わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/03/10(水) 春になったなぁときずくわし
まもなく春である。
時節柄、転勤などで引っ越した人や結婚して新居を構えた人などから、新しい住所を知らせるハガキが来たりします。
で、必ずと言っていいほど書かれている一言が「お近くにお越しの際は是非お気軽にお立ちより下さい」。
余程親しい間柄ならともかく、多くの場合これは間違い無く社交辞令でありまして、真に受けてノコノコお気軽に立ち寄ったりすると迷惑がられることは必至です。そんなハガキを眺めていたら、ふと以前本で読んだ怖い話を思い出しました。その話というのは・・・・・。

モンゴルのある地域では、女性が男性からの「家へ遊びに来ませんか?」という誘いを受け入れて家に行ったら、それは妻になる事を承知した事になるのだそうです。

しかも、その男性に親の見ている前で強姦されるのだそうですから驚きです。やってきた娘を力ずくでものにするのは、男である事を自分の親たちに示すため、娘が泣いたり叫んだりしても、それは慣習・儀礼のうちだという事で、母親も祖母もみんなそうやって嫁いできたわけですから、現地の人にとっては何でも無い事なのだそうです・・。

ところが、中国の文化大革命の頃といいますから、1960年代後半から1970年代中ごろの話だと思いますが、当時、北京・上海などいわゆる都会の十代後半の学生が、何百万人も僻遠の地に放たれたそうで、このモンゴルの地にも多くの若者が送りこまれたそうです。

簡単に想像できることですが、現地の若者に「家に遊びにきませんか?」と誘われた都会育ちの娘たちが、ノコノコ家までついて行き、親の見ている前で強姦されたわけです。
当時の中国というのは性に関しては全く解放されていませんでしたから、十代後半の少女だと、子供がどうやってできるのか知らないのが普通という状態で、それがいきなり人の見ている目の前で陵辱されるわけですから、その後正常な精神状態でいられるはずがありません。

自殺者も数多く出たのだそうです。
多分今はそんなことないと思いたいですが・・。

転居通知でとんでもない事を思い出してしまいましたが、文化の違いというのはそういうものだろうし、膨大な年月をかけて培われてきた異種文化を根底から完全に理解するというのは非常に難しい、いや不可能だという事でしょう。

例えばアメリカの個人の銃所持問題がありますが、アメリカが銃を捨てられないという事実に関しても、アメリカ文化の根底にあるものが起因しているはずで、それを完全には理解できない我々日本人にとって、いかにそれが野蛮に見えようとも、その当否をとやかく言うのはお門違いという気がしてなりません。

それはあくまでアメリカ自身が解決する問題なのだと思います。うーむ、ま、とにかく日本人で良かった。

2004/03/09(火) 不倫などについて考えるわし
昨日、ある年配の女性とチャットでお話させていただいた。
なんでも彼女は不倫をしていると言う。伴侶は彼女を奴隷のように扱い、離婚もしてくれず、彼女はうつ病になったと言う。しかも自殺願望があるといってのける。
そういう状況で素敵な彼が現れ、彼女を救ってくれたという。命の恩人と言う。私より年配の人間とは思えないほど、浅はかな人間である。

そもそも、不倫をする人間とは、もはや「人間」ではない。本能を理性で超えることの出来ない犬畜生である。ゆえに、不倫とは「人の道(倫)にあらず」と書くのである。

彼女いわく、辛い生活の中でささやかな幸せを求めてはいけないのか?

同じ状況下にいる人間はたくさんいる。全員が不倫などに逃げず頑張っている以上、いいわけである。

彼女いわく、罪は来世でつぐないます。

罪を犯して、現世では詫びず償わず、あの世に行くとは、笑止千万盗人の論理である。

彼女いわく、彼がいなかったら死のうと思った。

うつ病を自称する人間は、自殺自殺と言い、病状の悪化を声高に叫ぶ。
そもそも能動的にしゃかいに関わることを拒否した人間が、恋愛には積極的になるなど、片腹痛い・・。社会的通念を守れず、最低限の掟にさえ従えず、婚姻の際の髪への誓いもうそっぱちの、義務さえ守れない人間が権利を叫ぶな。そもそも不倫とは違法である。厳罰を求む。不倫がなければ、死んでしまうというのなら、人として誇り高く、死ねといいたい。

不倫をする人間は、つらいかなしいと連呼する。
自分の幸せの為に、相手の家族などを苦しめることなど眼中にない。
動物程度の連中であるから、致し方ないが、悲しくて死にそうというのなら、見事に死んでみよ!!

