インド日記
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最新の絵日記ダイジェスト
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2004/11/29(月) カイシキナータカム2
最初に団長らしき人が年長の女性と舞台に上がり
この演劇に関する解説などをして、タヴィルや
ナーダスワラムなどの楽隊が出てきた。
これは伴奏ではなく最初の景気づけという感じだ。
伴奏は完全はカルナーティック音楽で、チェンナイやチダンバラムからシンガーやムリダンガムの人が呼ばれていた。

男性だけグループの南インドダンスドラマを
想像していたのだが、出演者は男女共にいて全員ダンサー
ということでバラタナティヤム色が強いものだった。
一人だけバーガヴァタメーラから役者が入って台詞を言っていた
ものの、後はほぼアビナヤとステップで表現していた。

内容はヴィシュヌのアヴァターラや
そのほかヴィシュヌの数々の神話に加え、
ラクシャサ(デーモン)が改心する話がメインだった。
南インド劇で使う幕が面白い使われ方をしていて、
ただ持つだけでなく空や蛇、海などを表していていた。

驚いたのは、2幕ほど終わったときいきなりお寺の楽隊が
神様を連れて(毎夜神様も寝る時間になると場所を移動する)
来たものだから、大入り満員の客が一斉に立ち上がり大混乱に。
本殿に皆ぞろぞろ着いていったかと思うと、神様のお面
をつけて着ぐるみを着た神官が、神様になり、舞台に
あがって役者に花輪をかけた。そのパワーでラクシャサ役
の役者に何かが乗移ったかのようだった。

その後5時間ほどして劇は終わったのだが、その日はよりによって
エーカダシャミ(11夜)という、一カ月に1日寝ないでお祈りする日ときたものだから、朝の5時まで寺にいた。
不眠の行のようだったが頭が朦朧としていてお寺の神官
がなにやら歌っていたのもよく覚えていない。
村の人々は結構グースカ寝ていた。

このお寺に働く人たちは若い人も多く、土地が気持ちよいと
みんな都会に出て行かないのかなあと思った。

2004/11/28(日) カイシキナータカム1
夜通しのナータカム(演劇)を見る機会があった。タンジャーウールから10時間以上かけて、ほぼ最南端のカニヤークマリまで
あと50kmというところまで行った。ティルネルヴェリ(Tirunelveli)という駅からさらに車で1時間以上いくと、
そこはMahendragiri(標高1654m)という山が見える、美しい村だった。
タミルナードゥー州というよりはすでにケーララの雰囲気
が漂い、高原のような涼しい気候でとても素敵な場所だ。
ここの出身のバラタナティヤムダンサー(地主らしい)
がスポンサーになり、ヴィシュヌを祀る寺で毎年ナータカムを開催し、及びチェンナイなどからアーティストを招聘しているとのこと。

夜8時からまずクチプディのフルプログラムがあって
もう満足という感じだったが、1時間ほど休憩があり、
軽食をとって夜通しのプログラムに備えた。
よく昼寝をしておいたのだがやはり夜は眠い。
夜10時半からいよいよ始まり。

2004/11/19(金) 多言語社会
インドは日本が9つ入る大きさなので、多民族、多言語社会
なのは当然なのだが、北と南ではあまりにも言葉が違うので
北の人が南を旅行するとき(反対も)は同じ国民というよりは外国人に見える。
南の人たちは自分の州言語をベースとして、国語のヒンディー語
を習う、またはテレビで見て少し知っている人も多い。
共通するのは英語だが、小学校で州の言葉か英語か選択できるため、
南で英語をしゃべれない人は大変多い。
インドを旅行したことのある人はテレビを見てわかるように、
各州ごとのチャンネルがあり、ケーブルでは50、60チャンネル
がある。一部北インドの映画を南の言語に、南インドの映画を北の言語に訳して放送している。「ムトゥー踊るマハラジャ」をヒンディー
に直して放送しているのを見たときはびっくりした。
反対に有名な北インドの映画はタミル語に直して放送するので、
題名を友達に言ってもわかってくれないことが多い。
南インドのチャンネルでは早朝にいいカルナティック音楽を流している
のでお得だ(有名なシンガーが見られるという点で)。
全部がインドのチャンネルではなく、イギリスのチャンネルなどもある。日本のアニメーションが100%のチャンネルもある。
「鉄腕アトム」などの元祖アニメから最近の「デジモン」や
邦題を知らないものまで英語やヒンディー語に直してほうそうしている。

2004/11/18(木) ディーパワリとラマダン
このヒンドゥーとムスリムの2大イベントが終わって
町にまた平穏な日々が戻ってきた。
この間は爆竹が昼も夜も鳴っていて、みんな雨の鬱憤を晴らして
いるようだった。
ディーパワリでは花火をするのが習わしだそうだが、
日本にあるようなバラエティーは無いにしても、
なかなか大きい花火が見られた。
各家々では手花火と爆竹。お呼ばれした家でも狭い路地で何度も爆竹
を鳴らしていた。屋上や階段でも平気でするので、下を歩いている人は
かなり危ない。
この家族はマラーティー(ボンベイ近辺)から来た方々
なので、サンバル(南インドのカレー)の味も少し北インドに
近いものがある。
この期間は買ったチュリダール、サルワール(共にインド民族衣装)
やサリーを知人の家まで持っていってみんなで見せ合う。
各家庭で一人一人が最低4、5枚は新調しているので、
サリー屋はかなり稼ぎ時だったと思う。
さて、ムスリムのおうちで1ヶ月の断食が終わってこれまたお祭り。
ムスリムのごちそうといえばマトンビリヤニということで、
近所のノンベジタリアンの家にあげていた。

2004/11/06(土) 冬休み
学期末試験が終わり、季節的にはピンと来ないが
冬休みになった。ほとんどの子達は里帰りをして
ディーパワリ(説はいろいろだが、光の道と言う意味で、
ランプをたくさん灯して、クリシュナが魔人を退治した日
、ラーマがラーヴァナを退治して帰還した日などを祝う)
を家族と過ごす。
日本にいるときは、ディーパワリはその他の祭りと同じようなものだろうと思っていたが、インド全国で一斉にお祝いされる、数少ない大イベントなのだそうだ。
インドでは州ごとに新年が違うので、あまりニューイヤー
は重要視されないらしい。一般的にお祭りが好きなので
クリスマスもニューイヤーも勿論にぎやかではある。
この季節にインドにいるのは初めてなのでいろいろ新鮮
な発見がある。雨季の寒さには驚いた。
念のため持ってきた長い靴下も役に立った。
さて、ディーパワリには家電、服、その他諸々を
購入するらしい。テレビのコマーシャルでは
有名なサリー店の宣伝がひっきりなしに流されている。
皆に言わせればジョリーな(楽しい)季節らしい。

2004/11/05(金) 先生は18歳
もちろん大学の先生のことではなく、サンスクリットの先生がご高齢なので、英語で授業をするのが億劫になってしまったのを
機会に、別の先生をガイドとして至急探すことになった。
彼女はまだ大学生なのだが、一通りサンスクリットをマスター
した証書付きで、私レベルのチューターなら全然
問題ないらしい。しかも音楽に関しても3歳から習い続け、
数々のコンテストで賞をもらっている秀才だ。

よくテレビで天才子供のミュージックコンテスト
見たいなものをやっているが、10歳やそこらで
声楽や楽器をマスターするとは、いったいどういう訓練をしている
のだろう。前に来日したインドのグプタ少年(バイオリン)
もまだ10代前半だった。
インドには天才が多いと言うがそのとおりだと思う。


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