わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/03/22(月) 長距離恋愛について考えてみるわし
いつもチャット絡みの話になってしまうが、眠れなかったので、朝から日記を書いてみようと思う。

先日、「愛する愛されるということ」とか言う部屋でお話をさせていただいた。
部屋に入ると、20代らしき女性が、他の人たちに恋愛について相談していた。
彼女は既婚者であるが、別に恋をしているらしい。
不倫について書くと長くなるので、今回は割愛する。

用は夫の転勤についていくので、彼氏と逢えなくなり、彼の気持ちが離れてしまうのではないかと言うものである。
はっきり言わせていただいて、この相談自体は取るに足りないものであるが、長距離恋愛については考えさせられるものがある。

我々30代にとっては、長距離恋愛と言えばシンデレラエクスプレスであり、新幹線のホームに佇む恋人たちと言うのが思い出される。
しかし、今ではネットも普及し、携帯・メール・チャット・メッセ・IP電話・テレビ電話と、長い距離を縮めてくれる物が普及している。

普通の仕事をしているものにとっては、なかなか恋人と毎日会える物でもないだろうから、あえない日は近距離でも活用していると思う。

しかし、人は嘘をつくものなので、そうそう甘いものではない。
浮気をするものは多い。浮気をしないものもいる。
浮気をしない者のかなりのパーセンテージは、ばれたときに対するペナルティーやリスクを考え、しない人も多いだろう。
絶対にばれないと言う条件が提示されれば、しない数は激減するはずだ。

彼女は近くにいて顔を見てると幸せなのに、離れると不安でたまらないと言っていた。
それは思い違いである。
それは不安なのではなく、ただ「寂しい」だけだ。

今の時代、皆が不安だ不安だ、愛されたい愛して愛してと言う。
これも思い違いだ。
己を現状のままでいて、最高の待遇を求めても、与えられるものではない。
手を差し出せば、与えられるものではない。
愛されたいと言う気持ちが強いのは、愛したいと言う気持ちが弱いからだ。
気持ちはたぶんに理解できるが・・。

夫婦と言うのは、愛を誓っている。
誓いとは、自分の全存在・人生を賭けるものだ。
ゆえにその決意は固く、簡単に揺るぐものではない。
距離などが妨げるものではないと、考えたい。

彼女に投げかけたいことがあった。
が、甘えている彼女には意味もわからないであろうから、言わなかった。
それは彼を失っても、彼に対する想いを貫けるかと言うことである。

究極の遠距離恋愛は、「死」である。
そこには、メールも電話も届かず、届くのは想いだけだ。
死んだものは、思いを残すこと以外に何も与えてはくれない。
相手から与えなれない、一見無益な関係に価値を見い出せというのは、彼女には酷であろう。

死が2人を遠ざけたときに、果たしてどれだけの愛をささげられるか。
続けられる人間が、どれほど残るか・・。
それを考えれば、仮に月に相手がいたとしても、問題ではないと思う。
愛してくれないなら、愛さないと言うなら、それは愛ではない。
ましてや、結婚においての誓いなど単なる「契約」に、なってしまう。

貞操を誓う・愛を誓うなど、言い方はなんでもいい。
約束・誓いというものは、自分の存在を賭けて行うものだ。
ゆえに、その愛を選ぶと言うことは、自分自身が反映される。

相手に愛されなくても愛し続けると言う、ある種の「狂気性」こそが、純粋な愛と考えるのは、飛躍しすぎた考えだろうか。

少なくとも、我々には自分の恋人や伴侶を失っても、思い続けることができるのか、考えることは有意義なものだろう。


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