子供の為に不倫に逃げてでも生き延びたいと言っていたが、わたしの母がそういう人間なら、そんな母はいて欲しくもないし、許してくれと言われても、死んで詫びろといってやりたいものである。

不倫・浮気・恋愛。言い方はいくらでもあるが、全て悪である。
どうしてもしたいというのなら、相手の家族に殺される覚悟の上でやっていただきたいものである。

命をかけ、愛に死ぬと言うのなら、是非拝見したいものである。

昨年、私は癌を患った。
杯や脳に転移し再発すれば、死ぬこともありえる。
生きたいと望んででも、死んでいくものたちもいる。
が、生きていけるものが、死にたいなどとは、笑止千万以外の何者でもない。

2004/03/08(月) 関東・関西の違いを考えるわし
先月だったと思うが、東京と大阪のある有名な交差点を数時間録画し、交通違反をカウントする番組があった。
それによると、東京は違反件数0件で、大阪は400件以上であった。
内容も、右折車線から強引に左折するなど、目を疑うものが非常に多く、悪質である。

また、東京・大阪の市民のアンケートでも、大阪の市民自らが、大阪のほうが圧倒的にマナーが悪いと言っていた。
ちなみに、大阪市民で東京のほうが悪いと言ったのは、2パーセントのみである。

私は、東京で生まれ東京で育った。大阪にいったことはない。
知人もいるし、いい人もたくさんいる。
しかしながら、関西の感覚には今ひとつついて行けず、理解に苦しむ。

語弊を生じるかもしれないが、私個人の意見を言うならば「あつかましさ」を非常に感じる。
東京は官僚体質であり、大阪は市民体質であろう。
おそらく、それゆえに生き方に対する美的センスが違うのだろう。

京都の浅田農産の会長が自殺した。生前の会見をみても、なんとなく、わざとちゃうねん・・かんべんしてや・・的なあつかましさを感じる。刑事裁判の気配を察しての自殺であろうと思う。

φ( ̄_ ̄;) うーん 不可解である。ばれていなければ、出荷していただろうに、言い訳がきかなくなったら、自殺である・・。罪も償わず、被害者への保障もしていないのにである。死んですむものではない。
かわいそうだとは思う。が、被害を受けたときの関西人の口調の激しさを考えると、これで終わりと言うのも納得行かない。

しんだんやから・・・などといわずに、法的にも社会的にも徹底的にやって欲しいものである。今後同じ事が怖くて起こせないほどの制裁を求めたい。

2004/03/07(日) ニュースを見るわし
民放のニュースにあって、NHKのニュースに絶対に無いもの・・・。
何でしょうか・・・。

答えは、効果音やBGMです。

民放のテレビは、有罪確定以前の事件の容疑者などの映像に、サスペンスのような音楽を演出する。
また、半島のニュースには「シュリ」や、アクション系のゲームのBGMをつける。
同じ質問を何人にもしたことがあるが、大抵の人は答えられず、気がつかない。しかし、音楽の効果は絶大であり、視聴者の心理に影響を及ぼす。

以前、アメリカのCmで同じ映像に、ラップをかけ、そのつぎにクラシックをかけるというのがあった。前者はすさんで見え、後者は叙情的であった。人間の意識と言うのは、安易に操作できるものである。
裏返せば、人を操るのも、テクニックがあれば案外容易なものである。

ということは、目や耳に入ってくる情報と言うものは、疑ってかかり、選別しなければならないものである。
以前から、気にかかっていたので、書かせてもらった。

2004/03/06(土) ボブサップとわし
実は、わたしは相当な格闘技ファンである。
K1は、はじまる前の空手ワールドカップから見ていたし、プライドも首都圏であれば、足を運び、ヒクソン対高田もこの目で見た。

ここ数年の格闘技の中心に、ボブサップがいる。
圧倒的なフィジカルの強さと、精神力を兼ね備えている。
が・・しかし、ミルコにKOされてからは、評価が落ちている。テレビにばかり出て、練習しろと批判を受けている。
もっともな意見ではある。

