わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/12/27(月) 福井 晴敏
福井 晴敏という作家がいる。
ここ1・2年、私がはまっている作家である。

「川の深さは」「亡国のイージス」「終戦のローレライ」等が代表作。

初めて読んだのは、「亡国のイージス」
日本推理作家協会賞・日本冒険小説協会大賞・大藪春彦賞を同時受賞した傑作である。

「亡国のイージス」「終戦のローレライ」は来年映画化される。

これらの作品に共通する価値観がある。

「命に代えても・・」守るべきものとは?と言うものだ。

ある者は国の為、ある者は愛の為、ある者は己の意地の為。

戦後の日本人は、なによりも命を大切にする。
当たり前であるようにも感じるが、命より大切なものを持たない哀れさも感じる。

以前も書いたが、以前話したある男性は
「目の前で恋人が犯されていても、戦うことは望まない。説得する。」と言っていた。

ある者は、イラクへ赴く自衛隊隊員に非難の声を上げ、
イラクで死んでいくアメリカ軍の隊員を非難する。

私の考えでは、命を賭けないものが、賭けている人物を非難することは許せない。

行動が正しい正しくないは、その際の問題ではない。
命に代えてでもという覚悟を持ったものを、非難することは何人にも許されることではないと思うのだ。

私は毎年、靖国神社の御霊祭に足を運ぶ。
海軍中将であった父の大叔父、私自身の伯父も、靖国にいる。
彼らあっての私であり、感謝の念で手を合わせている。

戦後、「特攻した隊員はマインドコントロールされていたのだ」とか、
「操縦席に縛り付けられていたに違いない」などと言う出す人もいる。
彼らは何があっても、何を犠牲にしても生き残ることを最優先にすることだろう。
たとえ、妻や子供、己の主張、名誉を投げ捨ててでも助かろうとする。
そして、こういうのだ。
「命があってよかった」


イラクで自爆して、戦いを挑む者たちがいる。
世間では、「テロリスト」と呼ぶ。

が、私はそういっていいものか悩む。

そこまでして守りたいものがあり、現に命を賭けること自体、
敵と言えども、見上げた覚悟と思わざるを得ない。

不況といいつつも、食べたいものを食べ、笑っていられる現代日本。

ふとした瞬間。そんなことが頭をよぎる。


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