インド日記
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最新の絵日記ダイジェスト
2011/10/13 サラスヴァティー・プージャー
2009/01/07 長い眠りから覚め
2008/03/20 高貴な役者魂
2008/03/19 止まらない
2008/02/08 八方美人

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2004/10/30(土) 雨の日の装い
このところ雨続きで朝夕はめっきり冷え込むようになった。
といっても、このあたりではセーター1枚かショールがあれば
冬を過ごせるだろう。
雨季以外はほとんど傘を使わないので、皆が傘をさしているわけ
ではない。買えない人ももちろんいるだろう。
まず目に付くのがビニール袋を頭にかぶっている人。
額くらいまでの小さいやつで、大の男の人たちが色とりどり
のビニール袋をかぶっているのはかなり可笑しい。
次に帽子。使い捨てくらいのクオリティーで、やはりビニール製のカンカン帽みたいなもの。後はキルティング製の耳当て付き帽子。
これを見ると戦時中の飛行士も帽子?と思ってしまう。
主にバイクに乗る人がかぶっている。
そしてレインコートだが、あまり着ている人は少ない。
単に米やセメント入っていた袋を切って、頭からかぶっている人経ちも多い。

2004/10/28(木) 一方で
インドにはいろいろは宗教の人たちが共生している。
ヒンドゥーにキリスト教、ムスリム。このあたりには滅多に
シーク教の人は見ない。
キリスト教の人はサリーを着ているので一目ではわからないが
ビンディーをつけないし、もちろんヒンドゥー教のお祭りに
参加しない。
このところヒンドゥーの祭り続きで町は浮かれムードだったが、
ムスリムの人たちは断食月*ラマダーンなので、反対にしんとしている。毎夕6時に食事を取る以外は食べない。
おなかに優しいものが多いみたいだが、大家が何回か差し入れ
をしてくれたものは中華粥と同じ味で、大変美味だった。
毎年のことで慣れているのだろうけど、すごいなあと思う。
ムスリムの女性で、真夏にガウン生地のような
ブルカを頭からすっぽりと着ている人たちはもっとすごい。
よく耐えられるものだ。真夏のぎらぎら照りつく太陽の中、
スパンコールがたくさん着いたショールをまとっている姿は
忘れられない。

2004/10/22(金) 門バナナ
今日はサラスヴァティープージャ*学問、芸能の神様
にお祈りする日だった。期末試験までほとんどの生徒
は里帰りをして大学は閑散としていたが、音楽学校なので
すべての楽器や本、ダンス用のタタカリなどを並べて
それに花や米、お香、果物ランプなどをお供えして
1時間ほどプージャをした。この日はどの科目も勉強
してはいけないというのがあまり納得いかなかったのだが
サラスヴァティーがお休みをする日と言う意味だそうで、
やっと理解できた。
さて、町の至る所で目に付いたのがバナナの葉っぱ売りだ。
南インドのご飯はバナナの葉をお皿にするが、そのためではなく
店や家の門または屋根などにバナナの葉(枝ごと)を飾る習慣
らしい。日本では松竹梅が縁起のよい植物だが、こちらでは
バナナ、マンゴー、ココナッツといったところだ。
食べるだけではなく、バナナの葉は皿、マンゴーの葉は縁起のよい
飾りとして活躍、ココナッツの葉は屋根を葺くのに使われる。

2004/10/16(土) ナヴァラトリ
このお祭りは「9夜」と言う意味で、各3日、それぞれ
ドゥルガー*強さを司る女神、ラクシュミー*富を司る女神
サラスヴァティー*学問、芸術の女神を祀る。
ひな祭りのように段々に人形をたくさん飾るのだが、
その意味は、輪廻によって自分達が誕生するかもしれないもの
を表しているそうだ。下から、最下に位置される物(食器とか)、
次に野菜、動物、次に人。どれもかわいらしい置物なのだけど
そういう意味があると全く違って見える。
毎日違った簡単なお菓子またはスナックを作って、
家に来た人には誰でも拒まず振舞うとのこと。
とてもまねできない。
訪問した家は昔ながらのオープンな家庭なので、
それこそ地域の子供たちがひっきりなしにお菓子をもらいに
来ていた。
ちなみにカルナータカではダサーラーという。
そしてこの9夜が明けるとサラスヴァティープージャになる。
先生、師匠の家に行って、果物などを差し上げる。
どんな芸事でも、学問でもこの日はしていけないというのだから
不思議だ。
だがその次の日は必ず勉強しなければいけないらしい。

2004/10/12(火) 恐怖の遊園地
チェンナイに滞在中のSさんが遊びに来てくれた。
彼女は晴れ女らしく、こちらにいる間はめちゃめちゃ
暑くて、帰ったとたん天気は下り坂に。
さて、タンジャーウールの世界遺産である寺には当然
最初に参った。その数日後、歩いている散策途中に
電飾の観覧車を見たとのこと(私は毎日横目で見ていたが
一人で乗る勇気はない)。
夕方二人でいざ遊園地に。入場料3ルピーを払い、
またごちゃごちゃとしたファンシーグッズを売る露店を横目に見て進むと、おお、いろいろと遊具があるではないか。
そのほとんどは子供用だが(手動あり)、観覧車とバイキングは
大人でも相当恐そうなものだった。
乗ってみてびっくり、公園にあるブランコ(箱型)に
少し柵をつけたくらいのもので、もちろんベルトもなければ
ドアもない。それがゆっくり回るのならまだしも、
ブンブン回るのだ。世界遺産の寺がいっかーい、にかーい、
と何度上下したことか。
バイキングに関しては私は乗らなかったが、Sさんは
一番端(振り子が一番激しいところ)で立ち乗りをしていた。

