わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2005/02/14 1周年を迎えました。ペコリ(o_ _)o))

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2004/12/31(金) 2005年 ( ̄_J ̄)ノ▽"フリフリ
今年もおしまい。大晦日。
1年365日。長いようで、実に短い。

今年も多くの人に逢い、また多くの人と別れた。
何かに触れては笑い、泣き、怒った。

この日記を書く事で、改めて見知らぬ自分とも出会えた。

来年、2005年も新たな出会いがあるだろう。

来年が皆さんにとって、今年よりも幸せにあふれた1年になることを祈りつつ、
1年の締めくくりとしたい。

皆さん、良いお年を。ペコリ(o_ _)o))

来年もよろしくお願いします。

2004/12/30(木) キャプテン山手の選ぶ今年度10大ニュース
10位・プロ野球界大揺れ、50年ぶり新球団
    巨人・西武の親分が、不祥事にて失脚。
    ライブドアが認められなかったのは残念だが、
    来年以降の改革に期待。

 9位・三菱ふそう欠陥隠し
    東京ドームの近くを歩いてる時、三菱のトラックから
    タイヤが吹っ飛び、バス直撃。死ぬかと思った。

 8位・佐世保小六少女殺人事件等凶悪事件
    未成年の凶悪事件が増えた。量刑の厳罰化、氏名・顔を公表すべき。
 
 7位・米大統領選ブッシュ再選
    非難する声が多いが、この人が当選してよかった。

 6位・中国人活動家、魚釣島不法上陸
    日本は手ぬるい。逆だった時の事を想定すべし。

 5位・中国の原子力潜水艦が領海侵犯
    天然ガス田問題も含め、侵犯船は拿捕するべき。
 
 4位・北朝鮮拉致家族帰国
    帰るべき場所に帰ってこられて良かった。
    ただし100人の人間の命と、国益の問題のこる。
    経済制裁には、相当の覚悟を持つべき。
    本当に帰国を望むなら、自衛隊を出せ。

 3位・新潟県中越地震
    被害甚大。関東大震災に向けて環境を整えて欲しい。

 2位・陸上自衛隊本隊、イラク入り
    人道支援の為、イラクへ。
    日本人が知るべき、国外の真実に触れる一点。

 1位・イラク邦人人質事件
    亡くなった外交官・ジャーナリストに対して哀悼の意を表する。
    左翼の3人組に関しては、真実の徹底的な追及を望む。
    ptsdになった割に、熱心に執筆・公演活動。
    取調べした公安当局は真実を伝えるべきだ。


 ☆スペシャル☆
    当HPを開設。10000ヒット。
    訪れた皆様に感謝感謝。ペコリ(o_ _)o)) 

2004/12/29(水) Σ('=';) ハッ!!もう、12/29・・
早い・・早すぎる・・。
( ̄_J ̄)ん? いや、1年早いなと思って・・。

毎年思うことだが、商売人のフットワークは実に軽く、
数日前までクリスマス用に飾られていた街も、一斉に正月用にリニューアル・・。
(聖夜の次は、しめ縄かよ・・)
今ごろは春まで住んでいた浅草・上野もにぎやかだろう。

このHPをバレンタインに作ってはや10ヶ月。
チャット仲間のHPを見て発作的に作り始めたので、これといったコンセプトは無かった。
が、我ながら、他人の視線を意識すると言うことの意味を知った。

生まれてこのかた、日記など一切書いたことが無いわしが、曲がりなりにも続いているし、
割にまめに更新もしている・・。

述べ人数といえど、10000ヒットを超えた。

最初はHP作成を通して、パソコン技術を上げようと思っていた。
そのうち、個人HPを覗いて「ふむふむ、なるほど」と勉強し、
htmlも少しずつわかってきた。

「ありがとう」と言われれば嬉しく、「おめでとう」と言われればこれまた感謝である。

やはり、真の面白みとは人との関わりだなと思うキャプテン☆山手( ̄_J ̄)ノの年の瀬である。

2004/12/28(火) 「武」
武道の武の文字は、矛「槍みたいな武器」を止めると書く。
つまり、不当な暴力を阻止することが目的なのである。

これを読んでいるあなたが、格闘技大嫌いな女性でも「極真空手」という言葉を聞いたことがあるだろう。
全世界で100万人近いと言われる門下生をもつ世界最大の格闘技の流派である。

