わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/03/25(木) 酒場とわし
私は酒が弱い。殆んど飲めない。

特に日本酒やウイスキーのような「わし・・酒だかんね!!」的酒はまず飲めない。
ビールも苦い炭酸飲料という感じだ。

飲めるものといえば、口当たりのいいモスコミュールのようなカクテルだ。うーん、後はなんとかサワーみたいなものくらいだ。

しかし、酒場と言うのは大好きである。
ここで言う酒場とは、学生が大騒ぎする店などは含まない。
昔、新宿の3丁目の小劇場の向かいの地下に好きなお店があり、よく足を運んだ。
そこの親父さんと言うのが面白い人で、いろいろなことを教えてもらったものだ。
モスコミュールも彼に教えてもらったし、いろんな料理の作り方もおそわった。

当時はバブルの香りも残っていた時代だが、その店にはそんな気配もなく、貧乏役者や編集者が新作の舞台の話をしていたり、こっちの話に割り込んでくる奴と討論会のようになっていて、楽しい時間だった。

お金もなく、情報誌に載っているような店にいく金もなかったし、金があっても気後れしていた。当然、金が入ってデートにするにしても、芝居や映画を見て、その店に行っていた。
おぉ!!女連れ!!と驚く親父に紹介して楽しく過ごすが、次にその店に行くときは大抵ふられて一人ぼっちだった。

そんなときに、失恋王といわれるわしは、またしてもふられその店で親父に声をかけられ、つい泣いてしまったことがある。
その親父も好きな人と別れ、自殺しようと思いつめたときに知らない人に声をかけられ、泣いたことがあるという話を店を閉めた後午前4時までしてくれた。
その親父は見た目は熊のような男だったが、いつも無口で厳しい人だったが、優しい目をしており、いい男だった。

先日、新宿にいくことがあり、尋ねてみると店はなくなっていて、代わりに浮ついた装飾の店が入っていた。
友人に聞くと、貧乏経営で店をたたんだと言う。
いい場所だったので、やり方によっては繁盛しただろうに、悪酔いした客は帰らせるような頑固者だったので、時代にはじき出されてしまったのかも知れない。

親父に教わったモスコミュールは、正しくはモスコー・ミュールといい、ライムジュースとジンジャーエールでウオッカを割った酒で、口当たりがいい。

名前の意味は「モスクワの騾馬」と言う意味で、騾馬が転じて、「頑固者・わからずや」と言う意味だ。
新宿の頑固親父は、今でもどこかで、安酒でも出しながら、振られた男でも慰めてるに違いない。


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