わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/02/29(日) ふらふらなわし
熱冷まシートを貼っている自分を写す鏡というのは、
なかなかわびしいものがありますな・・・。
今回も休み

2004/02/28(土) 熱出したわし
熱が下がらず、今回おやすみ・・。

2004/02/27(金) 宗教について考えるわし
オウムから9年経ち、判決が出た。
が、ここでオウムのことに関してはまだ書かない。よく消化してから書こうと思う。

今日は一般的な宗教について書く。
大きな宗教といえば、キリスト教・仏教・イスラム教があり、他にもヒンズー教・ユダヤ教などがあり、国内に目を向ければさまざまな宗教がある。

私はキリスト教系の学校に6年通い、毎日賛美歌を歌っていたし、毎週礼拝に出ていたが、信徒として帰依はしていない。
理由は、信ずるに値するだけの説得力に欠けるからである。
世界人口のほとんどは何かしらの宗教の信徒と言われているが、いずれも神の存在に対して、立証責任を放棄しているとしか思えない。

物理学者はデータを示し、医学者は実験にて、理論などを反復立証する。宗教家の方たちは、この点がかけているといわざるを得ない。
以前、チャットでさまざまな宗教の方と話すことがあったが、非常に興味深かった。

ある方は、進化論を否定し、神は世界や人間を数万年前に作ったといっていた。それ以前は存在していないという・・。では、なぜ何十万年光年の銀河の光が、観測できるのか・・。もし数万年前に出来たのなら、その光は届いていないはずである。

ある方は、我々は全て生まれ変わりだという。人類が発生した際の人口は1500万程度だったと記憶しているが、現在は60億である。魂は分裂するものなのだろうか・・。

また、キリスト教は、産業革命以前の世界人口数億程度の時代に、異端審問と称し百万人単位で人間を虐殺したりしている。

私は、宗教を否定はしていない。社会に溶け込めず、自らを救う生命力にかける人たちを救済する機関として、評価はしている。
どの宗教も本来は悪事を進めたりはしないし、心の平安を目指すものだとは思う。しかしながら、どの宗教にも原理主義者が存在するのも事実である。

神様を信じようと、いわしの頭を信じようと、それはよいと思う。
ただキリスト教でさえも発生時は、カルトに他ならず、2000年経った現在でも神を立証できないでいる。

私は人間は死ねば、無になり、後に残るのは肉体と言う名の入れ物だと思っている。母は7年前に他界したが、母は母を知る人たちの胸の中にいるのみであり、天国も地獄にもいないと思う。
貧しい考えなのかもしれないとは思う。しかしながら、死ぬ瞬間まで、神にあわせる両手があるのなら、その両手でもがきたいと思うこのごろである。

2004/02/26(木) 思い込みとわし
私は、かなり惚れやすい男である。
しかも、恋愛のカースト制度を無視しがちな男でもある。
つまり、自分の実力を無視して突き進むタイプである。
熱しやすく、「冷めない」男である。
その原動力は・・・思い込みである・・・。
(誤解を招かないように、言い訳しておくが、突進するのは5年に1回くらいである。ちなみにもう5年以上じっとしている・・。)

思い込みというのは、おそろしいものである・・。
一種の宗教である・・。
出会った瞬間に「あぁ」とか言ってしまい、空を見上げ両手を合わせ、「あぁ 私はこの時の為に生まれたのですね」などと口走ってしまうのである。ちなみにキムタクのような美男には程遠い私がである・・。もし相手に聞こえていたら、アルカイーダの自爆テロを送りつけられることは確実である・・。
が、私はもうなにも耳に入らなくなっているので、いつ「好きです」というものか、たくらんでいたりするのである。

私も学生時代はなかなか言い出せずに、好きな女の子に頼まれて、友達に内心泣きつつ紹介などしていた。そのとき、気がついたのである。それは「どんなに仲良くても、言わなくては通じない」ということである。振られて恥をかくのは、いやだが、運命を信じる私は、そんな悠長なことは言っていられないのである・・。

早速いろいろ考えながら、アタック大作戦を実行するのだが・・・。
ほとんどは、( ̄_J ̄)はっ?という感じである・・・。
今考えると、当然で、美少年でもなく、勉強もそこそこの私にとって、長所というか、才能は「熱意」それだけである・・・。