創始者の大山総裁は、戦後都内池袋に登場を開き猛者を育てた。
当時の愚連隊・やくざも「池袋の大山」というと、避けると言われるほどであった。

それまでの空手はいわゆる寸止めと言われる実際には相手を叩かないものであったが、極真は手加減無く相手を殴り蹴り倒した。

全国のみならず、アメリカに行っては道場破りを繰り返し、無敗。


しかし、その大山総裁が避けたといわれる相手がある。


「養神館・塩田剛三」と「少林寺拳法・宗道臣」である。

養神館創始者は、塩田剛三先生である。
いわゆる合気道の達人中の達人である。
その足捌きを見たマイク・タイソンは舌を巻き、
米大統領を警護するSPたちが数人がかりでも歯が立たなかった。

このおっちゃん、見た目はやさしいお爺さんだが、
入門した18歳の頃、師匠のお爺さんをいきなり蹴り倒そうとしたとんでもないおっちゃんなのである。

このおっちゃん、78で他界するのだが、70を過ぎてもその技は衰えるところ無く最強であったらしい。

これは伝説なのだが、彼が70を越えてから道場破りが来たそうだ。
相手は筋骨たくましいプロレスラー。
おっちゃんは154センチの45キロの体だから、女の子並み。
相手はムキムキマンである。

ここからが真骨頂なのだが、このおっちゃん、耳の遠い振りして
「道場破りですか・・はぁ・・いつですか?」
『俺はいつでもいいぜ』
「大きな声で言ってくれんかのぅ」
そして、苛立つレスラーが大声で
『いつでもいいって言ってるだろ』と言った瞬間、レスラーののどをえぐり、一撃で倒し、
「カッカッカッ、まだ若いのぅ」と笑ったと言う。
いつでもいいと言った以上、卑怯ではなく、なめてかかったレスラーの未熟である。

とんでもないおっちゃんでしょ。

武道はスポーツではない。
ゴングは鳴らないし、誰も止めてくれない。
卑怯な手段は使わないが、勝利を最優先させる。
ようは自分より強い相手がいることが許せない人種である。

自分からは決して仕掛けないが、仕掛けてきた相手を飄々と倒す。

優しくも恐ろしいおっちゃん、塩田剛三。

私の憧れるひとりである。

2004/12/27(月) 福井 晴敏
福井 晴敏という作家がいる。
ここ1・2年、私がはまっている作家である。

「川の深さは」「亡国のイージス」「終戦のローレライ」等が代表作。

初めて読んだのは、「亡国のイージス」
日本推理作家協会賞・日本冒険小説協会大賞・大藪春彦賞を同時受賞した傑作である。

「亡国のイージス」「終戦のローレライ」は来年映画化される。

これらの作品に共通する価値観がある。

「命に代えても・・」守るべきものとは?と言うものだ。

ある者は国の為、ある者は愛の為、ある者は己の意地の為。

戦後の日本人は、なによりも命を大切にする。
当たり前であるようにも感じるが、命より大切なものを持たない哀れさも感じる。

以前も書いたが、以前話したある男性は
「目の前で恋人が犯されていても、戦うことは望まない。説得する。」と言っていた。

ある者は、イラクへ赴く自衛隊隊員に非難の声を上げ、
イラクで死んでいくアメリカ軍の隊員を非難する。

私の考えでは、命を賭けないものが、賭けている人物を非難することは許せない。

行動が正しい正しくないは、その際の問題ではない。
命に代えてでもという覚悟を持ったものを、非難することは何人にも許されることではないと思うのだ。

私は毎年、靖国神社の御霊祭に足を運ぶ。
海軍中将であった父の大叔父、私自身の伯父も、靖国にいる。
彼らあっての私であり、感謝の念で手を合わせている。

戦後、「特攻した隊員はマインドコントロールされていたのだ」とか、
「操縦席に縛り付けられていたに違いない」などと言う出す人もいる。
彼らは何があっても、何を犠牲にしても生き残ることを最優先にすることだろう。
たとえ、妻や子供、己の主張、名誉を投げ捨ててでも助かろうとする。
そして、こういうのだ。
「命があってよかった」


