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2004/03/02(火)
ジェンダーフリーを疑うわし
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今までの日記でも、ふつー書かないようなことを書いてきたが、このこともある意味タブーである。しかし、書かずにいられないことなので、敢えて書かせてもらう。あくまで私の個人的意見である。
ジェンダーフリーという言葉をご存知だろうか?? ジェンダーフリーとは、過激なフェミニストが打ち出した思想である。 内容は「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と決め付けずに、自分らしく生きていこうという思想である。
いっておくが、私は男尊女卑主義者ではない。ここの読者の方なら知っている方も多いと思うが、セクハラは嫌いだし、洗濯炊事も嫌いではない。女性の上司がいれば、プロである限り従うし、コピー取りでもお茶汲みでもやろう。ジェンダーフリーは一見正しいことを言っている。女性を女性であるというだけで、虐げたりするのはもちろん反対である。
が、しかしである。 ジェンダーを唱える人々の論法はとても容認できるものではない。 彼らが反対を唱えるもののひとつに「ミスコンテスト」がある。 私は水着姿が見たくて、文句をいっているわけではない。 彼らの意見は、審査員の前に出場者が一人一人進み出て、審査を受ける姿が、かつての黒人奴隷を彷彿とさせ、女性蔑視をしているというのである。
とんでもない話である。こういっては失礼だが、愚かというほか言葉が見つからない!!!!!!!!!!!!!!! もちろん奴隷ならそれは悪である。ではなぜ悪なのか。 それは奴隷たちの「自由意志」を無視しているからである。 しかしながら、ミスコンの出場者は自らの意思でオーディションを受けているのである。 それは美という価値観を測定する行為であり、主催者・出場者ともに自ら、その行為を認識している。 また、一人一人舞台にたち、評価を下すという方法についてだが、測定するものが、美である以上、誤まった方法ではない。
彼らは美を競うこと自体も否定する。 が、美は明らかに生まれ持った才能と、日々の努力の賜物である。 彼女らは美しいといわれる価値観に対して、手入れや努力を欠かしてはいない。 才能を競うのが悪なのか。もしそうだとすれば、受験や、オリンピックも悪となる。なぜなら、筆記テストや、運動能力の競い合いは、知力や体力という才能の測定の場であるからだ。 才能の優劣を測定することに問題があるというならば、ジェンダー主義者はオリンピックも否定せよ!! レスリングなどはかつてパンクラチオンと呼ばれ、奴隷同士を死ぬまで戦わせた競技ではないか!!!!!!!!!!!
確か2週間ほど前の報道で、世界各国の高校生の男女意識調査の結果がでた。結果は日本が最低であった。それぞれの性別らしくあれという答えが20パーセント前後であり、各国の半分以下である。 嘆かわしいことである。
私は子供の頃から、武道・格闘技をやっていたが、女性が、土足で土俵に上げるのは、断じて認めない。これは、伝統に基く区別であり、差別ではない。そして我々男性も宝塚に上げてくれと求めようとも、思わない。
ジェンダー主義者に質問したいのだが、本当に男女区別を無くすというのなら、仮に将来日本が有事に巻き込まれた際に、敵国兵士に暴行拷問されるのを覚悟の上で、我々男性と前線に立つのか、是非伺いたいものである。
私が間違っているなら、是非ご指摘いただきたいものである。
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