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2007/01/21(日)
忘れない記憶
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親父はいつ頃死んだのだろう。
農家の次男坊(長女がいるので3人目の子供)として親父は生まれた。
タンパラな親父
消防士、車の営業(トヨタ系)、借金こいて夜逃げ、数年後は宗教にはまりつつも帰郷。
豊浦に出稼ぎに行ったりしていた親父を、子供心に覚えている。
旭川に引越し、瀬戸物の外販営業。
長くも続かず脱サラ、窓ガラスにフイルムを張る自営業。
食えるはずも無く港町へ、市場で4tトラックの配送。
荷の「プラム」を、盗んで食っていた。(幼児期の俺もね)
親父の「てんかん」が悪化を続け退職。
俺が中学1年の時、三男坊が肺ガンで死んだ。
一緒に正気の親父もあの世に行ってしまった。
旭川の日赤に見舞いに行く、トウハトの「オールレイズン」
親父が好きだった菓子だ。喜んでいた。
入退院を繰り返していた。
18歳で俺は家を出た。
札幌のアパートに親父が一度だけ遊びに来た。俺が23の時だ。
南郷18丁目の肉屋で最後の晩餐を食った。
俺がおごった。
冬、歩道を親父の後ろを歩いて帰った。
最後の親父の背中だった。猫背だったのを覚えている。
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