わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/04/10(土) イラク人質事件について
今回は人質事件についての、私の見解を書く。
読者の方の反感を買い、読者が激減したり、いなくなる可能性もあるが、書かせていただく。

まず、第一に自衛隊の撤退には反対である。
第二に、武力による救出にも反対である。
(これは話し合いをもぞむといったものではなく、彼らの為に他の人々を危険にさらす必要がないことを示す。)
ゆえに、今回の誘拐事件に関しては、見殺しにすべきである。

反論が予想されるので、先に述べるが、彼らが私の子供である場合は、イラクへの入国を望んだ時点で、
命がけの意思・覚悟を問い、その意思が強固であれば、行かせてもよいが、他者による救出は決して望まない。
また、私自身であった場合は、誘拐され国家の利益に反する利用前に自殺を図る。
失敗した場合は救出を拒否し、処刑を甘んじて受ける。

続いて、彼らを見捨てる理由を述べる。

外務省はイラクを渡航禁止地域とし、退去勧告を民間邦人に出している。
すなわち、外務省・大使館による保護活動が出来ないことを示している。
よって、彼らのイラク入国は彼らの意思による自己責任に基いたものであり、その行動に伴う結果がいかなるものであるとしても、その全ての責任は彼ら自身にある。

周りが止めたにも関わらず、望んで火事場に飛び込むものを、助ける必要はない。

また、救出についてのべるが、自分の意思で退去勧告の出ている地域に入国した以上、公務についている自衛隊員および他国の軍人の命を危険にさらしす必要は皆無である。

世界の常識からいっても、テロリストとの交渉に応じる必要もない。
また、声明犯行文には撤退せよとあるが、それがかなった場合、開放するとは明記されていない。
であるから、こちらが譲歩した場合、更なる譲歩を迫られる可能性もあり、その上、他の邦人にも被害が及ぶ可能性もあり、断固として交渉は拒否すべきである。

結論として、日本政府はこの事件に関して、いかなる能動的姿勢をみせる必要はない。

繰り返し言うが、彼らは見殺しにすべきである。

これが、私なりの結論である。

2004/04/09(金) 日記とわし
まもなくホームページも2ヶ月である。
来てくれた人ものべ5000人になった。
日記を読んでいただいている方には、お分かりと思うが、当り障りの無い話の間にまぎれて、ある種の話題をズバァァバサァァと一言で斬り捨てたりしている。

しかしながら、私にとって実は意外とパワーのいる作業なのである。

はっきり言って、わざわざさらす必要の無い自分の中身をさらして書いているので、時折ぐったりしている。
だが、時折泣いたり怒った人からメールをいただくので、ある意味、私の言葉が相手に届いていることもあるのだろう。
自分を傷つけずに書ける言葉は、相手の深いところには達することも出来ないと思う。

日記を書く際に、感じたことをすらすら書くときもあれば、1日中悩むときもある。

思っていることを全て書くと、かなり過激になることもあるので、抑えるときもある。
実はこれでも相当抑えて書いているのである。

人と言うのは、言葉でコミニケーションをとる。
しかし、身近な人たちとは、気持ちが通じていると思ってしまうものである。
以心伝心と言う言葉もあるし、勿論それも大事である。

だが、それは相手にこうあって欲しい、気持ちは通じてるはずと言う憶測の上に成り立つことも多く、完全な相互理解というものは難しい。
なにか伝えたくても、伝えきっていないと思う方は、文章にしてみるといいかもしれないと、私は思う。

その点において、言葉と言うものの力はすさまじい。
書いているうちに、見知らぬ自分に気づくときもあれば、昔にもらった手紙の本当の意味が、ぱっとわかったりする。

素直なとき。
意地を張っているとき。
嬉しいとき。
悲しいとき。
文章と言うのは、会話以上に雄弁なものだ、

私は今まで日記と言うものを書いたことが無かった。
それゆえか、ほんの数日前の自分の文章ですら、新鮮だ。
ずばずば書いているので、人を傷つける覚悟はしている。
傷つけられる覚悟もある。
気に食わない人は、去っていくと思う。
心当たりもある。