しかし、熱意というのは意外な力を持っているもので、毎日花を抱えて、好きと言い続けるうちに、相手を勘違いさせる力を持っている・・。のちにお付き合いした人は「あれは、一種の洗脳だった・・」と証言したことを、ここに付け加えておこう。

よく好きな人が出来ない・・とか、いい人がいない・・という人たちがいる。が、しかしである。つべこべ考えてるうちに、いい男・いい女というのは、行動力のあるライバルが爪を研いで狙っているのである。振られたらなんて考えず、恥をかくべきである。
なんといっても「鳴かぬなら、鳴かせてみせよう」というではないか。
行動に勝るもの無しである・・多分・・・。

いつもの通り、根拠はない・・・。

ちなみに私の母は親族の総反対を振り切ってスピード結婚し、姉は今の夫と駆け落ちした・・。遺伝とは恐ろしいものである・・。

ついでだが、ここに来てくれている女性読者にご忠告をしておこう。
万が一、私に出会って、あなたが顔をあげた瞬間に、私が空を見上げてなにごとかつぶやいていたら、足早に立ち去ることをオススメしておく・・・。┌( ̄0 ̄)┐ ワーッハッハッハッ・・・・

2004/02/25(水) 雑誌を買いたいわし
先週から東京で、『ビッグイシュー』という雑誌が売られている。
主に新宿・渋谷である。書店では販売していない。
もともとは、ロンドンで始まり、日本には昨年大阪から始まり、現在は東京に広まった。
この雑誌は、ホームレスの方が売っている。目的は独立支援である。

1冊90円で仕入れ、200円で売る。1冊110円の利潤である。
最初に10冊ただでもらえるというから、売り切ってしまえば、2000円がもとでとなる。リアカーにてダンボールを山のように集めて打っている人達は、一山500円ほどであるというから、この2000円は大きい。

そして何よりも、一般の通行人に対して売るわけであるから、身だしなみも整えられ、顔も変わってくるという。ほんの横にありながら、今までなかった接点が出来るのだから、当然なのだろう。

今の世の中、人事とは言っていられない。ほんの数年前まで、札入れを膨らませ、肩で風切っていた人でも、そういう境遇の方はいる。
望んで座り込んだ人もいるだろうが、おそらく多数の方はやむをえずである。この雑誌が根付くのは難しいかもしれないが、なんとか頑張って欲しいものである。ここに書いたからといっても、何の助力にもならないが、もし読んだ人が見かけたら200円の雑誌を買い、立ち去り際に「がんばってね」とでも言って貰えたらと思う。

彼らは家をもたないことから、「ホームレス」と呼ばれるが、それは正しくない。

希望を奪われた彼らは「ホープレス」なのである。
希望だけでは、何の力にもならないのかも知れないが、
「頑張ってね」といわれる後押しは、少なくともドアを開けるかぎにはなる。


http://www.bigissuejapan.com/index.html

2004/02/24(火) 名文句とわし
私の好きな映画のラストシーンに、こんな台詞がある。

「俺たち、もう終わったのかな・・」

挫折した少年が、ふと漏らす言葉である。
この言葉を毎日漏らす人は問題だが、一度も思ったことの無い人はいないだろう。

基本的に私は挫折をしたり、挫折したことのある人がすきだ。
例外もあるが、大抵の人は一回り大きくなり、たとえ成功できなくとも圧倒的にやさしい目をしているのである。
辛い目にあったり、悲しい目にあった人は、やさしいことが多い。
最近、勝ち組・負け組などという言葉をよく聞くが、そういう意味では負け組の方がすきである。

本来楽しめるホームページを目指しているので、こんなことを書くのは禁句かもしれないが、以前住んでいたところの近くには、ホームレスの方たちが住んでいた。恐らく300人ほどいた。
世間的には負け組である。
しかし、話してみるといい人も多く、驚くほど普通の人であった。
犬の散歩をしながら、仲良くなった人に、「うち、居候(この時期、リストラされた友人が一人居候していた)もいるから、もしよかったら一緒に飯でも食って、なんかやりたいこと見つけませんか」といったことがある。
わたしより10歳ほど年上に見えたその人は、深々とお辞儀をして「ありがとう。とてもありがたいですが、私はまだ一人でやっていけます」と言って、私も出すぎたことを言ったとわびた。

