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2004/11/16(火)
わが街、わが夜
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「新宿には戦後が残っている・・・」
新宿区区役所の職員が口にしたと言われる台詞である。
高層ビル・雑居ビルの森を抜けて、ドーナツ屋の角から 旧都電の跡地に作られた遊歩道を歩いていくと、パッと夜空が近くなる。
そこは歌舞伎町1丁目、通称ゴールデン街である。
平成も二桁になった現代に在りながら、木造3階建ての長屋の町である。 戦後、焼け野原になった新宿の原っぱに闇市が形成され、 その後「ちょんの間」といわれる赤線地帯、いわゆる売春街となり、 高度成長期に至って、現在の原型の飲み屋の密集地帯になった。 ちょんの間とは、飲み屋といいながらも、軒先で春を売る女性が 客を待ち、客が入ると店を閉めて、粗末なはしごで2階へ上り、 30分につき何がしの金で事を済ますという店のことである。
飲み屋になっている現在も、その造りが残っていて、 10人も入れば座る場所も無いような店だ。
60年代の安保時代に入り、ゴールデン街も活気づき、 作家・俳優・政治活動家・学生の集う街となる。
現在もこちらの店には「クロセイ」こと黒田征太郎、 あちらの店には団鬼六、隣の席には原田芳雄といった具合だ。 2004年になるというのに、店内では岡林信康が流れ、 狭苦しい道路にはギターの流しが歩いている。
私はかなり酒に弱いが、ボトル1本キープすれば何時までもいられるので、よく友人とゴールデン街へと足を運んだ。 友人と政治の話をしていると、はじめてあった隣席のおじさんが 話に加わったりして、なかなか楽しく、時に加熱する時間を過ごせた。
ワンブロック先のコマ劇場近くの店では、安居酒屋で学生が大声をあげて騒ぎ、駅に向かう街では黒服のホスト崩れがナンパしている。
40年前学生だった男たちと、4年前学生だった若者たち。
果たして、どちらが若者らしいのだろうか・・
雲に煙る三日月を見上げる寒き夜である。
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