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2008/09/25(木) 小泉流の最後の “サプライズ” と、小泉語録
自民党の 小泉 純一郎元首相(66)の政界引退の一報は一気に駆けめぐり、政界に激震が走った。
小泉流の最後の “サプライズ”に国会議員らも一様に驚きを隠さず、「一つの歴史の終焉」などと、さまざまな反応を見せてる様です。

小泉元首相は本日、地元、神奈川県横須賀市の後援会会合で、次期衆院選には立候補せず、今期限りで“引退”する考えを表明。
集めた系列県議・市議らに、
『議員生活36年を振り返り、もうやり残す事はない。今ある種の達成感を感じている。これからも政治活動を続けていくが、国会活動はしない。次の選挙には出ない!』と述べたそうだ。

で、まだまだ若い次男の進次郎(27)を後継者にしたい意向を表明したそうだ。その準備で春から何度も地元に足を運んでたそうだ。

小泉氏は2001年4月に第87代首相に就任し、2006年9月まで5年5ヶ月間(1980日)務められた。
立派な記録として、在任日数は佐藤栄作、吉田茂首相に次ぎ戦後歴代3位★

在任中は「聖域なき構造改革」を掲げて、財政再建路線を推し進め、あの北朝鮮から拉致被害者を対話で救済した唯一の首相で有り、小泉氏が国会議員としての信念だった郵政民営化を実現させたり、数々の歴史に残る結果を出して来た功労者で有り、民主党・小沢一郎党首とは異なるタイプの強腕さで、個人的には好きな政治家でした。

元首相を支持し、2005年の郵政選挙で当選した 「小泉チルドレン」は突然の引退表明に驚きを隠せない、衝撃が走った出来事だっただろうが、これも小泉流で最後までスター性ある首相だったと思う。

明日の新聞一面は間違いなく “小泉劇場”だろうなぁ〜。


そんな小泉 純一郎氏の首相就任以降の主な語録(発言)ですが、読み直しすると凄い方だとある意味、感心します(カッコ内の肩書は当時)。

【2001年】

「小泉内閣は改革断行内閣だ。改革には必ず抵抗勢力が出てくる。その戦いは今日から始まった」(4月26日、小泉内閣発足を受け)

「今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日のわれわれに必要ではないか」(5月7日、所信表明演説で)

「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」(5月27日、大相撲夏場所で優勝した横綱貴乃花に)

「改革なくして成長なし」(6月21日、経済財政諮問会議の方針に)

「もしも自民党が小泉の改革をつぶそうというのなら、わたしが自民党をぶっつぶす」(7月8日、参院選遊説で)

「三方一両損ですよ。保険者側も診療側も患者側もそれぞれ痛みを分かち合おうと」(11月29日、医療制度改革をまとめて)


【2002年】

「涙は女性の最大の武器というからね。泣かれると男は太刀打ちできないでしょ」(1月25日、田中真紀子外相の涙に)

「家族の気持ちを思うと、言うべき言葉もない。拉致問題は重大であり、強く抗議した」(9月17日、北朝鮮の金正日総書記との会談後)


【2003年】

「この程度の約束が守れなかったのは大したことではない」(1月23日、衆院予算委員会で新規国債30兆円枠突破について)

「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域か、今わたしに聞かれたって、分かるわけない」(7月23日、党首討論でイラクへの自衛隊派遣について)


【2004年】

「35年前の、しかも議員になる前のことで何がおかしいのか。人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」(6月2日、衆院の委員会で勤務実態のない厚生年金加入問題を追及され)

「外堀を埋めて内堀も埋めて、いよいよ本丸だけだ」(9月10日、郵政民営化方針を閣議決定)

「中国にとって愉快でないことは承知している。慰霊の考え方が違う。『よろしくない』と言われ『はい、そうですか』と従っていいのか」(10月18日、衆院予算委員会で靖国参拝について)


【2005年】

「恐れず、ひるまず、とらわれずの姿勢を貫いて改革を断行することは、まさに私の『本懐』とするところであります」(1月21日、施政方針演説で)

「通常国会での郵政民営化法案の廃案は、倒閣運動と受け取るのが自然だ」(2月9日、郵政民営化法案について)

「もう一度、国民に聞いてみたい」(8月8日、郵政民営化法案が参院本会議で否決され、衆院解散を決断)

「政界の奇跡だね。小泉を支持してくれた国民の皆さんのおかげだ。1度死んだ法案を生き返らせてくれた」(10月14日、郵政民営化法成立を受けて)

 
【2006年】

「改革に終わりはない。これからも新首相とともに国民が力を合わせ、改革を続けていくことを願う」(9月26日、内閣総辞職で談話)

「政治家は使い捨てにされることを嫌がってはいけない。首相も使い捨て。甘えてはいけない」(11月7日、郵政造反組の自民党復党に反対する「小泉チルドレン」に)


【2007年】

「内閣支持率の上下をいちいち気にすることはない。鈍感力が大事だ」(2月20日、安倍内閣の支持率続落に)


【2008年】

「応援しない人を敵と思ってはならない。いずれ味方になるかもしれない」(9月16日、自民党総裁選に出馬した小池百合子氏に)

「自分の役割は済んだ。引き際を大事にしたい」(9月25日、地元関係者に政界引退を表明)



ユーモアある政治家でもあったが、私がインパクトある小泉氏の映像は、米国訪問時、ブッシュ大統領とグローブはめてキャッチボールをされて、その後ブッシュ大統領から革ジャンをプレゼントされて、小泉氏がニコニコ無邪気な表情で革ジャンを肩に回して掛けた、あの映像だなぁ〜♪

【添付画像】の映像は、小泉 純一郎の名を力を全世界に広めた有名な出来事でした↓


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