わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/02/16(月) ビデオを見たわし!!
今日は「シュリ」のビデオを見た。おそらく10回目くらいだ。
政治的緊張下での北と南の水面下の戦いと、個人の愛を描いているのだが、終わったあと、いつも物悲しい気持ちになる・・。職務に忠実であるがゆえ恋人を撃つ公安の男。
男を愛しつつも、国家への忠誠を貫く女。

この映画以来、韓国映画の上映も増えた。今度「シルミド」という映画が上映される。実際にあった事件で、対北のための暗殺工作員が作戦中止に憤り、反乱を起こしてしまう映画である。韓国には常にこういった緊張感が感じられる。110番のように、スパイ密告の番号もあると聞く。
一方、日本はというと先日、自衛隊の件で討論するチャンスがあった。話していて感じたのだが、ある20代前半の男性が言った。

「いざとなったら、アメリカの国債を手放すと、アメリカを脅してやらせればいい。」
また、ある男性は
「恋人が目の前で犯されていても、争いには加わらない。相手を殺すくらいなら、やめるように説得することに命をかける」

2人とも恐らく血を吐くような喧嘩の経験はあるまい・・。戦争も喧嘩もよくはないし、誰も望んではいないだろう。しかしながら、殺意を持って向かってくる人間を止めることは出来ない。彼らは殴ったことも、蹴り倒されたこともないのだろう。人間は苦痛や恐怖には簡単に屈する・・。極論を言えば、暴力を押さえ込む力は、最終的にはそれを上回る暴力だけだ。拳銃をお互いに突きつけあっていることが、歪ではあっても現代の平和の形だと思う。いろいろなメディアで戦争反対と叫んだり、イラクに赴く隊員たちに「反対」と叫ぶ人たちを見ると、なんともいえない不快感を感じる。
彼らは、我々がこの半世紀アメリカと言う名のライオンの背中で、ぬくぬくと育てられ、去勢されたノミであることを認識していない。仮に日本が争いに巻き込まれたとき、彼らは自衛隊に守られながら、隊員に罵声を浴びせているに違いない。それが彼らの「自由と権利」なのである。子供の頃、戦争反対とアメリカ基地の前で叫ぶ人たちを見るたびに、疑問を感じたものだ。「なぜ、同じことをモスクワや北京でやらないのか?」と・・。

私も戦争反対である。家族や恋人が死ぬところは見たくはない。
しかしながら、身内を奪われるのなら、負けるのを覚悟の上で、笑って切り込める人間でありたいと思う。

先日、1枚の写真を見た。
膝まずき射殺される捕虜と、彼を撃つ兵士である。
暴力否定・無抵抗主義の方たちに、私は問いたい。

「あなたは、どちらの道を選ぶのか?」

殴らなければ、殴られないという理屈や、
完全なる平等の上での平和など、書物の中の世界にしかない。


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