私の彼のファンなのであるが、さほどの批判は浮かばない。
彼を見ていると、今までしてきた苦労が見えてしまい、感情移入してしまうのである。彼は知っての通り、アメフトを引退し、アメリカンプロレスに入り、すぐつぶれて、路頭に迷っている。
会計士に財産を持ち逃げされ、家に引きこもり、ファミコンばっかりやっていたり、病院から死体運搬の仕事までしていた。

その彼が、日本に来て、大きな夢をつかんだ。
バラエティなどを見ていても、苦労人と言うか、細かい気配りが見える。自分の身の程を知り、必死である。全てを失ったことのある人間の強さと言うものを、彼に感じるのである。
移り気な世の中で、いつまでも一線にいることは、格闘技でもタレントでも難しい。しかし、彼には、いつまでも笑顔でいて欲しいと思う。

2004/03/05(金) 眠れないわし
現在、朝の6時である。
今日も寝付けなかった・・。会社勤めしてるわけではないので、自分のペースで仕事をしているから、無理して寝る必要もないのだが・・。
3時を過ぎて、テレビもチャットも電話もしない時間になると、なにかこう色々と考えてしまうものである。

「今日はどう過ごそう」とか人生の夢とかよりも、大抵は過去の人生についてである。懐かしい音楽なんて聴いていたら、なおさらだ。

一人暮らしの部屋に初めて入ったときのこと。
初めての給料袋。
最初のデートのときに着ていた服。
手をつないだ感触。
一人になって、雪道を歩いた足音。

基本的に前向きに全開で走る男ではない。
時折、後をじっと見続けたりする。
かといって、現在が不幸せとも想いもしないが・・。

過去に経済的不安から、幸せのようなものを逃したこともある。
見返すつもりで、寝ずに働き、前からは予想もつかない収入も得たりした。
欲しいものを買い、食べたいものを食べる。ただそれだけであり、それ以上のものではない。

この甲斐のなさは何なのかと思う。

かつての自分が「それがお前の人生か」と問い掛けてくる気もする。

今まで得たもの全てと、残りの寿命を全て差し出すから、かつての自分がその価値に気がつかなかった場所に一瞬でいいから戻してくれと、叫びそうになったりもする・・。

うちの近所に、コインランドリーがある。
夜中にコンビニに行った帰りに、ふと見ると初老の男が、やることもなく、乾燥機を見つめていたりする。
もちろん、家族持ちのおじさんなのかもしれないが、私から見たら、数十年後の自分を見せ付けられているようで、非常に怖い。

何が怖いのかを考える。
一人でいることが怖いのか。愛情を手にしていないことが怖いのか。自分の思いを次の世代に伝えられないのが、怖いのか。
よくわからないが、漠然と、物悲しいものである。

今こうしている間にも、かつてすれ違った人達は、朝食を作り、子供を送り出し、仕事に向かっているだろう・・。
一人きりで、自分の居場所を確認すると言うのは、なかなか難しい・・。

誰かが手を差し伸べてくれないとわかっているから、ひとつでたつしかない。
悲しい思いをするのは辛いから、寂しい気持ちには耐えている。
たまに手を見つめて、無くしたものの大きさを確認したりする。

今まで何回も失敗した。これからもするだろう。
ただ人生が、ぐるぐると回る円でなく、失敗しつつも前に進む螺旋であったらと、ただ願う。

2004/03/04(木) 母を想うわし
まもなく母が無くなり、7年になる。
私は、父と様々な考えの違いから、絶縁状態にある。
19でひとり立ちしてから、母と会ったのは2回だけであり、最後にあったのは、亡くなる1年程度前である。
父と絶縁状態にあったので、母が亡くなったのを知ったのは、無くなってから半年ほど経ってからで、母方の叔父から告げられた。

最後に母と会った時、母は癌が小康状態にあったので、実家に静養に来たときであった。会ったのは7.8年ぶりであり、脳外科の手術を繰り返していた母は、私のことがわからなかった。
迎えに赴いた駅で、車椅子に乗り列車から駅員に伴われつつ降りてきた。もう、私は数年ぶりの姿に泣きそうであったが、姉や叔父もいたので、我慢していた。

両手で軽くなった母を、車に乗せ変え、母の実家に向かった。
「こちらは、どなた??」と私のことを周囲に聴き、叔父が「○○じゃないか」と言うと、「あら、大きくなったわね」と驚き、車内でいろいろ話をした。

