わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年5月
前の月 次の月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新の絵日記ダイジェスト
2006/02/14 2周年達成
2005/02/20 日記からブログに移行しました。
2005/02/16 直径約四千キロ
2005/02/15 ありがとう
2005/02/14 1周年を迎えました。ペコリ(o_ _)o))

直接移動: 20062 月  20052 1 月  200412 11 8 7 6 5 4 3 2 月 

2004/05/20(木) わしの記憶は・・
時間というとき、ぼくたちは過去から未来へ続く川のようなものを思い浮かべる。
その途中に浮いている船が現在だと。
しかし、実際には現在という時間を、我々は船を指すようには示すことができない。
示したとたんに、それは過去になっているから。

過去でさえ、いま思い出すからあるわけで、
どこかに確かに転がっているわけではない。

思い出すという現在が過去。
いや、過去は確かに変わらず存在すると思われるだろうか。
たとえば、こんな事例を知るとどうだろう。

犯罪における目撃証言の事例だ。何人かが犯人を目撃し、
その人たちが写真ファイルあるいは面通しで共通した人物を犯人と指摘する。
すると捜査側は間違いなくその人物が犯人であろうと考える。
ところが、容疑者が逮捕された後で真犯人が名乗りでる、
それが目撃証言と似ていない犯人だった、
そんな事件が少なからず発生している。

これは、人間の過去に関する記憶が、
思い出すという行為の中でゆがめられてしまうからなのだ。

証言をとる警官の質問、マスコミによる容疑者報道などで、
思い出は容易にゆがめられてしまう。

証言心理学の先駆者、米国のロフタス博士は、交通事故のビデオを見せた後、
被験者に現場にガラス破片が散らかっていたかをたずねる実験をしている。

このとき「激突したとき」とたずねると、
「衝突したとき」とたずねたとき以上に、
実際には散らかっていなかったガラス破片を散らかっていたと証言する人が増える。

わずかひとことの違いが記憶を変える。

過去を悔いることも少なくない。
あれをしとけばよかったとか、あれはしなければよかったとか。

そんな思いは辛い。

つらいのだけれど、そういう過去でさえ、通り過ぎた上流でなく、
現在を生きるという行為のなかにあると考える。

そして今を誠実に、力強く生きることで過去を償えるのだと、そんなことを思う。

2004/05/19(水) ベーコン好き??
ベーコン数として知られる概念がある。

出演した映画の共演者をたどることで
何人目にケビン・ベーコンにいきつくかを表すのがベーコン数で、
彼と共演していたら1、彼と共演している人と自分が共演していたら2となる。

たいていの役者はベーコン数3までにおさまる。
日本の役者で調べてみると、高倉健や吉永小百合、織田裕二も木村拓也もベーコン数3。
吉永小百合は『千年の恋』で松田聖子と共演し、
松田聖子は『アルマゲドン』でキース・デビッドと共演し、
キース・デビッドは『ノボケイン』でベーコンと共演している。

もっとも、だからといってベーコンがハリウッドの中心というわけではなく、
おおむね誰をとったって、似たような結果になる。

人と人のつながりは「6次の隔たり」としても知られる。
1967年に行われた、社会学者ミルグラムによる実験がきっかけ。
意図なく選ばれたボストン在住の株式仲買人に、
やはりランダムに選ばれた人たちから何ステップでつながるか、というもの。
あて先を示した手紙を160人の人に渡す。
あて先の仲買人を知らない場合は、知っていそうな人に渡してもらう。

結果、42通が仲買人に到達。
その平均ステップ数が5.5だった。
我々は誰とでもおよそ6人でつながる。
届かなかったおよそ120通の手紙が無視されているが、まあそれはよしとしよう。

この結果に刺激されて作られた舞台が大ヒット、
『私に近い6人の他人』という映画にもなった。

小さく狭い我々の世界。
ネットワーク研究のバラバシらは、
細胞内の化学物質のほとんどが3つの化学反応経路によってつながっていること、
30億を超えるインターネットのページも、
およそ19クリックすればほとんどのページにたどり着けることを報告している。

我々は、そういう、つながりの世界に住んでいる。

2004/05/18(火) 果たして、わしの隣の人は・・
ヤマアラシのジレンマという寓話がある。

寒さに震えるヤマアラシのカップル。
暖をとろうと抱きあうと、棘で相手を傷つける。
といって離れると寒い。

ショーペンハウアーによるこの寓話を利用して、
精神分析医べラックはヤマアラシ指数なるものを考案している。
刺激の数にその強度と持続時間を掛ける。
友人が5人いて平均週3回会っていてそれぞれ80分位一緒にいるなら、1200。
同じ指数でも、持続の短い表面的なつき合いが多い人もいれば、
友人が少なくてもじっくり会っている人もいる。