イラクで自爆して、戦いを挑む者たちがいる。
世間では、「テロリスト」と呼ぶ。

が、私はそういっていいものか悩む。

そこまでして守りたいものがあり、現に命を賭けること自体、
敵と言えども、見上げた覚悟と思わざるを得ない。

不況といいつつも、食べたいものを食べ、笑っていられる現代日本。

ふとした瞬間。そんなことが頭をよぎる。

2004/12/26(日) 15年前
人を動かすに、自分を正当化するに、はたまた、借金の取り立てに、
「心を殴る」ような言葉を使う。

相手が自分より弱いと思っていれば、なおさら、そんな言葉が出てくる。
私にも、心当たりのある話だ。

間違いなく、「心を殴る」行為が出てしまう人というのは、
人の心を分かってあげられないのだと思う。

それを意識的にしているか、自分の過去に何らかのトラウマがあって
それをしてしまうのかは、人それぞれだろう。


20代になりたての年末、銀座に住んでいた。15年程前だ。
恵比寿の友人の部屋で遊んだ後、
地下鉄の日比谷線に乗って帰宅しようとしたときのことだ。

女連れのサングラス男が六本木で乗ってきた。相当酔っている。
座席に座り、周囲を睨み付け、隣に座っている男性に因縁をつけ、ヘッドロックし始めた。

やられている彼は、当時の私と同じくらいの20代前半らしい。
いかにも気弱な学生タイプだった。

車内は六本木に止まったばかりということもあり、大柄な外国人もいれば、
若い男も多かったが、誰も止めようとしない。

例によって例のごとく、わたしが口を出す。

「おにいさん、もういいでしょ。やめなよ」
『んだと!コラ!殺すぞ!!』
「女の前だからって、かっこつけなくていいから」
バキッ(私が殴られる音)


私は「喧嘩はするな!!ただし、喧嘩になったら生かして返すな」と、
父に20年叩き込まれて育った人間である・・。
大山総裁も「君たちケンカを売ってきたら買え。
それくらいの覇気がなければ空手を辞めてしまえ。」と言っている。

反射的に髪を掴んで、膝蹴り数発を顔に入れた。
サングラスは割れ、男はのびた。

ヘッドロックされていた男は、何も言わず逃げるように次の駅で降りた。

のびた男の前に立ったまま、目的地に着くまで電車に乗っていた。

「殺す」といわれたのも初めてだったし、無関係な人間に手を出したのも初めてで、その両方にショックを受けていたのを覚えている。

彼がそう口にしたのは、「殺すぞ」という言葉に、どれだけのパワーがあるのか多分、知っていての行動だろう。

脅された側が、脅されることにずっと身をまかせていてくれると思っていたのだろうか。

彼は「殺すぞ」という言葉のパワーは知っていた。
しかし、相手の心の痛みは、知らなかったのだろう。
さらに、追いつめられた人間に対して、正当な助けを与える人間がいることも知らなかった。

気分が悪いまま、電車を降り、歩いて帰った・・。
興奮もしていたし、反省もしていた。

ほかにやりようもあったとも思う。

私も、「分かってあげられない」のがトラウマだろうが、何だろうが、
結局は、それで苦しむのは自分であることに気づかなければ、と思った夜であった。

2004/12/25(土) ゴホゴホ
毎年、この時期恒例の風邪である・・。

昨晩24日は、皆さん楽しく過ごせた?

読者の皆さんは世代的にお子さんがいる方も多いと思うが、
プレゼントを贈ったことだろうと思う。

子供の頃、私も25日の朝起きたら枕もとのプレゼントに期待していた。
それがサンタに対してか、両親に対してかははっきり覚えていない。

小学校に入り学年が進み、子供同士の会話の中で、
「どうやら、サンタはいないっぽい」と気付いてからも、
枕もとにおいてもらうという形に憧れていた。

私自身の子供はいないが、子供たちと一緒に暮らすことが数年あった。

「ゲームにするか・・いや、望遠鏡か・・昔感動した本に・・」と悩んだものだ。

結局のところ、親というものは、子供の頃、叶わなかったプレゼントを、
自分の子供を通して、自分にあげている。

そう思った。

サンタさんが必要なのは、親の方かもしれない。

2004/12/24(金) クリスマス・イヴ
今日はクリスマス・イヴ。

ついでに35歳になった。ちょいとおやじなお年頃・・。
(言ってて、自分が寒いわっ・・)

子供の頃、誕生日とクリスマスの重なるこの日は大イベントだった。
学校もこの日あたりに冬休みになっていた。

学校から帰ると、母が誕生会の準備をしており、
姉は学校帰りに駅前のおいしいケーキ屋でケーキを買ってきて、
父が子供用のシャンパンや鳥の丸焼きを買ってきた。

友達からもらったガンダムのプラモデルを作りながら、夕食を待ったものだ。

実家を離れ、16年。
来年には、私を産んだ時の母の年齢になる。
その母も既に無くなった。

社会人になり、友達と過ごすクリスマス。
彼女と過ごすクリスマス。
一人で過ごすクリスマス。
いろいろなクリスマスを経験したが、やはり家族との思い出が甦る。

夕食で母が作るスパゲッティ(当時はパスタなんて言わなかったな)は、
ナポリタンとわかっていたので、「ミートソースにしてよ」と言うと、
「わかった」と言いつつ、なぜかナポリタンを出す姿も思い出す。