そのとき、昔聞いた話を思い出した。
ある時、修道女が行き倒れてる人を見つけ、死にそうなその人を手当てしたときに、その人はこういったそうである。
「どうもありがとう。しかし、これは私の望んだ人生の結果で、あなたのそのやさしさに包まれて、その中で生涯を閉じることは望まない」

その後、しばらく考え込んだものである。
人の数だけ、幸せはあり・・・φ( ̄_ ̄;) うーん ・・。
この答えは、まだ出るまい・・。

少なくとも、人生最後の一呼吸の瞬間に後悔はしたくないと、願うのみである・・。

最初の映画の台詞には、続きがある。
「俺たち、もう終わったのかな・・」といった少年の言葉を受け、もう一人の挫折の味を知る少年が、こう答える。

「まだ、始まってもいねえよ!」

私も、この言葉をつぶやくこと、しきりである・・。

2004/02/23(月) 失恋とわし
私は、かなり惚れやすい男である。
しかも、恋愛のカースト制度を無視しがちな男でもある。
つまり、自分の実力を無視して突き進むタイプである。
ゆえに、失恋に関してはチャンピオンであった・・。

身分無視であるから、いきなり世界王者に戦いを挑んだりし続けていたのである。結果は当然1ラウンドKOである・・。が、同時にあきらめらい男でもあるので、ラッキーパンチがあたるまで、再戦要求するのである。ボクシングと違い、「根負け」という結果があるので、たまに勝ったりもした。

が、悲しいことにキムタクのような実力はない4回戦クラスであるから、防衛は難しい・・・。

負けてしまった私は泥沼にはまり、「けっ!!女なんて・・」とか「出家する」とか、口走ってしまいがちなのだが、友人は「次の戦いに挑め」などと気軽に言うのである。氷河期から、いきなり春になるのはうれしいことではあるが、私としては「敗因もわからないのに、試合には望めない」のである。失恋の後の私は、パンチドランカーに近く、急に泣き出したり、アパートの壁を拳で打ち抜いたりしていた・・。(反省反省)
その苦しさから、身近な選手を見つけて戦いを挑んだりもしたのだが、満足するはずも無く、次から次と亡霊のように「チャンピオンベルト・・」とつぶやきながら、さまよったりしていたのである。

今考えるに、その時の私に必要なものは次の試合ではなく、「敗因究明」と「練習」なのである。

しかし、試合をしないボクサーほど辛いものも無い。相当辛い・・。
「あの選手とは縁が無い」「たいした選手じゃなかった」などとも考えたが、結局未練たらたらで好きだったりするのである。

それからは、試合もせず砂漠の真ん中で立ちつくす日々が続いたものである。テレビを見ても笑わず、食事もまずく、わしは、このまま、死・ぬ・・の・・で・・は・・・。とか思ったものである。

しかし、それでも少しずつ、薄皮をはぐように、笑えるようになり、ご飯も進むようになっていったのである。
それは友人の力もあったし、本を読んだり、音楽を聴いたりした結果だと思う。

結局、砂漠にいた期間というのは、「自分を測定し、理解する」期間なのである。それは、次の試合を待っているわけでなく、内面を見つめつつ、練習に打ち込んでいるトレーニング期間なのである。

本当に望むオアシスが見つかるまでは、辛いのを我慢し、砂漠にて爪を研ぐしかないのである。

今、周りを見渡すと、オアシスも対戦相手もいないので、まだしばらく砂漠にて暮らすことになりそーである・・。

2004/02/22(日) 公式とわし
A= N(*)×f(p)×n(e)×f(1)×f(i)×f(c)×L

これは、何だと思いますか。

N(*)は,1年あたりに誕生する恒星の数
f(p)は,恒星が惑星を持つ確率
n(e)は,惑星が生命を生み得る環境を持つ確率
f(l)は,実際に生命が誕生する確率
f(i)は,誕生した生命が知的生命体に進化する確率
f(c)は,知的生命体が他の惑星の知的生命体との意思伝達手段を発達させる確率
Lは,その状態にある惑星の寿命,つまり文明の継続時間
・・の値が当てはめられます.

