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2004/02/17(火)
心について考えるわし!!
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「心の時代」だそうである・・。わし的には、なんのこっちゃである・・。 実際の社会を見ても、ニュースを見ても、ネットを見ても、「傷ついた!傷ついた!」である・・。 悪いとは言わんが、少々目に余る・・。 小学生が教師を訴え、夫はギャンブルに逃げ、妻はありもしない出会いに逃げ、マスコミは言葉の暴力と騒ぎ立てる・・。 まったく┐( -"-)┌ ヤレヤレである・・。 チャットをすることのある方なら、一度「鬱」の部屋に言ってみることをオススメする。驚くほどの世界であり、社会的に成熟した人間は皆無に近く、言うことと言えば「辛い!辛い!」であり、声高に私こそ傷ついていると主張している。まるで傷つくことが、心の豊かさを表しているとでも、いいたげだ。
彼らは待っているのである・・。「そっかー。辛かったね。僕が守ってあげるから、なにもしなくていいよ」と言われるのを・・。根本的に苦手な人間との接触を嫌い、両親の誤まった保護のもと、引きこもる子供と同じであり、精神的に未熟である。 また、心の傷という言葉がでると、学校・親・社会は、水戸黄門の悪代官のようにひれ伏し、原因究明を押し付ける・・。 原因など、ありはしないのである。人間にとって他者との完全なる相互理解などありはせず、常に心理的なストレスにさらされるのが、自然な状態なのである。あとは程度の差である。 泳げないと泣く子供をよしよしと甘やかしていては、その子はいつまでたっても泳ぐ事は出来ない。本来であれば、親たるもの鬼になって水に叩き込むのが、正しいのではないかと、わしは思う。違うだろうか・・。 社会にでれば、泳げなくとも「泳げ!!」と迫られる時はいずれ来る。親や友人のように助けてくれるものもいない時、彼らは自分の部屋で座して死を待つのだろうか。もし空腹にも、困窮にも負けず、それだけの覚悟があるならば、ある意味見上げたものである。
わしはかつて空手等をやっていた。先輩に言われると理不尽なことでも「押忍!!押忍!!」の世界であり、テニスやスキーとかの好きな連中に、オス!!とからかわれたものである。しかしながら、彼らスポーツ側の人間は、武道たるものを本質的に理解していない。 「押忍」とは、忍び難きを忍び、我慢の限界に達しても、さらに押して忍ぶことである。それは、屈することではない。 なぜなら忍ぶという文字は、心の中に、相手や己の弱さを斬る刀を忍ばせているからである。
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