厳しかった父も、寝ている私の枕もとに野球盤や天体望遠鏡を置いてくれていた。

この日は、私にとって1年の、そしてこれまでの日々を思い返す日になっている。




今年は哀しい事件が多かったが、
せめて今夜だけは、哀しい事件の無い夜にしてくださいと祈りたい。



MERRY CHRISTMAS! 素敵な1日を・・


本日のお勧め映画
    ニコラス・ケイジ主演「天使のくれた時間」

2004/12/23(木) 眠れない・・
眠れずに映画を見た。

「ソラリス」というSF映画。
子供の頃に見たソビエトの映画のハリウッドリメイク版。
ある星に赴いた人々が、この世を去ったはずの人々に出会う。
もちろん、その人々は死んでいるので、そこで出会うのは人間ではない。
現われた本人も記憶を持ってはいるが、本来は死んでいるはずの自分に戸惑い、苦しむ。

ある意味、哲学的で静かな、そして考えさせる映画だった。
(ダイハード的要素一切なし、アクション好きにはお勧めしない)

パソコンが普及し、ハード面での技術は日進月歩で発達している。

以前から、いくつか考え込むことがある。

例えば、視力が悪い人は、コンタクトや眼鏡をかける。
アメリカでは、コンタクト自体を眼球に埋め込む手術もある。
いわば、ある種の装置でも人間の能力を補助しているわけだ。

例えば人間の足と同じ能力の義足が開発されたら、不自由している人達にとって朗報だろう。
では、その義足をつけた青年が陸上競技を始めたら、
彼が出場するのは、オリンピックか?それともパラリンピックか?

ひとつ進んで、彼が義足をつけない人の世界記録を塗り替えたら、
それを記録として認めるのか?

機械は人間に似ようとし、人間は機械を使って機能を強化する日は必ず来る。

人間と、機械の境目は?



例えば、本。例えば、日記。

これは記憶の外部記憶化だ。
10年前の○月○日、なにをしていたのか、言える人は少ない。
本や日記はそれを補助する。

もし、生まれてからの記憶を外部記憶化できるとしたら・・。
そして、先程の義足のような義体にその記憶を載せることが出来たら?

本人の体が死滅したあとに、彼の意識・記憶とまったく同じものを持つ義体が作られたら?

彼の人権は?

そして、彼は自分をどう認識するのか?

義体化した人々は、自分を彼のような完全な機械と違うと明言できるのか?

自分で自分の脳を見た人間はいない。

生物の行動は全て経験、つまり記憶に基く。

意識とは何か?記憶とは何か?




子供のとき、生きているこの現実が夢だったらどうしようと考えたことがある。

それこそ、「胡蝶の夢」の世界だ。

φ( ̄_ ̄;) うーん





ただひとついえること。

こんなことを考え込む私には、今、睡眠が必要だと言うことだ。

┌( ̄0 ̄)┐ ワーッハッハッハッ・・・・

2004/12/22(水) 私は抗議する
これを書いてる21日、日本政府が台湾の李登輝前総統に短期入国査証(ビザ)を発給した。

彼は元総統であるが、現在は一私人であり、私人が正式の段階を踏んで入国申請した際に、入国を拒否するというのは法治国家ではない。

中国外務省は日本政府にビザ発給を取り消すよう求め、「日中関係の大局を損なうことは避けられない」と述べ、報復措置を検討していることを明言している。

これは紛れもなく、内政干渉である。日本の主権を侵害せんとする行為だ。

中国共産党対外連絡部の劉洪才副部長は、「プライベートな観光(目的)といっても政治的意図があるのではないか。中国の日本に対する国民感情は最低の状況だ」と述べている。

が、日本国民のアンケートでも、中国に対しての親近感は激減している。
天安門事件のあったときよりも、低下しているのだ。

彼はビンラディンのようなテロリストではない。
京都大学を卒業し、台湾帰国後は民主化の推進を行なった立派な政治家だ。
蒋政権の四十数年にわたる圧制は、蒋政権の死滅によって終結を告げたが、
そのときに総統になった人物が李登輝でなかったら、
別人によって蒋政権のような非人道な政権が再出現したかもしれない。
李登輝の十二年にわたる施政によって、今後第二の悪性政権が出現する危険は、ほとんど無くなった。

中国の王毅駐日大使は、「李氏は分裂運動を進める急先鋒で、トラブルメーカーだけでなく、戦争メーカーになるかも知れない。中国を中傷、攻撃している人物に日本が好意を示すことは理解に苦しむ」と述べ、
日本政府を批判している。

これは、明らかな恫喝だ。

市場化のみを進め、いまだ共産主義を謳う中国の真の姿、そのものだ、

日本は、これを機にWHO・国連加盟、そしてゆくゆくは台湾独立につながるよう尽力すべきだ。

李登輝を非難する者は、蒋政権時代に警察、憲兵を使って特権を握り、自分が一般人民の上に立つ貴族だと思っていた連中だ。
蒋政権の死滅によって彼等の誇りが雲散霧消したが、それが社会正義であることを理解できず、憤懣やるかたなき日々を過ごしている連中である。