未だに鮮明に覚えているのだが、海沿いの国道を走っているときに、母が唐突に私に向かって「好きな人はいるの??」と聴いてきた。
その当時は、恋人もいたので、答えはイエスなのだが、思わず泣いてしまって答えることが出来なかった。

母は脳腫瘍と癌で、自分の運命を知っているのである。自分の最後を知っていながら、数年ぶりにあった親不孝な息子に対して、「好きな人はいるの??」と聴くのである。泣くまいとは決めていたが、思わずおお泣きしてしまった。

親の愛とはすさまじいものである。

半年後、静養も終わり、母が父のもとに帰る時が来た。
当然、父のもとまでは送ることが出来ないので、叔母が付き添うことになり、羽田空港まで見送った。
出発のターミナルまで入れるのは一人なので、姉が付き添い、私はそこの入り口で分かれることにした。

別れ間際、母は私の手を握り「もう、これで会うことは無いけど、幸せになってね」と言って、ターミナルの中に消えていった。
私は、泣きながら「うんうん」と言うだけで、何もいえなかった。
それが、母を見た最後である。

その一年後、母は亡くなり、今では7年経つ。
毎日思い出すということはない。が・・、ふとしたときに思い出す。
私は今幸せなのだろうか・・今度好きになった人を連れ、墓前で胸を張って報告できるだろうか・・。

困難な道を避け、安易な道を選びつつある自分に気づくときに、思い出すのである。

いろいろな人に支えられ、時折好きな人も出来、毎日を過ごしているが・・。母に幸せかと問われたときのことを思い出すと、考え込んではまうものである。

しかし、死の間際にいつつも子を案ずる親の愛とはすさまじい。
母が亡くなり7年経ち、今年私は35になる。
恋人のいた時期もある。

しかし、親の愛を超える愛に出会ったことは、未だにない。


両親のご健在の方は、大切にしてあげてください。

2004/03/03(水) 感動したわし
ずいぶん昔のことになるが、ある地方局のローカル番組を見た。
関西ローカルである。
内容は、関西に住む恋人の一方が、他の地域に住んでいる長距離恋愛の恋人をある場所に、一方的に呼び出すのである。
理由も言わずにである。

番組を見ていると、男性女性問わず、様々な年齢の恋人が、指定された場所に理由もわからぬままに集まってくるのである。
そこには電話とカメラがあり、恋人の顔を見ながら話をでき、そのことによって番組となっていたのである。

しかし、感動したのは、番組の内容ではない。
そこに訳もわからぬままに集まる人々である。
とるものもとりあえず、恋人に言われるままに指定された場所に来るのである。
ある男は、髪はボサボサ、パジャマを着たままのサンダル履きで、車を飛ばして、到着していた。
話す内容といえば、「声が聴けてよかった」などといった恋人同士の他愛のない話である。

皆さんは、ある日恋人に「今からすぐ、○○に来て」と言われたら、すぐに飛び出せるだろうか??
あるものは、電話を切った瞬間に家を飛び出すだろうし、あるものは、「なんで。どうして。」と理由を聞くことであろう。

しかし、前述の彼は理由も知らずに、きのみきのままで飛び出してきたのである。
これは愛に対する信頼に他ならない。
わたしはその男の信頼に感動したのである。

皆さんの恋人は、そのとき駆けつけてくれるだろうか。

そして、あなたが恋人から同様のお願いがあったときに、理由もわからぬままに駆け出せるだろうか??

2004/03/02(火) ジェンダーフリーを疑うわし
今までの日記でも、ふつー書かないようなことを書いてきたが、このこともある意味タブーである。しかし、書かずにいられないことなので、敢えて書かせてもらう。あくまで私の個人的意見である。

ジェンダーフリーという言葉をご存知だろうか??
ジェンダーフリーとは、過激なフェミニストが打ち出した思想である。
内容は「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と決め付けずに、自分らしく生きていこうという思想である。

いっておくが、私は男尊女卑主義者ではない。ここの読者の方なら知っている方も多いと思うが、セクハラは嫌いだし、洗濯炊事も嫌いではない。女性の上司がいれば、プロである限り従うし、コピー取りでもお茶汲みでもやろう。ジェンダーフリーは一見正しいことを言っている。女性を女性であるというだけで、虐げたりするのはもちろん反対である。

