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2004/02/27(金)
宗教について考えるわし
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オウムから9年経ち、判決が出た。 が、ここでオウムのことに関してはまだ書かない。よく消化してから書こうと思う。
今日は一般的な宗教について書く。 大きな宗教といえば、キリスト教・仏教・イスラム教があり、他にもヒンズー教・ユダヤ教などがあり、国内に目を向ければさまざまな宗教がある。
私はキリスト教系の学校に6年通い、毎日賛美歌を歌っていたし、毎週礼拝に出ていたが、信徒として帰依はしていない。 理由は、信ずるに値するだけの説得力に欠けるからである。 世界人口のほとんどは何かしらの宗教の信徒と言われているが、いずれも神の存在に対して、立証責任を放棄しているとしか思えない。
物理学者はデータを示し、医学者は実験にて、理論などを反復立証する。宗教家の方たちは、この点がかけているといわざるを得ない。 以前、チャットでさまざまな宗教の方と話すことがあったが、非常に興味深かった。
ある方は、進化論を否定し、神は世界や人間を数万年前に作ったといっていた。それ以前は存在していないという・・。では、なぜ何十万年光年の銀河の光が、観測できるのか・・。もし数万年前に出来たのなら、その光は届いていないはずである。
ある方は、我々は全て生まれ変わりだという。人類が発生した際の人口は1500万程度だったと記憶しているが、現在は60億である。魂は分裂するものなのだろうか・・。
また、キリスト教は、産業革命以前の世界人口数億程度の時代に、異端審問と称し百万人単位で人間を虐殺したりしている。
私は、宗教を否定はしていない。社会に溶け込めず、自らを救う生命力にかける人たちを救済する機関として、評価はしている。 どの宗教も本来は悪事を進めたりはしないし、心の平安を目指すものだとは思う。しかしながら、どの宗教にも原理主義者が存在するのも事実である。
神様を信じようと、いわしの頭を信じようと、それはよいと思う。 ただキリスト教でさえも発生時は、カルトに他ならず、2000年経った現在でも神を立証できないでいる。
私は人間は死ねば、無になり、後に残るのは肉体と言う名の入れ物だと思っている。母は7年前に他界したが、母は母を知る人たちの胸の中にいるのみであり、天国も地獄にもいないと思う。 貧しい考えなのかもしれないとは思う。しかしながら、死ぬ瞬間まで、神にあわせる両手があるのなら、その両手でもがきたいと思うこのごろである。
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