2004/10/06(水) テストテストテスト
こちらの学校はセメスター制(2学期)だ。
7月から始まり、11月に冬休み、12月〜4月に後半、
4月の半ばには大元の大学の学年度末試験がある。
今は前半の終わりに当たるので、11月の期末試験に
向けて、月末試験、模擬試験、本番(冬休み中に!)
と、これでもか〜というくらい試験に追われる。
ちなみに語学と音楽理論。
範囲は全部一緒なので3回もテストを受ければ確かに頭に
入るだろう。
実技に関しても、先生は超特急でシラバスをすべて終わらせ、
後は生徒の自主練に任せている。
大学なので個人的にうまくなるようには指導してくれない。
理論は十分だが、実技は外で個人の先生に習わないと
全く不十分だ。私はやっと外で習い始めることが出来た。

2004/10/04(月) ガンジー
ガンジーを知らない人はまずいないと思うので
特にこの人の偉業を語る必要はないが、昨日はガンジーの
亡くなった日だった。テレビではガンジーの有名な映画を放送、
ニュースではガンジーの銅像に花輪を何十本ももかけている光景
が映されていた。
この映画は涙なしでは見られない。
バングラデシュとパキスタンに分かれてしまったのも
このときが境なわけで、まだごく最近といえるだろう。
印パの仲がどうにか納まるといいなあとつくづく思う。
ちなみにガンジーはルピー札のほとんどに印刷されている。
日本のようにいろいろな人ではないのが、いまだにガンジー
が絶大な人気を誇っている証拠だろう。

2004/10/03(日) 雨季が来て
長い夏が終わり、急激に涼しくなった。
たとえば、バターを外に出したときすぐ溶け出していたのが、しばらく固まったまま保っているというくらい温度が違う。
昨日などはあまり寒いので布団を引っ張り出してきて寝た。
しかし不思議なのは、日中太陽が出たときにまた35度くらいに
なってしまうこと。
田んぼでは黄色に実った稲の横で、皆で田植えをしているのが
また不思議な光景だ。
さて、雨が多くなって草や木が急に青々として来た。
一番嬉しそうなのは牛と羊だ。黙々と何時間も草を食んでいる。
大変なのは見張りの人だ。野良牛、野良羊ではなく立派な
商品なので、どこかに行ってしまわない様、着かず離れず
散歩させている。
今は牛の出産ラッシュで、子牛が多いこと多いこと。
何も考えずに母牛のあとについてかわいいのだが、
道路にたたずまれると困る。

2004/10/02(土) 細分化された仕事
インドの中流以上の家庭では、家事のほとんどを使用人
に任せることが可能だ(お金さえ出せば)。
料理、掃除、洗濯、庭仕事、ドライバー、草取りなどなど。
やや普及してきたが、洗濯機のような機械がポピュラーでないのと、人が余っているので、皆本当に安い給料で働いている。
また、南インド料理に必需品のグラインダー、ミキサー
などを買えない家庭でも、粉挽き屋
(イドゥリ、ドーサなどの米粉)があるので大変便利だ。
なお、アイロン屋もポピュラーだ。
これは地区ごとに決まった人が巡回しているのをつかまえるか、
常連になって家に取りに来てもらうか、または固定の店もある。
サリーなどは自分でアイロンを毎日かけるなんて想像しただけでもぞっとする大仕事なので、本当にありがたい。
熱は石炭なので、かけ終わったものは少し炭の匂いがする。
朝、夕には近くの牛を飼っている人が来て配達してくれる。
ではこのように便利な生活で主婦は何をしているかというと、神棚の掃除、飾り付け、凝った料理の下ごしらえ、使用人への指示、隣近所の付き合い(インドは隣近所づきあいが盛んなので)などなかなか忙しいそうだ。
ちなみに私はお掃除の人だけ来てもらっている。

2004/10/01(金) はや3ヶ月
早いもので入学してから約3ヶ月経とうとしている。
歌に関しては、日本ですでに今年のシラバスの半分は
習っていたので、大変さはなかったが、サンスクリットと
音楽理論はものすごい勢いで授業が進むので
頭がぷちんときれるのではないかというくらい
久々に勉強した。
毎月期末テストくらいの重みのあるテストがあるのも
初めはおののいたが、それのおかげでインド人が頭がよいの
だなあと感じた。皆16,7歳でよく勉強するので感心する。

また全く関係ないのだが、インドにいると、人間の習性
はよく出来ているなあとつくづく思う。
この3ヶ月で感じたことは「慣れること」と「忘れること」だ。
外の温度や臭い、見たくないものがたくさん目に入って
来る環境で、それに慣れてなんとも思わなくなることと
究極に見たくないものでもそのうち忘れてしまうことが
できるから、大変な環境でも住むことができるのだと思う。

7月に来たときから猛暑の日々が過ぎ、やっと雨季に入った。
少し涼しくなるが、晴れると相変わらずの暑さだ。
もうすぐ(と言っても来月)ディーパワリが来るので、皆
浮き浮きしている。タンジャーウールの誇る
世界遺産の大寺院では、それはそれは大掛かりな
飾り付けをするとのこと。


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