簡単に言えば宇宙人に合う確率です。
これは、学者によって、悲観的な人は0に近く、楽観的な人はたくさんいるさぁー、会ってないだけでとなります。

これを我々に当てはめることも出来ます。
親友や妻や夫と出会う確率です。

Nは,地球に生まれる確率
fは,日本に生まれる確率
nは,今生きている確率
fは,会社などで出会う確率
fは,性別等の条件の合う確率
fは,打ち解け、友人になる確率
Lは,夫婦や親友になる確率

これを考えると、やはり凄いですよね。
あなたの横の人は、ほとんど宇宙人です。
もしかして、宇宙で唯一の存在かもしれません。
大切にして感謝しましょー。
私は一人ですが・・。
||||||||||||||(_ _。)ブルー||||||||||||||||

そして・・・。
そこで、これを見ているあなた!!
あなたと私も、いくつかの確率はクリアーしています!!
何かの縁です!!
ですから、たまにはここに来るように!!

絶賛の声・ファンレターは掲示板やメールで受付マース!!
(〃^∇^)o_彡☆あははははっ

と、おちがついたところで、あなたにお聞きします。
あなたの横にいる人は、

「ベストワン」ですか、それとも「オンリーワン」ですか??

2004/02/21(土) 新撰組が好きなわし
新撰組。今は大河ドラマでもやっている。一種のブームである。

私は、尊敬する人はと聞かれると、中学時代から土方歳三と即答していた。彼は、日野市という東京多摩地区の百姓出身であり、近藤勇などと新撰組を結成する。長州・薩摩などが反乱を起こしてからは、江戸・宇都宮・会津・北海道と転戦し、戦死した。
新撰組の評価は時代によって変わってきた。人斬り集団としてテロリストのような評価の時さえあった。
しかし、実際には京都守護職松平容保の配下として、京都の治安維持に努めていたのが、新撰組本来の姿である。
薩摩等が、間違いの無い過激思想のテロリストであり、反乱軍であった。が、残念ながら「勝てば官軍」である・・。
百歩譲って、薩摩等も自らの信念に従っていたとして、納得してもいい。私がどうしても許せないのは、彦根藩のように家康以来の譜代として300年も恩を受けてきた連中が、風向きを察知して、新撰組のいた伏見奉行所などを攻めたことで、納得しきれない。

私の母方は、会津藩士の武家である。祖父が存命の頃までは、白虎隊の話なども伝わっており、薩摩・長州・彦根藩などの連中に対しての、反感は非常に強かった。

結局、土方個人は負け知らずのまま、函館まで転戦するが、五稜郭がおち、一人で、官軍に切り込んで戦死した。

男性から見て、彼の人生は苛烈で、人として美しい。勝ち負けは別であり、むしろ負けを覚悟の上で、その人生に耐え切ったことはすばらしい。土方と共に戦いながら、最後の最後で降伏した人々は、明治政府に組み込まれ、生き延びている。

降伏が決定した後、土方は彼を慕い共に死ぬと言う連中を説得し国に返し、洋式の軍服を捨てて新撰組の羽織を出して、単騎、官軍に切り込み、一本木で銃撃を受け、単身戦死した。
土方といえ、恐ろしかったことは間違いないだろう。ただ、信念と、意地に従い、その孤独な人生を捨てたことは、心から尊敬する。

レベルは違えど、信念を通すか、状況に屈すのかの判断は、多い。
意地を通して負ける人、信念を曲げ生き残る人。
家族などがいる場合、判断は難しくなる。
どちらを選ぶべきだろうか・・・。
もし自分にその決断が迫られたら、顔で笑って心で泣きながら、負けることを選ぶことが出来たらと思う。

