人生ギャンブル
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2003/12/31(水) 博多オフ
初日
前の日飲み会があったため夕方まで爆睡していると
發さんからマリーさん達が到着したとの連絡が入る。
しばらくして家に迎えに来てもらいマリーさん達と合流してから
駅前でラーメンを食ったあと雀荘へ。
人数が7人だったため、うまじいさん、マリーさん、發さんはフリーで
デシ、象、はやかぜ、俺はセットで打つことに。
ルールはピンのワンスリーでアリアリの東南戦赤3枚入り。
一発裏ドラ赤ドラがチップ1枚、赤3枚の場合はチップ5枚。
チップ1枚500円。

最初自動卓のチーチャの決め方が良くわからなかったが象がボタンを押すと
デシ君にチーチャの矢印が向いたので開始する。
最初の半荘はいつも通りなるべく鳴かずに手なりですすめて様子を見る。
どうやら流れが悪いらしくリーチをかけても追っかけられて放縦を繰り返し
ラス親をむかえた時点で残り5000点を割る。
このまま悪い状態のまま終わると次まで引きずりそうだと思っていると
デシ君がドラをポンさせてくれて4000オールをツモあがる。
結局ラスだったものの手ごたえを感じながら次の半荘へ。

開始時に再び象がボタンを押すとデシ君にチーチャの矢印が向く。
若干このボタンを押すと必ずデシ君に矢印が向くのではないかという疑問がわいたが
2回連続で同じ人になる確率は16分の1であり良くあることだろうということで
意見が一致しそのまま開始する。
この半荘は予想通り良く手が入り勝負手をきっちりツモ上がり余裕のトップ。
この時点では今日は圧勝だなという感覚を持っていた。

次の半荘チーチャを決めるため三度象がボタンを押す。
するとまたもやデシ君に矢印が向いた。
デシ君「これチーチャ絶対俺になるんとちゃうんですか?」
3回連続で同じ人になる確率は64分の1であり、俺はこのチーチャの決め方が
間違っていることを確信していた
がせっかくのいい流れを変えたくなかったので
俺「これぐらいの確率よくあることだって」
強引にそのまま続行させることにした。
3試合目は手は入るものの上がりきれずに3着で終了。

4試合目開始時象がボタンを押すとやっぱり矢印はデシ君へ←
結局デシ君は流れの悪いまま無理やりチーチャを4連続やらされ
この時点で−100オーバーという悲惨な結果になっていた。

5試合目からは場変えをして正しいチーチャの決め方で試合を行うことに。
ここからデシ君が今までのうっぷんを晴らすかのように大爆発。
逆に俺は罰が当たったのか完全に勢いを失った。
最後の半荘などは特にひどくリーチ後にデシ君に追っかけられ
一発放縦2回、その上裏裏でチップを大量に持っていかれた。

終わってみればトータルでデシ君はプラス、俺は大きくマイナスだった。
象の力強いツモを見せつけられ、自分の麻雀に勢いが無くなっていることを実感した一日だった。

2日目
この日は有馬記念があったのでうまじいさん、マリーさん、發さん、デシは
昼過ぎから先に雀荘で打ち、俺、象、はやかぜは有馬が終わってから合流した。
2卓立てるために1人会社の先輩を呼ぶことにして、
先輩を迎えに行ってから俺、先輩、はやかぜ、デシの4人で卓を囲んだ。
2試合終わったところでうまじいさんが帰ることになりマリーさん發さんはフリーへ。
残った5人で2位抜けでやることになった。ルールは初日と同じ。
俺はこの日もまったく勢いが無く5回戦終了時点で−57。
はやかぜもいつものように細さをフルに発揮して−128を叩いていた。
もう半分やけになっていた二人は妙にテンションが高く、
配牌時に自分の赤ドラの枚数を
ワンレッド!ツーレッド!
などと宣言するルールが二人の中でいつの間にか出来上がっていた。
はやかぜはほとんどノーレッドだったことは言うまでもないだろう。

そうこうしているうちに事件は起こった。
はやかぜが赤5sがらみのチーをしてテンパイ気配。
俺は手にならなかったのでベタ降りすることにしてはやかぜの現物の7mを切った。
すると、
はやかぜ「赤木さんごめん」
最初何を謝っているのかわからなかったが自分のチーした赤5sを見ながら
はやかぜ「悪いけどあるから」
どうやらロンする気らしい。
よっぽど赤ドラに飢えていたのか、余韻に浸ってなかなか手牌を倒そうとしない。
俺はその勝ち誇った様子を見てなんて可哀想な奴だ・・・と思いながら
はやかぜにフリテンであることを悟られないように全力で演技をした
そしてついにパタリと手牌は倒されはやかぜは8000点を失うこととなった