私は中国政府に対して抗議する。

ちなみに、このHPで繰り返し言っているが、中国に擦り寄る社民党の福島瑞穂党首と、公明党の神崎代表は、21日に中国共産党対外連絡部の劉洪才副部長と仲良く会談している。

2004/12/21(火)
私は色盲である。

赤や緑が見えずらい。
見えないわけではないが、微妙な色の赤などを分けろといわれると出来ない。

「私は色盲です」

こういうと5人に1人くらいが、身の回りのものを示して、
「これ、何色に見える??」と質問してくる。
勿論、彼らに悪意はあるまい。

勝新太郎氏の「座頭市」。15年位前の映画だ。
座頭市が、緒形拳演ずる浪人に尋ねる。

「赤って色は、どんな色ですか??」

浪人は「赤・・赤・・血の色、女の唇、夕焼け・・」と口ごもる。
色を表現するのは難しい。

昔、カメラマンをやっていた時、モノクロの写真がすこぶる面白かった。
赤・青・黄などの様々なものが、白と黒の中間色として表現されるからだ。

よく最近新型テレビのCMで「10億色」などと謳っているが、
実は人間はそんなに多くの色を認識できない。
明るさに関しては星明りから、真夏の太陽まで100万倍以上もの違いに対応するのとは対照的だ。

あるチョーク会社は、大学教授の指摘ではじめて黒板に赤いチョークで書いた文字が見えにくいことを知り、
朱色のチョークを開発した。


そう、ぼくたちはむしろ、自らの心の盲点に自覚的であらねばならない。

2004/12/20(月) まもなく4年・・。
もうすぐ年の瀬。あといくつ寝るとお正月である。
街には灯りがあふれ、恋人達はクリスマスを心待ちにしている。
しかし、その幸福感を味わいたくとも味わえない、味わえなかった人々がいる。

私は97年までの数年間、世田谷区の祖師ヶ谷大蔵と言う町に住んでいた。
休日には近くの大きな公園でキャッチボールをしたり、サッカーをしたりした。
その公園の名前は、祖師谷公園。
これといったものもない芝生の広がった広い公園である。


私が都心に戻り3年後の2000年12月30日。
祖師谷公園の隣接地で事件が起きた。
まもなく4年になる。

「世田谷一家殺害事件」である。

うろおぼえだったが、この家があったであろう場所はなんとなく覚えている。
97年当時、その場所の近くにお蕎麦屋さんや駄菓子屋があり、何度か立ち寄ったことがあった。

6歳・8歳の幼児を含む一家4人が文字通り惨殺されている。

当時のニュースを見て、「ああ、ここ知っている」とショックを受けたのを覚えている。

警察やマスコミの発表では、犯人は一家4人の顔や胸を原型を留めないほどめったざしにした後、
ジュースを飲み、メロンを食べ、アイスクリームを食べ、パソコンでネット接続している。
殺害時に怪我をしたらしく、ラッテクスゴムという軍隊などで使われる特殊な止血剤や、
麻酔作用のあるベンゼドリンを利用して手当てしている。
韓国国内のみで流通しているといわれる靴をはき、遺体発見の数十分前まで被害者宅で過ごしていたらしい。

ヒップバッグからは「アメリカ西部ネバダ州のラスベガス付近にある砂漠の砂」と成分がよく似た砂のほか、モナザイトやニッケル、チタン酸バリウムなどの粒が見つかっており、その中には日本に流通していない成分や一般の人には入手しにくいものも含まれていたといわれる。

ソウル在住の韓国人男性の指紋と、現場に残されていた犯人の指紋が合致したとも言われている。
(韓国では全国民に指紋の登録が義務付けられている。日本の警察は韓国人の指紋と照合して誰とも一致しなかったとしているが、韓国政府が日本の捜査協力を拒否しているという情報もある。)



ヒット&アウェイという言葉をご存知だろうか。
本来はボクシングなどで使われる言葉だが、犯罪用語としての意味は、
外国から入国し、犯罪を犯し、すぐさま出国することを言う。



私が近所に住んでいた97年当時、亡くなった子供たちはまだ幼稚園に通っていた頃だろう。

もしかして、私がキャッチボールをしていた時、同じ公園で遊んでいたかもしれない。
両親はベンチに座り、子供を見守っていたかもしれない。

事件には経緯があり、原因もあるのかもしれない。

が、子供たちに罪はあるまい。

近年、神戸の事件、長崎の事件、福岡の事件など、子供が被害者になる痛ましい事件が多く、胸が痛む。

デパートの玩具屋さんや、ケーキ店の前ではしゃぐ子供たちを見ると、
たった数年の人生しか与えられず、享受出来たはずの喜びさえ受けられなかった「人生」というものを考える。

