは「怪我により退団」っていっても、 いじめだったり、きつくて逃げたり、様々な事情なんです。 私は全女にいた半年間、きついけどホントに努力が楽しくて、 まだやりたいって泣きながら辞めました。 カイエンタイではスクワット千回も腕立て二百回もやりました。 男をのせてブリッジして、それでも受身の許可がおりず、やっぱり泣きながら辞めました。
受身をとらない格闘技ならできるんじゃないか、憧れてたリングにあがれるんじゃないかってカイエンタイの頃に数回あがっていたスマックの方に連絡をとりました。
そこでいったのは、プロレスをやってきたことに、後ろめたいことも世間に顔向けできないことも何一つない、だからこそ違うキャラでいきたい。 経歴は面白くて目を向けられるかもしれないけど、もともと明るい人間だし、スマックのリングで過去をかんぐられるのは嫌だと。 総合経験はほぼゼロで、技術をみせることができないから、せめて覚えてもらえるようにっていう意味もあってのマスクでもありました。 今思えば何をそんなにむきになってんだって感じですね。 結果的に一過性のものでなく、こうしていろんな人から応援してもらえて、イチゴ万歳かな
全女退団の時のことを今でも思い出します。 先輩方に一人一人挨拶に行くんですけど、声だすと涙がでるんですよ。だからトイレでいっぱい泣いて、深呼吸して、挨拶にいくけど やっぱり声がでない。とぎれとぎれの挨拶に一緒に泣いてくれた先輩もいました。 伊藤薫さんが手紙をくださって今でも大事にしています。 「全女で耐えられたんだから、どこにいってもがんばれるよ」という内容でした。
昔話もたまにはいいかなぁ 面白ネタも山ほどあるしぃ ま、今日はこうやってイチゴができましたよって話です。 「イチゴちゃんがんばってたんだ。応援しなきゃ。じーん・・・」ときたあなた!策略にはまってます(*´∀`*)ニヤリ
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