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2004/04/26(月)
わしの思い出の鍵
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人間の脳と言うのはすごいもので、パソコンなどでは勝てるものではない。 意識しているしていないは別として、見たもの・触ったもの・様々な情報を蓄積し続けているのである。
「思い出」「記憶」というのは、その情報を引き出す一種の「手段・段取り・儀式」なのである。
先日テレビ番組でコメディアンが30人の芸能人の名前を数分以内でほ覚え、その順序を暗唱すると言う企画があった。 不思議なことに彼は一人を覚えるごとに、自分の体の一部を触るのである。どうやら耳はAさん・眉毛はBさんと言ったように覚えるらしい。 いわば、体の部分部分が記憶の鍵なのである。
わしはといえば・・・。 思い出の鍵は「食べ物」である。
例えば「10年前に新宿でデートしたの、覚えてる?」と聞かれたら、思い出せないかもしれないが、「ほら、クレープ食べたでしょ」と言われたら、とたんに思い出す人間なのである・・。
ケチャップのピラフを見ると幼稚園のときに食事に行った店を思い出すし、オレンジのシャーベットをみると高校の時好きだった人が浮かんできて、ハンバーグをみると遊園地デートの想い出に浸りきったりと、我ながら、大忙しである。
わしは一人身なので、みんな外食派と思っているようだが、一人では外食は余程でないとしない。 お店で一人で食べてもおいしくないし、一人でご飯を待っている時間も孤独を実感させられている様なのできらいだ。
大抵は自分で上達しすぎた手料理を食べているのだが、ときおり忙しいときにはわざわざ買いに行ってテイクアウトにして済ましている。
ただハンバーガーや、パスタやいろんなテイクアウトの店があるが、ひとつだけほとんど立ち寄らなかった店がある。 牛丼屋である。
わしは玉ねぎが嫌いなのもあるが、あれをみると牛丼の中から玉ねぎをひとつひとつ取り除いてくれていた人を思い出すのである。 食べ終わったあとに、あの牛丼屋の白い弁当パックのふたに、自分でどけた玉ねぎを見ると、ちとへこむ・・。
だから牛肉は好きだが、牛丼は嫌いなのだ。 なくなってよかったァァと思いつつ、 豚丼買いに行こうかなと空腹に負けつつある春の夜である。
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