新撰組の旗印は「誠」であり、
当時の幕府軍幹部で戦死したのは、新撰組副長・土方歳三。その人、ただ一人である。

男性の唯一の美点とは、「意地」である。

2004/02/20(金) 「Age,35 恋しくて」を見るわし
「Age,35 恋しくて」

フジテレビ木曜劇場として、96年春のクールに放送されていたドラマである。早いものですでに8年になる。東京では夕方に再放送している。
「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「ロンバケ」が、いわゆる月9の代表作であるなら、木10の木曜劇場は「ニューヨーク恋物語」「この愛に生きて」などであり、特に「Age,35 恋しくて」は想い出がある。この時間枠のドラマは、ターゲットを30代にしており、当時20代半ば過ぎの私も見ていた。
ドラマを毎回見ることはなかなか無いのだが、これは見ていた。
柴門ふみ原作のこのドラマは、サラリーマン夫婦を軸に、若い女性に安らぎを求める夫、陶芸家の男にときめきを見いだす妻の姿が描かれている。
いわゆる不倫ドラマだが、ストーリーの芯は、本当の夫婦愛はなにか。ということである。
主題歌であったシャ乱Qの「いいわけ」を聴くと、当時がぱっと甦ったりもする。

あれから8年経ち、幸か不幸か未だに一人で暮らす日々だが、こうしてテレビをつけ、当時の自分と会話するのも、感慨深いものである。

当時肩を並べドラマを見ていた結婚してしまったあの人が、今幸せに暮らしているか、柄にも無くふと気にかかる2月の暖かかった日の夕方である。 

2004/02/19(木) モーニング娘について語るわし。
アイドルグループ。「モーニング娘」
今の日本において高い知名度を誇るグループである。
年齢格差は当然としても、彼女らをまったく知らないという方は、ほとんどいないのではないだろうか。
今や、テレビをつけていて彼女らの姿を見ない日はない。

私も知っているが、さほどの興味もないし、名前もあまりわからない。
一昨年のことになるが、新宿を歩いていて町の風景がいつもと違うことに気がついたことがある。鉢巻やうちわを手に持ち、一心不乱にある地点を目指し、20代半ばから30代の男性が歩いているのである。多数である。
彼らの目的地は、コンサートホールであり、「あやや」のコンサートに向かうファンの姿であった。
その際に見慣れない光景にショックを受けたのであるが、街中で声を上げ応援の練習をするもの、道端に座り込み語り合うもの・・。少なくとも私の目には、多少奇異に映ったのを記憶している。

彼女たちに限ったことではないが、アイドルという職業には、一定の共通項が多い。
1・目が大きい。2・半開きの唇。3・大柄ではなく。4・あどけない。
こういった言い方をすると語弊を招きかねないが、それらの共通項が連想させるものは、幼児性である。
幼児性とは、自らの生存に対して無力であり、他者の保護を不可欠としている。
言い換えれば、幼児とは他者のコントロールを容易に受ける存在である。
例をあげれば、青年誌・成人誌といわれる男性向け漫画にこういった傾向は顕著に現れる。漫画は商品であるから、当然エンドユーザーの要求にこたえるものとなるのだが、登場する女性像は、さきほど示した幼児性に、成熟した女性を加えたものが多い。
すなわち、幼い笑顔に、成熟したからだの若い女性となる。
こういった女性像を取り上げたものが、相当数売れているということは、そのような女性を求める男性が多いということに他ならないと言っても、さほどの間違いではないだろう。この偶像の対極は、他者の支配を受けず、意思を明確に示す女性となる。

私には、本来女性を征服するとされた男性が現実の社会での生活のストレスなどを受け、反動としてアイドルに被征服者の姿を投影しているように思える。
実生活では、背丈も生活力も対等に近くなり、まして都市部では常に男性人口が女性人口を上回る。ようは、男性があぶれているのである。実力を伴う男性は、その状況においてもパートナーを獲得していくが、それができない男性陣は、自らの欲望に従いコントロール下におけそうな女性を探し始める。つまり、無力な幼児性をもった女性像となる。そういうことを突き詰めていくと、少女を数年間監禁していた男性、多発する連れ去り事件も、そういった傾向に歯止めのきかなくなった人たちが起こしたように思えてならない。(アイドルファンだ!などというつもりは無い。)

先日見たテレビで30代半ばの男性が、モーニング娘のコンサートで感動し泣いているのを見た。
彼はファン活動に1000万円以上つぎ込んでいるという・・。

ちなみに、アイドルの和訳で多くの辞書は「偶像」としていることが多いが、本来アイドルとはラテン語の「イドラ(idola)」を語源としており、その意味は、「幻影」や「虚像」を表す言葉である。