が、しかしである。
ジェンダーを唱える人々の論法はとても容認できるものではない。
彼らが反対を唱えるもののひとつに「ミスコンテスト」がある。
私は水着姿が見たくて、文句をいっているわけではない。
彼らの意見は、審査員の前に出場者が一人一人進み出て、審査を受ける姿が、かつての黒人奴隷を彷彿とさせ、女性蔑視をしているというのである。

とんでもない話である。こういっては失礼だが、愚かというほか言葉が見つからない!!!!!!!!!!!!!!!
もちろん奴隷ならそれは悪である。ではなぜ悪なのか。
それは奴隷たちの「自由意志」を無視しているからである。
しかしながら、ミスコンの出場者は自らの意思でオーディションを受けているのである。
それは美という価値観を測定する行為であり、主催者・出場者ともに自ら、その行為を認識している。
また、一人一人舞台にたち、評価を下すという方法についてだが、測定するものが、美である以上、誤まった方法ではない。

彼らは美を競うこと自体も否定する。
が、美は明らかに生まれ持った才能と、日々の努力の賜物である。
彼女らは美しいといわれる価値観に対して、手入れや努力を欠かしてはいない。
才能を競うのが悪なのか。もしそうだとすれば、受験や、オリンピックも悪となる。なぜなら、筆記テストや、運動能力の競い合いは、知力や体力という才能の測定の場であるからだ。
才能の優劣を測定することに問題があるというならば、ジェンダー主義者はオリンピックも否定せよ!!
レスリングなどはかつてパンクラチオンと呼ばれ、奴隷同士を死ぬまで戦わせた競技ではないか!!!!!!!!!!!

確か2週間ほど前の報道で、世界各国の高校生の男女意識調査の結果がでた。結果は日本が最低であった。それぞれの性別らしくあれという答えが20パーセント前後であり、各国の半分以下である。
嘆かわしいことである。

私は子供の頃から、武道・格闘技をやっていたが、女性が、土足で土俵に上げるのは、断じて認めない。これは、伝統に基く区別であり、差別ではない。そして我々男性も宝塚に上げてくれと求めようとも、思わない。


ジェンダー主義者に質問したいのだが、本当に男女区別を無くすというのなら、仮に将来日本が有事に巻き込まれた際に、敵国兵士に暴行拷問されるのを覚悟の上で、我々男性と前線に立つのか、是非伺いたいものである。

私が間違っているなら、是非ご指摘いただきたいものである。

2004/03/01(月) 雪に驚くわし
早いもので、3月である。少し熱が下がったので、起きて鏡を見ると見知らぬおっさんが・・・Σ('=';) ハッ!!・・・。わしか・・。

私はほぼ毎年熱を出す。大体年末年始が多いのだが、今年は3月になったようである。いつも9℃近い熱を出すのだが、熱そのものよりも、ふらふらしながら、アイスノンを出したり、買い物に行かねばならないのが、かなりきつく凹むものである。こういう時には、心のどこかで彼女なり、奥さんなりいたらいいなとも思ったりしてしまうものだ。

私の中学時代に母が病に倒れ、私が家の食べ物係りとなり、料理を作るようになった。たしか14歳くらいであったから、料理を作るようになって、早20年である・・。考えると、料理というのは、その時の自分をよく示すと思う。食べさせたい相手がいるときには、買い物に行って、あれこれ考え、ほとんど主婦化するのだが、一人身の時には、1日3食食べることも少ない。作ろうと思えば、新人主婦以上の物は作れるのだが、自分のためだけとなると、適当にラーメンやそんなもので済ませてしまうものだ。食べていても、おいしいとは感じない。食事をいただくというより、口に運ぶという感じである。

今まで食べたもので一番おいしかったものは??と聴かれたら、皆さんはなんと答えるだろう。私の場合は「野菜炒め」である。20代の頃、私のためだけにご飯を作ってくれる人がいた時に、ほうれん草ともやしとベーコンをただ炒めたものであった。何の変哲もないが、食べた瞬間、「あぁ うまい!!!」といったものだ。30代になり、財布も気にせず、寿司だ鰻だと好きなものを食べれるようにはなったが、あの野菜炒めを超えるものはない・・。

熱にうなされながら、かつての野菜炒めにあこがれる3月の雪の日であった・・。


心配して書き込みしてくださった皆さん、どうもありがとう。ペコリ(o_ _)o))。わしは 元気になりました。


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