新型・日記
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2005/05/04(水) むしろ、「今後」が大切。
 NHKのBSのニュースが好きだ。余計な情報は入れず、事実だけを簡潔に報道する。アレが報道の本来の姿だと思う。必要な情報は「いつ」、「どこで」、「何が」起こったかということであって、それ以上でもそれ以下でも意味はない。必要にして十分の情報である。
 情報が不足している報道はまた別として、余計な情報が入っている報道が非常に多く感じる。最も必要のない情報は、感情的な情報だ。ニュースを聞いている最中に「なんと」とか、「悲痛な」とか、「信じられない」とか、そういう形容詞が入っているととたんにガッカリする。また、実際は「接触」程度の事故が起きたとしても、それを「衝突」、もしくは「激突」などという表現に置き換えている報道がある。それはもはや「事実」ではなく、「虚構」である。
 感情で構成された報道番組はもはや報道ではない。報道は客観的に事実のみを伝えるべきものであると思う。制作者の感情、加害者の感情、被害者の感情、そういうものを知らせたかったら、報道というフィールドではなく、ドキュメンタリーというフィールドで表すべきはないのだろうか。
 また、どこの馬の骨ともわからないジャーナリストが、さも現場に居合わせたかのように解説をするのもいいとは思えない。マスコミの勝手な推測による情報だけで原因を分析したり、当事者の感情を推察し、それが事実であるかのような解説をする。あまりにも不安定な「事実」が作り上げられる。それがテレビや新聞で公開される。世の中の人々はそれを事実だと思いこむ。結局、報道番組や新聞報道が「嘘」を伝える結果となる。そんなことが毎日のように繰り返される。結局、事実を知っているのは当事者のみとなり、その情報は永遠に広まらない。報道の存在価値自体が疑われる結果となってしまう。
 さらに、報道を見て、それが「良い」ことなのか、「悪い」ことなのかを判断するのは見ている人自身である。報道する側の考えなどは広めるべきではない。例えば日本航空の一連の不祥事。どのような不祥事があったこと自体は伝えるべきであるが、乗客やコメンテーターの気持ちなどは伝えるべきではない。「怖いですね」、とか、「けしからん」とか、そんなことは見ているこちら側が判断するべき事であり、押しつけられるものではない。
 起こってしまったことは仕方がないのだから、大切なのはむしろ、「これからどうすべきか」ということではないだろうか。同じ事件・事故を起こさないために、今後どうするべきかを考えさせるような内容の報道が必要であるように感じる。起こってしまった事件・事故に対していつまでも執着したり、加害者をいつまでも攻撃するのではなく、同じことを繰り返さないために取った対策が果たして有効なものであるかどうかを検証するような報道をしてほしいと思う。ジャーナリストもむしろ、その対策についての意見をあくまでも客観的に述べるべきである。
 大きな事件・事故が起こるたびに感情的な報道が錯綜する。オウムの一連の事件、阪神大震災、最近ではJR西日本の事故など、もはや客観的な事実のみの報道ではなく、加害者・被害者・マスコミの感情が中心となった報道ばかりが目立つ。今後の対策など、それらの感情の波にかき消されてしまっている。例えばJR西日本が今後多くの安全対策を行い、他社路線と比較して格段に安全になったとしても、それが報道によって周知されない限り、世間の人々はいつまでも「JRは危険だ」と思い続けてしまうだろ。そうなれば結果的に「嘘」を報道したことになってしまう。これでは報道の存在意義がない。なんとか軌道を修正して欲しいものだ。


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