イドラの反対語はイデアであり、意味するところは「真実」である。

2004/02/18(水) 詩について語るわし!!
皆さんは、詩というものに、どんなイメージを持っているだろうか。
詩・・ポエム・・恋・・ロマンチック・・素敵なあなた・・野に咲く一輪の野ばら・・。
こんなイメージの人もいるだろう。
先日発表された芥川賞の受賞作のような小説などは、一回に数万部印刷される。近年では「世界の中心で、愛を叫ぶ」などが、そういった作品のひとつだろう。しかし、詩集というものは、高名な賞をとったものであれ、出版数は数百部でしかない。これが日本における詩の現状である。

ある詩人がいる。三代目魚武濱田成夫という男である。
「ヤングサンデー」という発行部数が30万部を超える雑誌で詩を連載し、芸術化気取りの詩人、もしくは評論家連中にガツンと蹴散らし、「俺は詩だけで食っている」「俺は自分をほめたたえる作品しかつくらない」と公言する破格の男である。
大阪の西宮の寿司屋の生まれで、高校を越境入学して京都の美術系に行き、フランスのトップモデルとフランスで1年位同棲し、ニューヨークのソーホーの壁に悪戯書きをして警察に捕まり、日本に帰ってきてから詩人をしながら、ぴあの連載したり、最近では、ローリングストーンの日本盤に詩を書いたり、セックスピストルズのも手掛けたり、U2のボノにインタビューしたり日本盤に詞を書いてる人物である。ちなみに、大塚寧々の夫であった。
彼の作品に出会うまで、私にとって詩とは、中也であり藤村であった。
しかし、彼の詩は俗っぽく大阪弁で叫ぶように放たれ、「語りかける」「投げかける」といった表現とは対極のものであり、その表現方法は「たたきつける」といった印象を与える。
魂の一言にも彼の言葉を紹介させていただいた。

「君が前の彼氏としたキスの回数なんて俺が3日でぬいてやるぜ」

「おまえがこの世に5人いたとしても5人ともこの俺様の女にしてみせる」

正しくは詩ではなく、作品タイトルである。この強烈さである。
彼に関しては、おそらく好き嫌いがはっきり分かれる。あるものは嫌悪し、あるものは惚れ込むだろう。
確実にあくは強い・・が、生きるパワーを与える詩を書く。
「いい男がいない」「自信がもてない」という方は、これを機に一冊手にとって欲しい。
その場で熱烈ファンになるか、二度と手にしないかのどちらかになる。
キャプテン、一押しのオススメである。

最後にパリの新聞からインタビューをうけたときの言葉を紹介する。

「なにか影響をうけたものはありますか?」 

彼はこう言った

「何に影響うけたかだって? 少年ジャンプだよ少年ジャンプ!!!」

φ( ̄_ ̄;) うーん 苛烈であることは、間違いない・・・。

このコメントがパリの新聞に載ったかどうかまでは知らないが・・・

2004/02/17(火) 心について考えるわし!!
「心の時代」だそうである・・。わし的には、なんのこっちゃである・・。
実際の社会を見ても、ニュースを見ても、ネットを見ても、「傷ついた!傷ついた!」である・・。
悪いとは言わんが、少々目に余る・・。
小学生が教師を訴え、夫はギャンブルに逃げ、妻はありもしない出会いに逃げ、マスコミは言葉の暴力と騒ぎ立てる・・。
まったく┐( -"-)┌ ヤレヤレである・・。
チャットをすることのある方なら、一度「鬱」の部屋に言ってみることをオススメする。驚くほどの世界であり、社会的に成熟した人間は皆無に近く、言うことと言えば「辛い!辛い!」であり、声高に私こそ傷ついていると主張している。まるで傷つくことが、心の豊かさを表しているとでも、いいたげだ。

