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2004/04/09(金)
日記とわし
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まもなくホームページも2ヶ月である。 来てくれた人ものべ5000人になった。 日記を読んでいただいている方には、お分かりと思うが、当り障りの無い話の間にまぎれて、ある種の話題をズバァァバサァァと一言で斬り捨てたりしている。
しかしながら、私にとって実は意外とパワーのいる作業なのである。
はっきり言って、わざわざさらす必要の無い自分の中身をさらして書いているので、時折ぐったりしている。 だが、時折泣いたり怒った人からメールをいただくので、ある意味、私の言葉が相手に届いていることもあるのだろう。 自分を傷つけずに書ける言葉は、相手の深いところには達することも出来ないと思う。
日記を書く際に、感じたことをすらすら書くときもあれば、1日中悩むときもある。
思っていることを全て書くと、かなり過激になることもあるので、抑えるときもある。 実はこれでも相当抑えて書いているのである。
人と言うのは、言葉でコミニケーションをとる。 しかし、身近な人たちとは、気持ちが通じていると思ってしまうものである。 以心伝心と言う言葉もあるし、勿論それも大事である。
だが、それは相手にこうあって欲しい、気持ちは通じてるはずと言う憶測の上に成り立つことも多く、完全な相互理解というものは難しい。 なにか伝えたくても、伝えきっていないと思う方は、文章にしてみるといいかもしれないと、私は思う。
その点において、言葉と言うものの力はすさまじい。 書いているうちに、見知らぬ自分に気づくときもあれば、昔にもらった手紙の本当の意味が、ぱっとわかったりする。
素直なとき。 意地を張っているとき。 嬉しいとき。 悲しいとき。 文章と言うのは、会話以上に雄弁なものだ、
私は今まで日記と言うものを書いたことが無かった。 それゆえか、ほんの数日前の自分の文章ですら、新鮮だ。 ずばずば書いているので、人を傷つける覚悟はしている。 傷つけられる覚悟もある。 気に食わない人は、去っていくと思う。 心当たりもある。
しかし、私がきつい言葉で書いていたとしても、自分の奥のほうから言葉を引っ張り出して、 語っていると言うことは、これを読んでくださっているあなた方の心の窓に、 会話の合図の小石を投げかけていることに他ならない。
今日は、本当の乱文になってしまった。 すまぬ。ペコリ(o_ _)o))
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