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2009/07/05(日)
国民的 偉大スターの法要
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珍しく休日の日曜日。午後から自宅からの外出をしようかなぁ〜って思いつつ、雨天となったので外出は中止。で、見てました! HABテレビの2時間番組・・・【添付画像】
「石原裕次郎二十三回忌 特別企画・独占生中継! 裕次郎二十三回忌法要 in 国立競技場」
7月5日本日、偉大なスターである故・石原裕次郎さん(1987年7月17日死去、享年52歳)の二十三回忌法要が、東京・霞ケ丘の国立競技場で行われ、国立競技場に再現された裕次郎寺(総持寺)の建設裏話しから今日の法要に至るまでの放送は、自分を釘付けにしてました。
しかし国立競技場に、総持寺を建てるという前代未聞の法要にはたまげた。瓦は強化発泡スチロールだと説明。そりゃそうだろう、すぐ解体しなければならない建造物だし!
一般のファンと共に行う大々的な法要は、今回で最後だそうです。 史上空前の法要として注目を集めた来場者数は、ナント! 11万6862人に上ったそうです。
◆石原 裕次郎…1934年12月28日、神戸市生まれ。 3歳の時、北海道・小樽に移り、小学校2年の春、神奈川・逗子に移転。 慶応高から慶大(3年で中退)へ。
1956年、兄の石原慎太郎さんの芥川賞受賞作を原作にした日活映画 「太陽の季節」で映画界入り。プロデューサー・水の江滝子に認められ、同年 「狂った果実」に主演。
翌年1957年 「嵐を呼ぶ男」でスーパースターの地位を不動のものに。
1960年、憧れの北原 三枝(現・まき子夫人)と結婚。 テイチクレコードと専属契約を結び、「嵐を呼ぶ男」 「俺は待ってるぜ」 「錆びたナイフ」 「銀座の恋の物語」など大ヒットを連発☆
1963年に「石原プロモーション」を設立し、映画「黒部の太陽」(1968年)、「栄光への5000キロ」(1969年)などを製作。
1976年 「大都会」でテレビ制作に進出。 「太陽にほえろ!」 「西部警察」が大ヒット。
1987年7月17日、肝細胞がんの為、52歳で死去。
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