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2004/12/12(日)
守破離
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守破離という言葉がある。 格闘技・武道・華道・茶道などの経験がある方はご存知でしょう。 しゅ・は・りと読みます。
守とは、先人が考え抜いて作り出した型や形式を忠実に守ること。 破とは、先人の経験や鍛錬を土台としながらも、自分なりの創意工夫を加えていくこと。 離とは、これまでに培ったものにとらわれず、新たな境地に到達しようとすること。
この言葉は、たしか千利休の言葉だった気がします・・。
華道・茶道・剣道・柔道・その他自己追及の全てに共通の境地でしょう。
ただ、ホップ・ステップ・ジャンプとは、違うニュアンスを感じます。
守の段階では、個人の勝手は許さず、強制的にひたすら基本を守らせます。 完成され、検討し尽くされた型を叩き込まれた人物が、それ以上の境地である破に至るのは容易なことではありません。
それは実際の試合などを見てもわかることと思います。
守とは、1万回・10万回と繰り返すことで身につくものなのでしょう。
1000回しか鍛錬を積まなかったものが、次の段階に昇華できることは無いでしょう。 あるとしたら、それは天から才を与えてもらった「天才」だけです。
才能のあるものが、血を吐くような鍛錬を重ねていてさえ、実際の闘いの場では、失敗もし、敗れもします。
日本人の学生の学力が急速に落ちているといわれています。 学校はゆとり教育を唱え、個々の個性を伸ばそうと言っています。 それも大切なことでしょう。
しかし、充分な基本も積まず、個々の個性など伸ばせるのでしょうか。
また、学力のみにポイントを置き、挨拶も出来ず人間関係も作り出せない人間を大量生産したところで、なんの為の教育かと思います。
極真空手の創立者の大山総裁の言葉に次のような言葉があります。
「武の道においては千日を初心とし、万日の稽古をもって極とす」
歳を重ねて、改めてその言葉に触れる度に、 思いを新たにするこの頃です。
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