わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/04/05(月) 音とわし
もう慣れっこになっていてイチイチ文句を言う人はあまりいませんが、我が日本では至る所にスピーカーを通した声や音が溢れかえっています。

しかし、中にはこれが非常に気になる人もいるようで、特にヨーロッパで暮らした経験のある人などは堪らなく嫌悪感を感じているようです。その事に抗議した新聞の投書なども見かけますし、エッセイなどでもそういった内容の話を見かける事もあります。人によっては、標語や呼びかけを書いた看板も気になるとまで言います。私自身はと言いますと、嫌悪感とまでは言いませんが不快感はありますし、少々うんざりします。

昔から日本人は「静寂」を重んじる国民だと思われていますが、どうもそうではないようです。日本人にとって静寂というのは、あくまで「音」との対比であって、決して「無音」ではないのではないでしょうか。

しずかさや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉)

蝉の声はうるさいものだが、でもその対比として静寂があるわけです。秋の夜の虫の声だって相当うるさいですが、そこに感じるのは静寂です。音がない場合はカッコーンとししおどしを鳴らしたり、チリンチリンと風鈴を鳴らして静寂を「演出」したりもします。

なまじ音の中に静寂を感じ取る感性を持っているばかりに、音を許容する体質ができ上がってしまい、いかなる音も決して排除しようとはしなくなってしまったのかもしれません。もしかして日本人て音がないのは嫌いなのではないかと思うくらいです。

駅の放送など、どう考えても必要のないものがあります。最近はどうか知りませんが、一昔前「車内に危険物を持ち込むのはご遠慮ください」なんてのがありました。たぶん地下鉄サリン事件の影響でしょうが、これを聞いて思いとどまる人がいるとも思えません。

「整列乗車にご協力下さい」って言われても既にみんな並んでるし、割り込む人にはアナウンスなんか関係ありません。「駆け込み乗車はお止め下さい」と放送されたからって止めるくらい余裕があれば最初から駆け込んだりはしません。デパートのエスカレーターでも「真ん中に立て」だの「てすりに捕まれ」だの「子供と手をつなげ」だの、ほとんど意味のない事を言ってたりしますが、これらはすべて結局アナウンスしている側の保身のためのもののようです。アナウンスが何の効力もない事は分かっていながら、何か問題が起きた時に叩かれないための策なのでしょう。

音ばかりでなく文字の方も無意味なものが溢れてて、車で走っていると「スピードを落とせ」だの「シートベルトをしめろ」だの看板や電光掲示板が目白押しですし、「お土産は無事故でいいのよお父さん」なんて標語までぶら下がってたりします。

だいたいこれを読んで慌てて減速したりシートベルトしたりするわけないですし、事故が減るわけでもありません。読んでると余計危なかったりします。先日、「知らない人について行くのはやめましょう」という看板があり、あまりにバカバカしいので、「よくこんなバカげた看板立てるなあ。それならいっそ”知らない子供を連れて行くのはやめましょう。”って看板でも立てた方がいいんじゃないか?」
と言ったら知人が、「最近は知ってる人でも危ないからねえ。」なんて言っておりました。

「大人には気を付けましょう」って看板でも立てますか。(-_-;)

余談ですが、私は電話の保留音が大嫌いです。あれは一種の拷問です。聞きたくもない音楽(音楽と言えるようなものでもないですが)を無理矢理聞かされるのですから堪ったものじゃありません。

まあとにかく音にしろ文字にしろ、十分暴力になり得るわけですから気を付けたいものです。


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