新型・日記
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2005/11/19(土) 人生いろいろ、年賀状もいろいろ。
 年賀状の販売が始まって、どうやらウチも購入したらしい。最近のトレンドがどんなモンかはちっともわからないけど、パソコンに高画質プリンターが普及したモンだから、版画よろしくペタペタ作るプリントゴッコ率は急激に低迷してるんでしょ、たぶん。懐かしいなぁ、アレ。あの焦げたニオイ・・・。



 年賀状なんて、凝る人はデザインから配色からフォントからコメントまで、究極に凝る。そうじゃない人は、イラスト付きのものを買ってきたり、白い面に手書きでさらっと書いて終わりにする。どちらかと言えば、ウチなんか凝っていた方なんだけど、毎年それで妙に時間がつぶれるんだよね。

 でね、よく考えたら、「めちゃくちゃ凝っている度=もらってうれしい度」じゃないことに気づくワケよ。むしろ、「コメントいっぱい書いてある度=もらってうれしい度」っていうほうが合っているような気がする。

 だいたい年賀状なんて、イラストはちらっとだけ見て、コメントはきちんと最後まで読むことの方が多い。だからコメントがたくさん書いてある方が印象に残るし、もらってうれしい。


 でも、それでも年賀状のデザインに凝るっていうことはつまり、普段は滅多にしない創作活動を年末にすることで、大いなる自己満足を得るっつーことなんじゃないのかな、と思ったりする。「ウンウン、今年の年賀状はよくできた。」ってね。そんなんで毎年終わっているような気がするんだよね。

 そりゃぁね、毎年趣向を凝らして芸術家も真っ青の年賀状を送ってくる人もいるけど、鏡割りをする頃なんかにはもうすでに忘れてるってもの。原稿が手元に無ければ自分でも忘れちゃうくらいだもんね。

 いや、別にコレがいいとか、コレが悪いとか、そんなのは一切ない。だから、年賀状というものがいまだに生きているんだと思うし、もらってうれしいんだと思う。


















年賀状、出す相手もくれる相手もいない俺が言っても説得力ゼロですけど、何か?


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