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2004/04/19(月)
サウナとわし
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わしは、サウナが好きである。 30代になってから初めてサウナと言うものを体験したのだが、これがなかなかよい。 一人きりの仕事なので、朝から行くときもあれば、徹夜明けに行くこともある。 100℃近い部屋の中で日記に何を書こうかと、「あれこれ」考えているのである。 東京と言う土地は、八王子から東は大抵どこを掘っても温泉が出る。 そのせいなのか、最近サウナのある温泉と言うか、いわゆるスパが多く、しかも24時間営業も多い。
都心と言う土地柄なのか、深夜の3時に行っても、早朝の6時行っても大抵思ったよりも人がいる。
人を何気に観察していると、なかなかに面白いと言うか、その人の人生浮かんでくる気がする。
深夜のサウナには様々な人がいる。 何人ものサラリーマンが酔い覚ましにきているもの、一人ぼっちの老人、子供をほったらかしで会話に夢中の女性、赤ん坊を抱えて窓に映った自分を見つめている若い女性。
東京に限らず、都会にはいい点悪い点がある。 いい点は、いつでも一人きりになれるということである。 お互いに必要以上の関係を持たないために、群衆の中に暮らしつつも、常に孤独を手に出来る。 悪い点は、孤独に慣れすぎてしまった者たちは、手の差し伸べ方、差し伸べられ方を忘れてしまうことだ。
わしも、ずっと一人きりで生きてきて、行く当てもなく夜中に町をふらふらしていたこともあるし、公園のベンチで朝を迎えたこともある。
夜中のサウナにいるときに、ふと「この人はどうしようもなくいきずまってるのではないか」とか、「なにかできるのではないか」と思ったりもする。
昔寝るところもなく、夜の新宿をぶらついて、旨くもないコーヒーで朝まで時間を過ごしたりしていたときに、誰かが「どうした。大丈夫か」といってくれていたら、困窮のあまり、すがっていたかもしれないし、あるいは意地張って振り払っていたかもしれない・・。
知り合いなら、問答無用で襟首つかんで家に連れて行くのだが、知らない人となるとさすがにそれも出来ず、結局声をかけられずに、気にしつつも会計を済まして帰ってしまう・・。
今こうして、居心地のいい部屋で過ごしている間にも、膝を抱えて泣いている人はいる。 イラクやアフリカの話ではない。 我らのほんの指先に間違いなくいるのだ。
出来ることなら、例によって「うち、米しかないけど、うち来る?」と、手を差し伸べられる人間になりたいものだ。
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