しかし、私がきつい言葉で書いていたとしても、自分の奥のほうから言葉を引っ張り出して、
語っていると言うことは、これを読んでくださっているあなた方の心の窓に、
会話の合図の小石を投げかけていることに他ならない。

今日は、本当の乱文になってしまった。
すまぬ。ペコリ(o_ _)o))

2004/04/08(木) しばじゅんを聴くわし
柴田淳という女性の歌い手がいる。
昔風に言うとシンガーソングライターである。

2月にも書いたが、私の中では古内東子、cocco、しばじゅんで、現代3大ソングライターである。

ちなみに、わしの理想の女性である。(〃^∇^)o_彡☆あははははっ

初めて聴いた曲は「月光浴」という歌で、nkhの歌番組でみた。
3年程前だったと思う。
まだ新人であったが、詩に力があり、聞き入ってしまった。

何気なく聴いていても、ヘッドホンをして詩を噛み締めても、深いところに入ってくる歌い手であり、わしのオススメである。

年を重ねてきた人が耳にすれば、必ず心の奥の方にしまっていた「あの人」が、顔をのぞかせるに違いない。

ちなみに泣いてしまっても、わしは知らん。


「隣の部屋」

風の向こうから聞こえてくる 懐かしいあの曲 あなたの歌声
気の向くまま彷徨い辿り着いた 昔の二人 思い出のあの店

待ち合わせ いつも流れてた哀しいメロディー
口ずさんでたあなたに逢いたくて 今日もまた来てしまいました

切ない音で時を刻む あなたにもらった小さな腕時計
今も尚 あなたに逢える日を 数えるように動いています

あの人のもとへ行ったまま 戻らなかったあの日からずっと
あなたを待ちくたびれ 時に流されて生きています

小さな部屋に響き渡る 寄り添いたくなる寂しい雨音
窓に叩き付ける風の音 幸せ羨む私の泣き声

枯れた花を思いやるように 日のあたる場所へ置き換えていた
あなたを信じ抜く勇気は まだここにあります

いつかまた思いが届くと あなたの帰りをいつまで待ってる
未練がましい女も 一途な女になりたくて

2004/04/07(水) 「もてる」について語るわし
誰でも誰かに好きになってもらうと自分がその人のことを好きかどうかということは関係なく悪い気はしないものですな。
でも自分を偽ってまで「もてたい」と思うでしょうか?

今日は私の友人Kのお話をするとします。

私の友人Kは高校時代もてる男でした。
特にルックスがいいというわけではありませんでしたが、ノリがよく女の子に少しだけ気を持たせるのが上手だったのです。周りにいる女の子たちは「自分にも手が届くかもしれない」と期待するので、Kの周りにはいつも女の子がいました。

話はそれますが、異性にもてたいと思ったらKのように少しだけ相手に気をもたせるともてるようです。あなただって誰かが自分のことスキかも、と思ったら気になりますよね。
それを逆手にとるのです。そうすると自然ともてるようになります。
ただ、この方法はあまりオススメできませんが・・・。

性格的にも悪い人ではなかったので男友達も多くいました。それがKを人気者にしていた一つの要因でもあります。

高校1年の頃私とKは同じクラスになり、急激に仲良くなりました。
最初の頃「この人はいい人だからもててるんだなぁ」と漠然と思っていましたが、友達としての期間が長くなるとKが適度な押しと引きで意図的にもてるように仕組んでいるように思えました。

でもそうだとしても本人が好きでやってることだしなぁ。と思いしばらく普通に友達として付き合っていました。

高校3年になってずっと彼女を作らなかったKが彼女を作りました。
2ヶ月くらいは順調に付き合っているようでしたが、ある日Kから一本の電話がかかってきました。

それは「自分は自分ではない」という訳のわからない電話でした。
詳しく話を聞いてみると、Kは自分は意図的にもてるように仕組んでいて、本当の自分をみてくれる人がいない。というのです。

