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2004/11/28(日)
後姿
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私は、敗れ去っていく人物の後姿と言うものが好きだ。 好きというより、心惹かれてたまらないのである。
子供の頃から、そうだった。
歴史上の人物なら、義経・石田三成・島左近(石田三成の家老)・土方歳三。 現代なら、セナ・プロストに敗れ去っていったナイジェル・マンセル。 今なお、誇り高く現役で居続けるようとするキング・カズ。 ベルトに手をかけながら、敗れ去っていくボクサーたち。
変な話だが、芸能人にしても然りである。 売れているときはどちらかというと嫌いだった宮沢りえ・華原朋美・中森明菜・・。
それぞれが、それぞれの戦いの場や、愛情を手にする場で、力尽き倒れ、 それでも、その人なりに足掻き、周りに媚びず、のたうちまわりながらも立ち上がろうとする姿に心惹かれてたまらない。
現代は勝者の時代である。 それはあるべき姿であり、それこそが努力を積み重ね勝利を掴んだ者の正当な権利だ。 私を含め、殆んどのものはそれを目指す。
しかし・・。
我が物顔で街を闊歩する勝利者達。 彼らの妻であると言うだけで、子供や老人の歩く道で車のクラクションを鳴らす女たち。 弱者やホームレスなど、網膜に映らないとでも言いたげな瞳。
これから日本も勝者と敗者の二極化が進むだろう。 ある意味、資本主義の在るべき健全な姿。 一億総中流時代は終わりを告げたのである。
単なるノスタルジーと言うことは、承知している。
しかしながら、驕り高ぶった勝者の高らかな足音よりも、 志半ばで力尽き倒れ、不平を飲み込み、足掻き続ける敗者の後姿を、 私は愛して止まない。
敗者に対する思いやりを持ってこその勝者。
勝敗への決断は、日々一瞬一瞬の積み重ねだ。 我々は、勝利者であり、同時に敗者でもある。
自分のいる地平が、敗者の屍の上であり、 口にする美酒が、敗者の血であることを忘れてはならない。
それを忘れる勝者など、世界を手に入れようと、どれほどの価値もない。
何時に無く、遠い目をするキャプテン☆山手、もの思いの夜更けである。
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