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2004/03/26(金)
先輩・後輩を考えるわし
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小学生の頃、中学生と言うのはずいぶんと大人に見えた。 中学時代、甲子園に出ている高校生も同様である。
私は、スポーツと言っても集団競技ではなく、個人競技である格闘技好きであるので、まず何よりも縦社会を叩き込まれる。 学校にしても、決められた一定期間は寮に入らなければならなかった。 1年と言うのは、ほとんど上級生の奴隷である。 掃除洗濯もやるし、軽いいじめやしごきもあった。 かといって、縦社会は批判しないし、どちらかと言うと肯定したい。
近年実社会で会う人たちの中には、まったく人見知りせず、友だちのように話し掛けてくる若者がいる。 親しくするのはかまわないが、敬うという価値観は希薄になってきている。 一般の会社などでも、パソコンを駆使する若者が、マウスの使い方を知らない先輩の愚痴を言っているのを、耳にしたりする。
では、彼らは先輩より優れているかと言えば、そんなこともない。 生活力・総合力では格段に劣る場合が多い。
例えば、特殊なケースに芸能界がある。 個人の能力が特に評価される社会である。 「吉本興業」という会社があるが、知らない人はいないだろう。 この会社では、所属タレントに対して1年間で総額75億円以上のギャランティーを支払っている。 その半分は、トップ30人のタレントのものだ。 つまりトップ30人の給料の総額は、残りの千人以上の芸人と同額なのである。
しかし、当然トップクラスのタレントにも、先輩と言うのは存在する。 先輩全員が売れているわけではない。 漫才と言うのは、普通ワンステージ3000円から5000円程度のギャラであり、普通のバイトとさほど変わらない。 つまり、長い芸歴を持ちながら貧乏な方も多い。
だが、例えばさんまが彼らに対して、「おい」などと言うことはありえないのである。 実力主義の芸能界では、規律・礼儀と言うものを守るために、1日でも先に入門したものが「にいさん・ねえさん」と言われる先輩であり、何億円稼ぐようになっても、逆転することはありえず、先輩がステージに立つときには「勉強させていただきます」と、頭を下げる。
終身雇用が減り、年俸制や出来高制の会社も増えた。 若い管理職も多いと思う。 しかし、吉本のやり方のほうが自然に見えるような思いが、強い。
「先生」とは、「先に生まれ生きている」と書く。 芸人にしても、バラエティーではしゃぐ若手より、寄席を独特の間で笑わす先輩芸人の方が、味があると思うのは、ちょっとしたセンチメンタルだろうか・・・。
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