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2005/06/07(火)
おじいちゃん。(普通の日記です)
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最初に書いておきますが、今日のは普通の日記です。 大河関連トークなどはないので、つまらないと思います(^^;) …って、いちいち書く必要も無いかな? もともとここ(『宇治川』)はただの私の日記なんだけどね。 ネットに繋いで文章を書くと、あれこれ自分の日記を書こうと思っても、それって結構ストレスなのか、自分のことって書きにくい。 でも、時々は書きたくなるんだよね。
今日は、祖父が老人介護施設、いわゆる老人ホームに入居する日でした。 実は1月7日に祖母が亡くなり、しばらくはサイトの更新どころじゃない時期があったんです。 父方の祖母は私が1歳の頃に亡くなっていたから、私にとっては、たった一人の大切なおばあちゃんだった。 病名・心筋梗塞、享年・81歳。 これまでそういう不幸が近しい人の間でなかった(遠い親戚ならあったけど)のは幸せなことだったのだと思う。 生まれて初めて、近しい大好きな人、たった数日前の元旦には元気に出迎えてくれた相手の死に直面して、本当にどうしようもないほど辛かった今年の始まりでした。
葬儀一切が終わると、今度は母が倒れてしばらく寝込んでしまって、もともと手術を何度も繰り返してきた、身体が弱く高齢の祖父を一人には出来ないと皆が交代で泊り込み。 2月にインフルエンザに罹ってしまって入院することになった祖父は、そのまま今日まで入院していました。 最近はすっかり体調も良くなって、ただ一人の家に戻ると不安だからという理由で病院に長くいさせてもらってたんだけど。 でも、いつまでも入院しているわけにもいかず、かといって母や伯母が引き取るのも簡単ではなく、だからといって一人暮らしはさせておけない、心配…。 しばらくの間、祖父のことで親戚が話し合うことばかりで、母も体調が万全でないままだし、頭の痛い日々でした。
50人待ちとも噂された老人ホームに、1名の空きが…という話が出たのは、つい先週のこと。 万博から帰ってきたときには既に話は決まっていて、驚いたんだよね。 昔から、おじいちゃんおばあちゃんが歳をとっても、老人ホームに入れるなんて話はうちでは有り得ないと思っていた。 あんなのは、薄情な家族がとる決断だと、勝手に思い込んでいて。
大好きなおじいちゃんは元気に退院して、一度住んでいた家に立ち寄ってからホームへ。 私と二人きりになったとき、ぽつりと言った「皆、迷惑だと思ってるかもしれないけど、生かしてもらった命だから長生きするよ」という言葉に、胸が痛かった。 小さい頃からずっと、可愛がってもらって、父が子供に厳しかった分の愛情も沢山受け取ってきた大好きなおじいちゃんを、住み慣れた家から離してたった一人で…と思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいで。
母もつらい決断だったのは、よくわかってる。 でも、古い考えの頑固な私の父と結婚したために自分の両親には何もしてあげられなかった、とよく言っていた母だったけど、祖母が亡くなってからは今までの何倍も弟妹と連絡取り合って、祖父のために色々なことを考えている。 強い肉親の絆。きっと、それこそが祖母が母に遺してくれたものに違いないと思う。
皆が祖父を思った末の決断。 だけど、これが本当に正解…?
ホームの個室に案内された祖父は、部屋も施設の雰囲気も第一印象は割と気に入ったみたいで、笑顔を沢山見せてくれて、安心した。 見晴らしもいい、静かで居心地のよさそうな個室。 ここが、祖父にとって、居心地のいい空間になればいい、と願う。
でも、おじいちゃんが今まで住んでいた家に立ち寄った時、小さい頃から今までずっと、正月や盆や、何かの折には親戚皆で集まって賑やかだったこの家に、またそうして皆が集まる事は、もうないんだな…と実感して、物凄く寂しかった。 もちろん、外出も外泊もOKみたいだから、また時々祖父も家に帰ったりはするだろう。 でも、無人の家をいつまでもそのままにしておくことが叶うだろうか? 祖父が飼っていた猫2匹の引き取り先も探さないといけない。(うちで飼いたいけど…3匹は難しい) 元旦に訪ねた時は、祖母も祖父もこの家にいたのに、もう二度と今までどおりにはならない。 そんなのは仕方ないことだとわかってたはずなのに、どうしようもなく寂しい。 情けないなぁ、24にもなって。
戦時中は、軍隊で中国語の通訳として活躍した祖父。 英語も話せて、私の語学好きは血筋かな、と喜んでくれてた祖父。 重機の会社を興して身体がボロボロになるまで頑張って働き続けてきた祖父。 私達が顔を出すと、いつも目を細めて喜んでくれて。 それは、私達が成長して昔に比べて愛想が悪くなっても変わらなかった。
おじいちゃん、何にも力になれなくてごめん。 でも、皆おじいちゃんのこと大好きだから、これからもずっと長生きしてね。 本当に、大好きだから…。
そうやって、ちゃんと素直な言葉を伝えていかなければいけない。 そんなことを改めて気付かされた、今日という一日でした。
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