Kは彼女ができたことで喜んでいましたが、彼女の方は付き合ってみてKのことを「つまらない」と感じたようです。彼女はKの性格や顔にひかれたのではなく、Kがもてるというところにひかれたのです。だからKに彼女ができて周りの女の子たちがいなくなると彼女にはつまらなかったのです。

私に電話がかかってきた日、Kはその彼女に上のようなことを言われてふられたのです。

Kは苦しんでいました。失恋の苦しみと自分がやってきたことはなんだったのか?という葛藤・・・。

Kは普通の人なら1度は考えたことがある「もてたいなぁ」という軽い気
持ちからちょっと雑誌で見た受け売りのような言葉どおりにしてみたら
たまたま成功したらしいのですが、それが結果的に無意味で表面だけだ
ったと気づいたのは3年も経ってからでした。

彼は自分を演出して偽ってまで手に入れたものは何もなかったのです。
もちろん「もてたい」という彼の欲望は満たされましたが、恋人を作る
という点では失敗に終わったといえます。

今彼は偽ることをやめて本当の自分をみてくれる人と付き合って幸せに
暮らしています。結果論を言うと彼にとってはそういう時期が必要だっ
たとも言えます。経験しないと彼にはそういうことになるとわからなかったでしょうからね。

もてるということは悪いことではありません。
Kの場合はほんの一例です。でも自分を偽ってまで相手に好きになってもらっても意味がないということを言いたかったのです。

自分を偽って好きになってもらっても、付き合いが長くなるにつれて相手もこちらの中身を知ることとなります。

よいお付き合いをするためには表面だけではなく、中身も一緒に好きになってくれる相手を探したいものである。

2004/04/06(火) 大阪とわし
私は東京の品川区の下町生まれである。

社会人になってから、地方の人たちとの出会いが飛躍的に増えた。

ましてや、現在ではネットも発達し、リアルタイムで地方の人の言葉や声を聞くチャンスも増えた。

北海道や東北、中部、関西、九州。実に様々である。

しかし、実に特徴的な地域がある。
そして、恐らく彼らはその特殊性を意識していないのである。
実に面白く、興味がある。

その地域とは、「大阪」である。
京都でも奈良でも神戸でも無い、「大阪」だけである。
それは、実際に話す言葉だけでなく、文章の文体もしかりである。

例えば、多くの東北の人達は極力「東北弁」を矯正し、標準語を話す。
もちろん、文章も標準語である。
文章に「そうだべ」なんていったりしない。
九州の人は、話すときは「九州弁」的ニュアンスが残るが、ほぼ標準語である。「そうでごわす」ともいわない。

しかし、大阪の人は、話すときも文章においても「大阪弁」を通すことが多い。「そうやんか」「いっとるがな」等である。

以前、理由を考えたことがある。
それは「酸素ボンベ」なのである。
いわゆる大阪文化の外にでる場合において、大阪弁は彼らにとっての「酸素ボンベ」になるのであろうと思う。
自らのアイデンティティに深く関連しているのだろう。

大阪の人が、東京で暮らし、大阪弁から標準語にシフトすると、里帰りのさいに、「東京に負けたな」などといわれるという話をよく聞く。

たかが500キロしか離れていない地方都市であるが、実に「大阪」とは、興味深い土地である。

2004/04/05(月) 音とわし
もう慣れっこになっていてイチイチ文句を言う人はあまりいませんが、我が日本では至る所にスピーカーを通した声や音が溢れかえっています。

しかし、中にはこれが非常に気になる人もいるようで、特にヨーロッパで暮らした経験のある人などは堪らなく嫌悪感を感じているようです。その事に抗議した新聞の投書なども見かけますし、エッセイなどでもそういった内容の話を見かける事もあります。人によっては、標語や呼びかけを書いた看板も気になるとまで言います。私自身はと言いますと、嫌悪感とまでは言いませんが不快感はありますし、少々うんざりします。

