東方見文鹿(とうほうけんぶんろく)
ぶんろく日記・・・続くかな・・・
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2010/07/09(金) 元・笑福亭若松さん
平成6年入門組が9人おりますが、志半ばで噺の世界を去った方も5人くらいおりました。  というより方向修正できて正解です。

そんな1人が故・笑福亭松葉(7代目松鶴)師の門下であった笑福亭若松さんです。
落語、三味線、太鼓、寄席文字、なんでもできるエリートでしたが、逆に噺家ってどこかええ加減な所がないとダメなのかな?

入門したての頃は、もちろん繁昌亭などありませんから、それぞれの師匠の出番がバッティングするところで顔を合わす程度。

松葉、春若、南光、米輔、文福 5人の師匠方でやっておられた上方五人男の暫ホールや
文紅師匠、松葉師や木割大雄氏が御世話しておられたキリン亭などで、付いて来ている若松と会うのが何より楽しみで、ホッとしたものです。

あの頃の師匠陣は今の繁昌亭の楽屋の様な和気あいあいではなく、めちゃくちゃ怖かったです。

今は落語の世界から身を引き整体、鍼灸などの専門学校の先生です。
毎年1回は仕事に合わせて若松君の家に一泊。
三人のかわいい子供さんにも恵まれて幸せいっぱいです。
平成6年組の残ってる9人で若松の分まで頑張らねば。


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