クリスマスとは、本来家族のもの、子供たちのものだ。

子供の頃もらったプレゼントの記憶は、10年20年経てば薄れていくことだろう。
しかし、自分が愛されているという感情だけは薄れることはあるない。

2004/12/19(日) やはり、泣ける・・
大河ドラマ「新撰組」最終回の再放送を見た・・。
やはり、涙無しには見れないなぁ・・。

三谷脚本のこのドラマはかなりの脚色がされている。
放送当初は、それが原因で酷評も受けた。
が、やはり素晴らしい。
ドラマがというより、やはり新撰組はいい。

世界の歴史学者の中では、明治維新の評価は高い。
通常、革命は被支配階級が支配階級に対して放棄するものだが、
明治維新は支配階級によるものだからといわれている。

が・・・言わせてもらうなら・・。

明治維新は、力を手にしようとした薩摩・長州と、幕府との私闘(喧嘩)である。
佐賀や土佐は、止めるに止められず引きずられている。

錦の御旗は朝廷から頂いた物ではなく、京都で夫人物の帯に刺繍した偽物であったといわれている。

明治維新とは、純粋な革命と言うよりも薩摩・長州による軍事クーデターと言うのがふさわしい。
長州の藩主は戊辰戦争後、「いつ私は将軍になるのか?」と言ったといわれているが、その程度のものである。

明治政府成立後の長州・薩摩の対立。
官僚の急速な腐敗。
西南戦争。
西南戦争で方向づけられた軍部の暴走は、昭和まで続いている。

明治・大正の新撰組の評価は酷かった。賊軍として扱われている。

しかし、この胸のすくような一片の曇りもない清清しさは何だろう。
人生を一生をかけて描く作品とすれば、近藤・土方の一生は間違いなく歴史に残る傑作だ。
薩摩・長州の指導者が、維新後汚職に塗れ地に落ちたのとは実に対照的だ。

近藤は、こうして大河ドラマの主人公にまでなっているし、
土方には熱烈な男性の支持者が多い。
女性には、沖田総司の好きな人が多いだろう。

戊辰戦争後、函館独立政府に参加した土方は、他の官僚が降伏・投降していく中、
ただ1人官軍の陣に切り込み射殺されたといわれているが、
その際に土方を見殺しに出来ず、100人近い兵士が命を捨てて土方を追いかけたという。

今の世の中でそれだけの魅力を持った男がどれほどいるものだろうか。

まさに「男惚れ」というにふさわしい。

ただ一騎、敵陣に斬り込む新撰組の羽織。
「何者か!!」と誰何する官軍に対して、
「新撰組副長、土方歳三。参る!」と言い捨てて、
斬り込む姿を想像すると、これが泣かずにいられるかってんだっ。
ぐおーぐおー。


いやー、しかし土方ファンには胸のすく1年だった。

ちなみにドラマの中で、近藤を救うためにただ1人斬り込んだ幼馴染の捨助(中村獅童)は実在しない人物なので、ご安心を。

さらに言うならオダギリ・ジョー演じる斎藤一は、その後警官となり、さらに東京大学の剣術指南となっている。
老いてからも誰も打ち込めない達人であったというから、新撰組に憧れを抱くものにとって、これまた胸のすく思いである。

写真は、土方の愛刀。
二代目和泉守兼定。

2004/12/18(土)
以前、姉の家で交わした3歳の甥と会話。

「ぼくも泣いちゃうことあるよ」
「どんなとき?」
「お父さんが怒ったとき」
「そうかー」
「それからね、うれしいときも泣いちゃうよ」

小さなうちから嬉し涙を知ってる。
人情の機微が誘うちょっと高級な涙と思っていたけれど。
 
涙はなぜ流れるのだろう。
そんなことをぼんやり考えていた。

涙には3種類ある。
眼を守るための基礎的な涙。
もうひとつは、タマネギをむくと出るような反射性の涙。
そして、感情による涙がある。

科学者がタマネギによる涙と映画による涙を比較、成分の違いを測定したことがある。

それによると、感情によって流された涙は、ストレスに関係する副腎皮質刺激ホルモンを多く含んでいたらしい。

涙を流すと心まですっきりするのは、こうした事情もあるらしい。

ある種のうつ病患者や、深刻な虐待を受けた子どもは、涙を流さないという。

涙の持つ、人に訴える力が信じられないほど傷ついて・・。

赤ちゃんが親の抱擁を求めて泣くように、涙は人を信じるメッセージ。


泣くことを、恥じることはない。

2004/12/17(金) 1995/1/17
本日のタイトルの数字。
いうまでもなく、阪神淡路大震災である。
あと1ヶ月で、10年になる。

関西出身の友人と下北沢のお好み焼き屋に行った時、
友人と店員が会話の中でお互い関西人とわかった際に、
「おにいちゃん、どこ?」
「神戸です」
「ほーか、わし、大阪。震災の時はあっちにいたん?」
「はい、ひどかったですね・・」
「そやな・・」