昔から日本人は「静寂」を重んじる国民だと思われていますが、どうもそうではないようです。日本人にとって静寂というのは、あくまで「音」との対比であって、決して「無音」ではないのではないでしょうか。

しずかさや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉)

蝉の声はうるさいものだが、でもその対比として静寂があるわけです。秋の夜の虫の声だって相当うるさいですが、そこに感じるのは静寂です。音がない場合はカッコーンとししおどしを鳴らしたり、チリンチリンと風鈴を鳴らして静寂を「演出」したりもします。

なまじ音の中に静寂を感じ取る感性を持っているばかりに、音を許容する体質ができ上がってしまい、いかなる音も決して排除しようとはしなくなってしまったのかもしれません。もしかして日本人て音がないのは嫌いなのではないかと思うくらいです。

駅の放送など、どう考えても必要のないものがあります。最近はどうか知りませんが、一昔前「車内に危険物を持ち込むのはご遠慮ください」なんてのがありました。たぶん地下鉄サリン事件の影響でしょうが、これを聞いて思いとどまる人がいるとも思えません。

「整列乗車にご協力下さい」って言われても既にみんな並んでるし、割り込む人にはアナウンスなんか関係ありません。「駆け込み乗車はお止め下さい」と放送されたからって止めるくらい余裕があれば最初から駆け込んだりはしません。デパートのエスカレーターでも「真ん中に立て」だの「てすりに捕まれ」だの「子供と手をつなげ」だの、ほとんど意味のない事を言ってたりしますが、これらはすべて結局アナウンスしている側の保身のためのもののようです。アナウンスが何の効力もない事は分かっていながら、何か問題が起きた時に叩かれないための策なのでしょう。

音ばかりでなく文字の方も無意味なものが溢れてて、車で走っていると「スピードを落とせ」だの「シートベルトをしめろ」だの看板や電光掲示板が目白押しですし、「お土産は無事故でいいのよお父さん」なんて標語までぶら下がってたりします。

だいたいこれを読んで慌てて減速したりシートベルトしたりするわけないですし、事故が減るわけでもありません。読んでると余計危なかったりします。先日、「知らない人について行くのはやめましょう」という看板があり、あまりにバカバカしいので、「よくこんなバカげた看板立てるなあ。それならいっそ”知らない子供を連れて行くのはやめましょう。”って看板でも立てた方がいいんじゃないか?」
と言ったら知人が、「最近は知ってる人でも危ないからねえ。」なんて言っておりました。

「大人には気を付けましょう」って看板でも立てますか。(-_-;)

余談ですが、私は電話の保留音が大嫌いです。あれは一種の拷問です。聞きたくもない音楽(音楽と言えるようなものでもないですが)を無理矢理聞かされるのですから堪ったものじゃありません。

まあとにかく音にしろ文字にしろ、十分暴力になり得るわけですから気を付けたいものです。

2004/04/04(日) 驚いたわし
ホームページを立ち上げ、約1ヵ月半である。
試行錯誤しながらやっているが、なんといっても楽しいのは、
他の方たちからの反応である。

わし的には、みんなが楽しめるようにと、いろいろなページや機能を少しずつ勉強している。
今回、リンクのコーナーに新しいオススメリンクを足したのだが、
もっと見やすいものはないかと、いろいろ探してみた。

リンク集には、色々な形式の表示があり、それぞれにはサンプルがあり、わかりやすくなっている。

しかし、その中のひとつをみていて、「テスト用サンプルをみる」を押すと、驚くべきものがあった。

何千件の書き込みがあり、「荒らしてください」などとかかれており、
いわゆる「アラシ」といわれる人々の掲示板と化していた。
中には中傷の方法なども書かれており、目も当てられない。
で、実際にたずねてみると、好き勝手に荒らしまくっている痕跡があった。

私にとっては、驚きであった。
やっているものたちは、おそらくは子供なのだろうが・・。
怒りも感じるが、物悲しさも感じる。

悲しい時代になってしまったものだ。

2004/04/03(土) イラクについて
私はイラクにいったこともないし、イラク人の友人もいない。
であるから、私の持っている情報は、現在のマスメディアのものである。

