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2004/08/25(水)
33話より『後悔』
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『 後悔 』
「あの日、試衛館の門を叩いたことを、少しも後悔してはいませんよ」
悔いは無い、と言い切る相手の顔は、言葉どおりの涼やかなものだった。
一度微笑み返したら、また共に歩いていけるのだろうか。
そう錯覚させられるほど、目の前の相手の空気は穏やかだった。
もし、ここで一言、止めにしようと口に出したらどうなるのだろう。
かけがえのない同志に法度の刃は向けられないと。
これまでの事は水に流して、もう一度向き合おうと。
そう、告げることが出来たなら。
水のように静謐な瞳の中に、自らの死への覚悟と、そして一瞬の後悔が過ぎる。
いや、後悔を映しているのは、きっと自分の瞳だろう。
夢を現実にする道筋を目の前に示してくれたその人の、命の綱を今、断ち切ろうとしている。
京に着いたあの日はあれほど明るく見えた空が、今は色を失っていた。
何故、覚悟を決める前に本心を打ち明けてくれなかったのだと。
何故、彼の深い心の痛みに気付けなかったのだと。
こういう形で断ち切られる絆なら、築かなければ良かったとさえ。
独り閉じた瞼の裏に浮かび、心の内に漂うのは、取り留めの無い後悔の数々。
「あなたを犠牲にしてまで、この組を守りたくはない」
そう、今でも自由に言えたのならどれだけ救われたか。
既に多大な犠牲を払って積み上げてきた、この『夢』の形を。
守って欲しいと望んでいたのは、誰よりもあなたであった筈だから。
もう、逃げることは許されないのだ。
私も、そしてあなたも。
大切なひとを失った夜。
隣で泣き続ける幼馴染みの姿が、ひどく小さく見えた。
しゃくりあげながら、いつ途切れるとも知れぬ涙を流し続けるその顔は、拗ねたり冗談を言ったりしながら、それでもいつも俺の後を追いかけてきていた、幼い頃のトシだった。
気がつけばいつも自分より先を見ているその眼は、涙にかすんで何一つ映していない。
初めて、相手を守らなければと思った。
堪えきれぬ、どちらのものともわからない嗚咽が耳に鈍く響いている。
胸の内に広がるのは、どう足掻いた所で消しようの無い、暗い後悔。
ただ、もう二度と大切なものを見失うことのないように。
震える肩を支えながら、そう、小さく夜空に祈った。
(33話より)
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