わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/02/21(土) 新撰組が好きなわし
新撰組。今は大河ドラマでもやっている。一種のブームである。

私は、尊敬する人はと聞かれると、中学時代から土方歳三と即答していた。彼は、日野市という東京多摩地区の百姓出身であり、近藤勇などと新撰組を結成する。長州・薩摩などが反乱を起こしてからは、江戸・宇都宮・会津・北海道と転戦し、戦死した。
新撰組の評価は時代によって変わってきた。人斬り集団としてテロリストのような評価の時さえあった。
しかし、実際には京都守護職松平容保の配下として、京都の治安維持に努めていたのが、新撰組本来の姿である。
薩摩等が、間違いの無い過激思想のテロリストであり、反乱軍であった。が、残念ながら「勝てば官軍」である・・。
百歩譲って、薩摩等も自らの信念に従っていたとして、納得してもいい。私がどうしても許せないのは、彦根藩のように家康以来の譜代として300年も恩を受けてきた連中が、風向きを察知して、新撰組のいた伏見奉行所などを攻めたことで、納得しきれない。

私の母方は、会津藩士の武家である。祖父が存命の頃までは、白虎隊の話なども伝わっており、薩摩・長州・彦根藩などの連中に対しての、反感は非常に強かった。

結局、土方個人は負け知らずのまま、函館まで転戦するが、五稜郭がおち、一人で、官軍に切り込んで戦死した。

男性から見て、彼の人生は苛烈で、人として美しい。勝ち負けは別であり、むしろ負けを覚悟の上で、その人生に耐え切ったことはすばらしい。土方と共に戦いながら、最後の最後で降伏した人々は、明治政府に組み込まれ、生き延びている。

降伏が決定した後、土方は彼を慕い共に死ぬと言う連中を説得し国に返し、洋式の軍服を捨てて新撰組の羽織を出して、単騎、官軍に切り込み、一本木で銃撃を受け、単身戦死した。
土方といえ、恐ろしかったことは間違いないだろう。ただ、信念と、意地に従い、その孤独な人生を捨てたことは、心から尊敬する。

レベルは違えど、信念を通すか、状況に屈すのかの判断は、多い。
意地を通して負ける人、信念を曲げ生き残る人。
家族などがいる場合、判断は難しくなる。
どちらを選ぶべきだろうか・・・。
もし自分にその決断が迫られたら、顔で笑って心で泣きながら、負けることを選ぶことが出来たらと思う。

新撰組の旗印は「誠」であり、
当時の幕府軍幹部で戦死したのは、新撰組副長・土方歳三。その人、ただ一人である。

男性の唯一の美点とは、「意地」である。


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