米軍に駐留され、不当な目にもあっていると思う。

しかし、先日アメリカのメディアで流されたものはひどかった。
車に乗っている人を襲い、火をつけ、車ごと燃えているところに、
よってたかって石を投げつけ、遺体を引きずり出し、パイプで滅多打ちにし、車で引きずりまわした。

11年前のソマリア紛争と同じである。

だいたい政権が倒れたと同時に、美術館や博物館や銀行を襲う民度である。
一体、何なのだろう。

自分の価値観だけで考えてはいけないが、あまりにも人としてむごすぎる。

2004/04/02(金) わしが泣く唄
なんというか、夜中に聞いてしまう歌ありませんか?
なにか悲しいことがあったわけでもないのに、ときおり聞き入ってしまう唄。
昔は、オフコースや村下孝蔵を聞いていたのですが、ここ何年かは雅夢の「愛はかげろう」です。

調べてみると1980年の唄なので、25年前。
小学生だったので、覚えてはいますが、意味もわからず、30過ぎてからよく聴くようになりました。

人間は勝手なもので、過去を自分の中で、
思い出という美化したものに変えてしまうことをわかっていても、なんかこういう唄を聞くと、たまらなくなります。

街を歩いたりしていても、いるはずの無い人を探したり、
一緒に立ち寄ったことのある場所を避けてしまったりとしてしまうものです。

と、以前感傷に浸っていると、年上の知人が「あっ、そういうの、わしら男だけらしいよ」と軽く言っていましたが、女性読者の皆さん、その辺いかがなものなのでしょうか??


窓ガラス 流れ落ちてゆく雨を
細い指先で なぞってみる
くもりとかして すべる指先に
伝わる冷たさ 心にしみる
忘れ去られた 部屋の片隅
あなたの影 今もゆれてる
愛はかげろう つかの間の命
激しいまでに 燃やしつづけて
別れはいつも 背中合わせに
人の心を ゆらして

別れ言葉を 口にするあなたは
いつもとちがって やさしすぎた
はき出すタバコの 煙りの影が
教えてくれた つくり言葉と
熱くいだかれた 日々を
倖せと言えば悲しい
愛はかげろう さめきった愛の
過ぎさる後に 残るものは
いつも女の 乾いた涙
さまよい歩く 迷い子

愛はかげろう つかの間の命
激しいまでに 燃やしつづけて
別れはいつも 背中合わせに
人の心を ゆらして


現在は三浦和人さんという名前で活動されているようで、
今日は京都でコンサートをやられているようです。

チケット購入をたくらみ始めたわしでした。ペコリ(o_ _)o))

http://www2.odn.ne.jp/k.miura.ohp/

2004/04/01(木) わし復活!!
皆さん!!わし 元気になりました。
いつもいつもご心配をお掛けして、ペコリ(o_ _)o))

食べ物も、がしがし食べ始めたので、
足取りも元気に回復。

んで、お風呂に入ってないので、
お昼からサウナにお出かけ。

実はわしは、プロのサウナ−と言われる人間なので、
週4回くらい、サウナに行く。
遊びには殆んど出かけないので、サウナが趣味といっていい。

ご飯食べに行っても、一人ではおいしくないので、
いつも持ち帰りだし、酒も飲まないので、
楽しみといえば、サウナくらいである。

でお昼のサウナに行って、ぐったり疲れた・・。
で、テレビ付のソファーでぐっすり。
照明もおちていて、いい香りのアロマのせいで、すやすや。

Σ('=';) ハッ!!と起きる・・・。

今何時!!

22時・・・

( ̄□( ̄□( ̄□ ̄;)!!ガーンガーンガーン………

1か月1万円も、わさびも、あいのりも見逃した・・・。

( ̄□( ̄□( ̄□ ̄;)!!ガーンガーンガーン………

また、やってしまった・・。

さあーて、明日からはたまった仕事がんばるぞおぉぉ


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