彼らは待っているのである・・。「そっかー。辛かったね。僕が守ってあげるから、なにもしなくていいよ」と言われるのを・・。根本的に苦手な人間との接触を嫌い、両親の誤まった保護のもと、引きこもる子供と同じであり、精神的に未熟である。
また、心の傷という言葉がでると、学校・親・社会は、水戸黄門の悪代官のようにひれ伏し、原因究明を押し付ける・・。
原因など、ありはしないのである。人間にとって他者との完全なる相互理解などありはせず、常に心理的なストレスにさらされるのが、自然な状態なのである。あとは程度の差である。
泳げないと泣く子供をよしよしと甘やかしていては、その子はいつまでたっても泳ぐ事は出来ない。本来であれば、親たるもの鬼になって水に叩き込むのが、正しいのではないかと、わしは思う。違うだろうか・・。
社会にでれば、泳げなくとも「泳げ!!」と迫られる時はいずれ来る。親や友人のように助けてくれるものもいない時、彼らは自分の部屋で座して死を待つのだろうか。もし空腹にも、困窮にも負けず、それだけの覚悟があるならば、ある意味見上げたものである。

わしはかつて空手等をやっていた。先輩に言われると理不尽なことでも「押忍!!押忍!!」の世界であり、テニスやスキーとかの好きな連中に、オス!!とからかわれたものである。しかしながら、彼らスポーツ側の人間は、武道たるものを本質的に理解していない。
「押忍」とは、忍び難きを忍び、我慢の限界に達しても、さらに押して忍ぶことである。それは、屈することではない。
なぜなら忍ぶという文字は、心の中に、相手や己の弱さを斬る刀を忍ばせているからである。

2004/02/16(月) ビデオを見たわし!!
今日は「シュリ」のビデオを見た。おそらく10回目くらいだ。
政治的緊張下での北と南の水面下の戦いと、個人の愛を描いているのだが、終わったあと、いつも物悲しい気持ちになる・・。職務に忠実であるがゆえ恋人を撃つ公安の男。
男を愛しつつも、国家への忠誠を貫く女。

この映画以来、韓国映画の上映も増えた。今度「シルミド」という映画が上映される。実際にあった事件で、対北のための暗殺工作員が作戦中止に憤り、反乱を起こしてしまう映画である。韓国には常にこういった緊張感が感じられる。110番のように、スパイ密告の番号もあると聞く。
一方、日本はというと先日、自衛隊の件で討論するチャンスがあった。話していて感じたのだが、ある20代前半の男性が言った。

「いざとなったら、アメリカの国債を手放すと、アメリカを脅してやらせればいい。」
また、ある男性は
「恋人が目の前で犯されていても、争いには加わらない。相手を殺すくらいなら、やめるように説得することに命をかける」

2人とも恐らく血を吐くような喧嘩の経験はあるまい・・。戦争も喧嘩もよくはないし、誰も望んではいないだろう。しかしながら、殺意を持って向かってくる人間を止めることは出来ない。彼らは殴ったことも、蹴り倒されたこともないのだろう。人間は苦痛や恐怖には簡単に屈する・・。極論を言えば、暴力を押さえ込む力は、最終的にはそれを上回る暴力だけだ。拳銃をお互いに突きつけあっていることが、歪ではあっても現代の平和の形だと思う。いろいろなメディアで戦争反対と叫んだり、イラクに赴く隊員たちに「反対」と叫ぶ人たちを見ると、なんともいえない不快感を感じる。
彼らは、我々がこの半世紀アメリカと言う名のライオンの背中で、ぬくぬくと育てられ、去勢されたノミであることを認識していない。仮に日本が争いに巻き込まれたとき、彼らは自衛隊に守られながら、隊員に罵声を浴びせているに違いない。それが彼らの「自由と権利」なのである。子供の頃、戦争反対とアメリカ基地の前で叫ぶ人たちを見るたびに、疑問を感じたものだ。「なぜ、同じことをモスクワや北京でやらないのか?」と・・。

私も戦争反対である。家族や恋人が死ぬところは見たくはない。
しかしながら、身内を奪われるのなら、負けるのを覚悟の上で、笑って切り込める人間でありたいと思う。

先日、1枚の写真を見た。
膝まずき射殺される捕虜と、彼を撃つ兵士である。
暴力否定・無抵抗主義の方たちに、私は問いたい。

「あなたは、どちらの道を選ぶのか?」

殴らなければ、殴られないという理屈や、
完全なる平等の上での平和など、書物の中の世界にしかない。

2004/02/15(日) 10年前のわし!!
君が彼とけんかをして泣いてた時、僕はすかさず君の味方をしたけれど
君は笑って「いいのよ」なんて、僕だったら僕だったら、君を君を悲しませたりしない。
お願い。恋をしてキレイになってく君を見ているのは
つらいから、もうここには来ないで、言えないよ。逢いたいから。

