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2004/11/22(月)
奏
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若い男性にとって、女性と言うものは二つに区別してしまいがちのものだ。 惚れた女と、そうでない女。 付き合いたい女性と、どうでもいい女性。 (なんか全国から、ブーイング聞こえてきそうだな・・)
男性は10代から30−40代まで、「性欲」という強い業を背負っているから、あながち責めるわけにもいくまい。
「俺たち友だちだよな」と公言しつつも、心の中で「好きだぁ」と叫んでいるのが、若き男心というものである。
数年前、惚れてしまいそうな女性と、そうでない女性、そのどちらにも属さない女性というものを始めて意識した。
当時のわしは30歳。そのこは確か20−24くらいだったと想う。 好感は持っているが、惚れてはおらず、といってほって置くのも心配。 大きなお世話なのだが、きちんと歩いていけるのか心配な感じである。
φ( ̄_ ̄;) うーん あえて言うなら、電信柱の影から星ひゅうまを見つめる姉の心境といったところだろう。
遊んでる男に惚れたと聞けば、「あぁ、やっちまったかぁぁ」 遊ばれたと聴けば、「よし!俺がカタつけてやろう」 相談されて泣かれれば、アワワ ヽ(□ ̄ヽ))...((ノ ̄□)ノ アワワである。
なつかれても頭をヨシヨシするだけで、よこしまな考えも浮かばなかった。
1年ほど共に仕事をしたが、会社を退社し皆に挨拶するときに 彼女はその場におらず、あとで当時の仲間から 「あの後、お前のこと、彼女慌ててあと追って探しにいったんだよ」と聞いた。
もちろん、彼女にとっても恋愛感情も無く、単なる仕事場の優しいオジサンだったのだろうと思う。
もうあれから4年ほど経つ。 彼女も普通の女の子から、今ごろ28くらいの魅力的な女性に成長していることだろう。
今でも、時折彼女はどうしているかと考えることがある。 出来ることなら素敵な男性の横で、心からの笑顔を浮かべていて欲しいものである。
幸せは幸せのそばにしか転がっていないのだから・・。
スキマスイッチの「奏(かなで)」という曲の、 「君が大人になってくその季節が、悲しい歌で溢れないように〜」のフレーズに、 1人の女性を想ったキャプテン☆山手の男心の夜である
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