横で聞いている私はずっと東京住まいであり、彼らが交わしている会話の真のニュアンスは理解できないだろう。

何千人もの人々が建物の下敷きになり、何万件もの家が焼けたことだろう。

10年になる今でも、朝テレビをつけて見た高速道路が倒れている姿、
空襲でも受けたように立ち上る煙を忘れることは無い。

先日は新潟でも震災があり、北海道でも地震が多発している。

私の住んでいる首都圏もいつきてもおかしくないだろう。

今月15日の中央防災会議の発表によると、首都直下で地震が発生した場合、
最悪のケースで死者は東京、神奈川、埼玉の1都2県で約1万2000人と、阪神大震災の2倍に上るとしている。

建物被害は8都県で約85万棟、鉄道などが止まり自宅に帰れない帰宅困難者は、日中では650万人に上る見込みだという・・・。

私の場合、姉夫婦も都内に住んでいる。甥や姪も幼い。
有事の際の待ち合わせ場所は、第3候補まで決めてある。
しかし、新宿や渋谷の繁華街を抜けて助けに行くのは容易ではあるまい。

甥たちの顔を思い浮かべれば、自分と引き換えにしても助けたい。

阪神大震災や、新潟の震災で亡くなった方々もきっと同じ思いだっただろう。

発表され予想される1万2千と言う数字。
お年寄りや、幼子も含まれている。

日本にすむ我々は、誰一人無縁な数字ではない。

2004/12/16(木) 値段。
近所のホームセンターが改装して、ペット売場もある大きな店になった。

買いものついでに、ほかでは見ることのない、ペット売場をのぞく。
家族連れの子どもは喜んでケースの前にしゃがみこんでいる。
そのケースに値札が貼られているのを、子供たちは知らない。

動物にいのちだけではなく値段もあるのだというこの事実は、いつも私をとまどわせる。

その値段は、愛情の価格なのか、単なる商品価格なのか。

この価格あるゆえに、動物を愛する人への流通が促進されると考えると有益なのだけれど・・。

何年か前、地方にある自然動物園を市が買収することになり、動物一体一体につけられた価格が公開された。

もっとも高いのはオランウータンで、価格が500万円。
ワシントン条約で国際的な商取引が規制されており、入手は困難。
それゆえの高値だとか。

子どもたちの人気者、キリンは9歳メスが220万円。
ライオンは、オス、メスとも8万円。
百獣の王かたなしだけれど、繁殖しやすいし、えさ代がかかるから安くなるという。

値段をつけられる動物ってどんな気持ちなのだろうと、自分に値段がつくことを想像する。

これは奴隷の売買と同じなのかと寒くなり、それから、いや違う、プロ・スポーツ選手の移籍金か、と思いなおす。

チームを活性化し、観客に夢を与えてくれるなら、高額の移籍金も納得できる。

これは、動物ではなく、夢の値段なのか。

2004/12/15(水) 言葉
先日、チャットをしていてHPを運営している方と、HPについての話になった。

わたしのHPは見ればわかるように、まず発信ありきで作り始めたので、
明確なビジョンにしたがって作っているというものではない。
まぁ、個人HPなので、さほど気にはしていない。

しかし、ネットが身近になり、驚くほど接することのできる情報量が増えた。

子供の頃、親にわからない言葉を聞くと「辞書をひきなさい」といわれたものだが、現在検索欄に文字を打つ込むと、膨大な量の答えが提示される。

それさえも考えてみると、日本語のみである。

現在、地球人口は約60億。
HPの総数は70億程度といわれている。
おそらく、その中の日本語サイトは5パーセントはあるまい。
英語を身につければ、今の数十倍の情報の海が待っている。

いま英語は、母国語あるいは公用語として7億5000万人がしゃべり、
さらに10億人が学んでいる。
2050年には世界人口の半数が英語をたっしゃにあやつるという説が英国王立協会の発表にある。

ビジネスでも主役は英語。
企業で使われる言葉と総売上高などに注目して換算した英語の経済価値は、5兆4550億ポンド。
日本円にしておよそ1000兆円だとか。
日本語の経済価値はそれについで2兆9600億ポンド、ドイツ語が1兆7140億ポンド、スペイン語が1兆2490億ポンド。