6回戦目にその日の初トップをとったものの相変わらず流れが悪く
どこかで流れを変えなければと思っていた俺は8回戦目に行動に移した。
この半荘も象がツモりまくって50000点を超えておりトップ濃厚。
俺は2着目でデシ君がおごってくれたカツカレーを食べながら
2sと2pのシャボでテンパイしていた。
そこに象から2mが切り出されたところで
あえてロン!の声をかけた。
そうチョンボの反作用を狙ったのである。
3人は嬉しそうに点棒を受け取っていたが
俺は8000点で後の3順を買ったのだ。
食べることに集中していて間違ったわけでは決してない。

すぐに反作用の効果は表れて次の半荘で+90を叩いたあとも
最後まで効果は続き+164、チップも24枚浮きで
その日を終わることができた。
麻雀の結果は2日間トータルで+15000円。
今回もはやかぜの細さが際立っていたように思う。

2003/12/29(月) これからもよろしく
   

2003/12/28(日) 今までありがとう
   退

2003/12/26(金) 今年の東風
今年1年の東風の成績をできすぎ君で集計してみた。
あんまり打ってないつもりだったが
なんだかんだで超ラン800試合(サブIDも含む)、
月平均60試合をしっかりクリアしていた。

自分の麻雀を分析すると以前より以下の点でレベルアップした。
・鳴きの精度
必要のない鳴きが減り、その分面前でのテンパイが増加している。
・菌太郎さんから習得した絞り
以前はとにかく自分が先に上がることで
相手に上がらせない麻雀を打っていたが
菌太郎さんの自分が絞ることで相手に上がらせない
守備的な麻雀も取り入れた。
それにより放縦率が低下している。

来年は發さんの読みを取り入れていく予定なのでよろしく。

2003/12/21(日) 今週の一万円
土日は基本的に競馬予想にしよう。
毎週勝負レースを決めて1万円ずつ投資していこうと思う。

今週の勝負レース
阪神牝馬S(GU)
◎ 8.ファインモーション
○ 6.ピースオブワールド
☆ 2.メイショウバトラー
☆ 9.ハッピーパス
☆11.ハギノスプレンダー

ファインはマイルがベストとは思えないが
このメンバーでは格が違いすぎる。
体調も今年一番良さそうなので負けようがないだろう。
相手はエリザベスを回避してここに絞ったピース。
マイルはベストな条件でこの2頭の決着で堅そう。
☆は3連複候補。
馬単 8→6
3連複 6と8軸で2,9,11へ

そういえば昨日の阪神6Rの新馬戦に志村けんの馬が出走した。
馬名はアイーンベル
武騎乗で惜しくもハナ差の2着だった。
サンデー産駒だけに今後も目が離せない存在となりそうだ。

2003/12/20(土) 麻雀との出会い
無界さん頑張ってるみたいなので俺もぼちぼち書くか。
日記と言っても今日は特に書くこともないので
自分の人生を振り返ってみることにしよう。

俺の麻雀との出会いは小学校4年生の時だった。
当時はファミコンがほとんどの家庭に普及し
ドラクエ、FF、ゼルダ、ファミスタなどの人気ゲームが
登場し始めた頃である。
周りの友人達が当然のごとくこれらのゲームに夢中になって行く中、
俺はただひとり井手洋介名人の実戦麻雀にはまっていた。
近所のおじさんに借りて最初は役もわからずなんとなく遊んでいたが、
自然に牌効率などを身に付け勝てるようになっていった。
それにしてもまさか十数年後に井手洋介と会うことになるなんて
思いもしなかったな。

なんで麻雀に興味を持ったのかは自分でもよくわからなかったが、
どうやらギャンブル好きの親父の血を引き継いでしまったようだ。
母親は俺がギャンブル好きになるのが嫌だったらしく
親父のギャンブル好きをずっと隠していた。
毎週土曜日いつも家にいない親父について尋ねると
答えはいつもこうだった。
俺「親父どこに行ったん?」
母「中国語の勉強に行ったよ」
それが麻雀だったことに気付いたのは中学生になってからである。
休みの日に勉強するなんてすごい!
と尊敬していた自分のなんと愚かなことか・・・

結局あっという間にゲームをクリアした俺はすぐに飽きて
しばらく麻雀と離れることになる。

2003/12/15(月) test
test


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