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2009/06/13(土)
ショッキング過ぎる三沢光晴さんの急死
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プロレス団体 「NOAH」の社長こと三沢光晴選手(46)の急死。しかも試合中に相手の技(バックドロップ)を受けての頭打ちで即、病院に搬送・・・間もなく死亡が確認されたと言う。
小さい頃からプロレスが大・大・大好きな自分。今晩も新日本プロレスはちゃんと留守録してる自分だけに、あまりにショッキング過ぎる出来事だった(涙)
この情報を自分が知ったのも不思議な出来事。今まで全く閲覧した事もなかったBlog(北斗晶オフィシャルブログ → “そこのけそこのけ鬼嫁が通る”)なのに何故か???帰宅した今晩に限って初アクセスしたくなって??? で、この悲しみの出来事を北斗晶のBlogで初めて知りました。
そのBlogには↓
御冥福をお祈り申し上げます。 プロレスリング・ノア 三沢光晴社長逝去にあたり…
この度の三沢選手の悲報に接し、驚きと悲しみのあまり言葉もありません。 ここに謹んで哀悼の意を表しますとともに、心より御冥福をお祈り申し上げます。
株式会社 健介オフィス 代表取締役 佐々木久子
三沢光晴選手は栃木・足利工大付高でレスリング部に所属。 1981年に全日本プロレスへ入門。 1984年にタイガーマスク(2代目)となり超人気を博す。 1990年からはタイガーマスクのマスクを試合中に自ら脱ぎ、本名で活動。 ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍。 2000年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。
死亡の原因?となった試合は、本日13日の広島市中区基町の広島県立総合体育館であった プロレスリング・ノア「Southern Navig.'09」広島(広島グリーンアリーナ)大会 。しかもNOAHリングで権威ある “GHCタッグ選手権試合”だったと言う。
今、海外武者修行から帰国してノリにノッて強いプロレスラーに大きく変化した潮崎豪選手とのタッグ戦で、チャンピオンのバイソン・スミス選手&齋藤彰俊選手組との対戦中。結果↓
<第8試合 GHCタッグ選手権> [王者組]バイソン・スミス、○齋藤彰俊 (27分03秒 レフェリーストップ) [挑戦者組]●三沢光晴、潮崎 豪 ※バイソン&齋藤組が3度目の防衛に成功
三沢光晴選手は、受け身の上手さには定評のあるレスラーだったのに。三沢光晴選手はそのまま動かなくなり、レフェリーが異変に気付き試合を止めた。その後は参戦していた佐々木健介や高山善廣ら選手たちがリングに駆けつけて 「社長!!」と声を掛けたが、三沢光晴は応じなかった。すでに呼吸をしておらず、心肺停止の可能性が高いことから観戦していた医師やトレーナーらが人工呼吸や心臓マッサージを行ったが、反応はなかったそうだ。 更に暫くして、駆けつけた救急隊員が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたが、心肺停止のまま広島市内の病院に搬送された。
この間、約2,300人の観衆で埋まった会場は騒然とした状況になった。リングサイドのファンからは 「三沢コール」がわき起こり、女性ファンの悲鳴に似た叫び声も上がってた様だ。 搬送直後には、選手会長の森嶋猛がリングに上がりマイクを握って、 『三沢社長の状態が分かりません。選手一同無事を祈っています』などと、硬い表情で状況を説明したそうだ。
病院に到着した三沢光晴さんは集中治療室に運ばれ、懸命な処置が施されたが、午後10時10分、帰らぬ人となった。
三沢光晴選手の得意技の豪快なエルボーは生ではもう観れない。Blogカキコ中に涙流れてしまう・・・。
考えさせられる自分の明日の人生。そして46歳、若過ぎるよ!
■唯一、倒れてる現場を撮影されてる、スポーツ報知の記事↓■ http://hochi.yomiuri.co.jp/battle/news/20090613-OHT1T00250.htm
【添付画像】は先月5月6日・日本武道館で撮影されたもので、今回のタッグチーム(右が三沢光晴選手、左が潮崎 豪選手)である。
三沢光晴さんの御冥福を、心からお祈り申し上げます。
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