とはいえ、普及した言語はまた分解の危機も抱える。
英語も変種に分かれ、互いに理解不能になる可能性があると、言語学者は指摘する。

言葉は、日々うつろう。
いま口にしているひとことは、このひとときのいのち。

人も思いも世の中も、今日とはほんの少し違う明日があり、消えていく言葉がある。

今日の気持ちは、今日のうちに伝える、今日の言の葉にのせて。

2004/12/14(火) 涙・・涙・・
ちょっと日記をためてしまいました・・ペコリ(o_ _)o))

この日曜日は「新撰組」最終回。
月曜日は「赤穂浪士」最終回。
火曜日は「剣客商売」スペシャル。

いやー泣いた泣いた。

もちろん3作ともフィクションとわかっているし、泣かそうとしてるのもわかっていても、ぐおーぐおーと泣きました。

赤穂浪士などでは、近年吉良さんは実はいい殿様だったとか、浪士が討ち入ったのは再就職のためではないかなどという意見もあります。

もちろん、そういうこともあったでしょうし、必要以上に美化した姿が伝わっているのでしょう。

それにしても、200年程度前の日本にあれほどの男がいたという事に感動しますね。
(毎年、言ってますね・・私の場合・・)

暴力がどうとか、復讐がどうとかいう話は置いておいて、命をかけるほどの価値観を持っていたというのは、幸せといえるのではないでしょうか。

今の世の中、必死すぎるとかっこ悪いとか、ださいとか言われそうですが、命懸けの価値観を持っているというのは、凄まじくも美しいと感じた時代劇3夜連続の夜でした。

2004/12/13(月)
子供の頃、ひとつの疑問がありました。

「光は粒子か、波か??」

粒子というか、粒なら、プリズムで波長ごとに形を変えるはずは無い。
波なら、真空の宇宙をどうやって伝わってくる??

なんで?なんで?と言う感じでした。

当然、今はその両方の特徴をもっているのが光だとわかっています。

何年か前、その光をどこかの大学が捕まえたという話を聞きました。

特殊な環境を作り出し、そのなかに何千分の1秒か光を止めたというか、捕まえたらしいです。
不思議な感じです。

そういえば以前読んだ本に、光が通過するのに長時間を要する不思議なガラスをめぐる物語がありました。

何年も前に亡くなった人が写りこんだガラスを自宅にはめて思い出とともに生きる人など、心を揺さぶられる話でした。




今、空を見上げて見える星。

それぞれ、何百年、何千年、何万年、遠いものは何億年前に光った星の光。

何億年前にも生まれた光が、長い年月宇宙を旅して、今この瞬間、その光を見ているのは、自分だけかもしれない・・。

φ( ̄_ ̄;) うーん

星の光とは、人間関係にも似て、趣深いものです。

光は、過ぎてゆくからこそ美しい。

2004/12/12(日) 守破離
守破離という言葉がある。
格闘技・武道・華道・茶道などの経験がある方はご存知でしょう。
しゅ・は・りと読みます。

守とは、先人が考え抜いて作り出した型や形式を忠実に守ること。
破とは、先人の経験や鍛錬を土台としながらも、自分なりの創意工夫を加えていくこと。
離とは、これまでに培ったものにとらわれず、新たな境地に到達しようとすること。

この言葉は、たしか千利休の言葉だった気がします・・。

華道・茶道・剣道・柔道・その他自己追及の全てに共通の境地でしょう。

ただ、ホップ・ステップ・ジャンプとは、違うニュアンスを感じます。

守の段階では、個人の勝手は許さず、強制的にひたすら基本を守らせます。
完成され、検討し尽くされた型を叩き込まれた人物が、それ以上の境地である破に至るのは容易なことではありません。

それは実際の試合などを見てもわかることと思います。

守とは、1万回・10万回と繰り返すことで身につくものなのでしょう。

1000回しか鍛錬を積まなかったものが、次の段階に昇華できることは無いでしょう。
あるとしたら、それは天から才を与えてもらった「天才」だけです。

才能のあるものが、血を吐くような鍛錬を重ねていてさえ、実際の闘いの場では、失敗もし、敗れもします。



日本人の学生の学力が急速に落ちているといわれています。
学校はゆとり教育を唱え、個々の個性を伸ばそうと言っています。
それも大切なことでしょう。

しかし、充分な基本も積まず、個々の個性など伸ばせるのでしょうか。

また、学力のみにポイントを置き、挨拶も出来ず人間関係も作り出せない人間を大量生産したところで、なんの為の教育かと思います。

極真空手の創立者の大山総裁の言葉に次のような言葉があります。

「武の道においては千日を初心とし、万日の稽古をもって極とす」

歳を重ねて、改めてその言葉に触れる度に、 思いを新たにするこの頃です。

12月絵日記の続き


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