古内東子というシンガーの「逢いたいから」という詩である。この詩を初めて耳にしたのは、ほぼ10年前である。当時は建築現場でアルバイトしていた。あるビルのゴンドラに乗って、ラジオを聞きながら、窓の修理をしていた。ラジオでドーハの悲劇のせいで、まだDJをしていたジョンカビラがないていた記憶があるから、おそらく間違いない・・。ポップスを歌う女性シンガーで、ここまではっとさせられたのは古内東子と、Coccoと数年前の柴田淳の3人だけである。ヘルメットをかぶり、真っ黒になりながら仕事をしていたが、薄汚れたラジオからこの詩が聞こえてきて、手が止まったものである。当時は好きな人はいても伝えることが出来ず、毎日、役者をしてる友達と道路に座り込んで、菓子パンを昼飯代わりにしていたものだ。はっきり言って、古内東子とは、一番遠いイメージではある・・。しかし未だにこの詩を聞くと、その時のことが鮮明に思い出される。もともと不良になるほど度胸はない人間なので、淡々と生活し、なにか聞かれると「別に・・」と無愛想な態度をとっていた頃だ。感情は押し殺して、ふてくされていたと思う。そういう時に聴いたこの詩は痛かった。4畳半のアパートで聞いていた頃を思い出す。愛情を伝えるのが怖かった当時と、愛情を手にするのが怖い現在、果たしてどちらが怖がりだろうかと、ふと思う34歳の2月である。ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!

2004/02/14(土) 無縁なわし!!
世はバレンタインである・・。
聞いたところではお菓子の会社がキャンペーンとして、
始めたものであるらしい。
ホワイトデーは飴の会社が30年程前に、始めたものだ。
ヨーロッパの文化で浸透していない日本では、
チョコレートの売上の4割は、この時期にかかっているらしい・・
今年も数十億円のチョコレートが飛び交っていることだろう。
プレゼントは誰にとってもうれしいものであるし、
好きな人の笑顔を見ることは、
何者にも変えがたい喜びのひとつだと思う。
しかしながら、テレビでのバレンタイン特集で、はしゃぐタレントと、
街角を背を丸め、足早に歩いている人たちとの対比が、
どこか引っかかる・・。

カウンターと、掲示板が設置できた・・できてるはず・・
できるかな・・できるといいな・・。

夜はコーヒーの部屋へ4時ごろまで過ごす。

2004/02/13(金) 聞き惚れたわし!!
森麻季のCDを購入。
繊細でありつつも、ダイナミックなソプラノボイスは、
何度聴いても最高である。
オペラがお好きでない方にも、是非お勧めしたい。
リンがちょっとだるそうで、具合が悪い・・。ちと心配である。

2004/02/12(木) 考えるわし!!
朝からホームページ改造する。
掲示板とカウンターが設置できない・・。
犬のコーナーに愛犬をアップする。
また、現代の犬たちについても書いてみる。
お時間ありましたら、読んでみてください。ペコリ(o_ _)o))。

2004/02/11(水) つまずくわし!!
徹夜したので、朝になってから寝る。
起きてニュースで休日だったらしいと気がつく。
犬を2匹ともクリーニングする。
紅白が再放送されていたので、何年かぶりに見るが、
痛い演出に┐( -"-)┌ ヤレヤレ。
ホームページに手を加える・・。
3年程前のソフトなので、説明書探しまくる。
単語自体がわからないものも多い・・。

2004/02/10(火) 遂に決心するわし!!
徹夜。朝の8時にホームページ作成を思いつく。苦戦する・・。
ジュエルもリンも、至って元気。雲ひとつない天気に、
2匹ともはしゃぎがち。
最近よく聴くボーカリスト・柴田淳を聞きつつ、
ホームページ作成を続行。
思わぬ長文の作成に、昼過ぎにばてる・・。疲れた・・。
今夜には、テストを兼ねてアップしたい。

いつものように夜「コーヒー好き」の部屋へ。4時ごろにお開き。
ちと時間を持て余す。
そういえば、今日秋葉原にてビル火災。
CDを買いにいったり、1階の店でドーナツ買っていたところなので、ちと残念。


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