棘の長さにもいろいろあるのだろう、他人ととる距離も、人によって違う。
これを4種に一般化したのが、エドワード・ホールだ。
いわく45センチまでの密接距離、120センチまでの個体距離、
さらに3.6メートルまでの社会距離、それ以上の公衆距離。

密接距離は親密じゃないと保てないし、
個体距離のうち75センチまでの近接相内で男女が並んでいると、
夫婦か恋人に見える。
社会距離はパーティ会場やビジネス上の会話で利用される。

米国での実験では、見知らぬ人に頼みごとをする場合は、
40センチの距離から熱心に頼むのがもっとも効果的だったという。
ただし熱心さが伝わらなければ最悪の結果になる距離でもある。
膝詰め談判がいつも効果的とは限らないわけである・・。


日本でもユニークな実験が行われている。
女子学生に男子学生へのインタビューをしてもらうものだが、
最初に男子学生が映ったビデオを見せて好感度を尋ねている。

その結果、好感が持てる人とは平均181センチメートル、
好きになれない人物とは154センチメートルの距離をとってインタビューしたという。

好きな相手の場合の方が離れていた。
なれなれしく思われないようにという配慮か。

ヤマアラシのジレンマ以上に微妙な気持ちが隠れているようでもある。

人との間と書いて人間。この「間」が、なんとも味わい深い。

2004/05/17(月) わしは、携帯電話が嫌い
わしも、一応携帯電話は持っている。
あまり使わない、すきでもない。
はっきり言えば、嫌いだ。
で、持ち歩かない日も多い。(電話の意味無いな・・)

そんな日は公衆電話を探すが、最近なかなか見つからない。
首都・東京なのにである。
あっても、新型の公衆電話で新型のテレホンカードを使用するものばかりだ。

携帯電話の普及で、公衆電話の台数はピークだった1984年の約94万台から急減、
現在は全国で約71万台という。

公衆電話が日本に初めて登場したのが1900年のことだ。
今は別の意味あいで重い日となった、9月11日だ。場所は新橋駅と上野駅。
それまでは電話所に行って頼まなくてはいけなかったのが、
人手を介さずにかけられることとなった。
同じ年、現在の銀座1丁目交番付近に、最初の公衆電話ボックスが登場している。
扉には「自働電話」。

自分で働くといっても、実際には受話器をとって交換手と話すことになる。
交換手の指示で、お金を入れる。
10銭か5銭。投入口が違っていて、入れると10銭は「ボーン」、
5銭はゴングのような「チン」という音がしたらしい。
その音を聞いて交換手が投入額を判断、通話先につなぐ。

最初の電話ボックスを写真で見ると、
形は六角柱、屋根の下がくびれた灯台のような姿をしている。
港から港へのみちしるべとなる灯台、
人から人へのコミュニケーションをつなぐ電話ボックス。
確かにどこか共通性があるような気がしないでもない。

公衆電話時代の青春像っていうのもある気がする。
六畳ひと間の共同アパート、アパートのピンク電話はたいてい誰かが長電話で使っているから、
寒い冬の夜、しっかり着こんで、小銭をポケットに街角の電話ボックスまで小走りにかけていく。

午後11時、話したい相手には時間を合わせて電話の前で待ってもらっている。
硬貨をいれて、番号をまわす。

すぐに出てくれるだろうか、呼び出し音が鼓膜に響く。
1回、2回。葉の散った街路樹を見ている。

カチャ、硬貨が吸い込まれる音がする。

2004/05/16(日) わしは、化粧なんてしないぞ・・
わしは、眉毛が薄い・・。
別に不満は無い・・。

何の話かというと、今日もサウナに行ったのである。
2時間ほど、サウナと水風呂を往復して、満足げに浴場から出てきたわしは、
信じられないものをみたのである。

最近のサウナには、男性用とはいえ、鏡台に椅子もあり、整髪料とかが並んでいる。

ふと見ると、30代も半ばの男性が、眉を書いているのである。
別に女性的な人ではない。
働き盛りと思われるサラリーマンである。
鏡に向かって、一心不乱に眉毛を書いているのである。

Σ(- -ノ)ノ エェ!?という感じである・・・。
見ていると、その後もなんかクリームを顔に塗りこんでいる・・。

わしは、ここに宣言する。
眉毛は薄いし、目もはれぼったいが、
化粧もしないし、整形もしないぞぉぉぉ。

2004/05/15(土) わしは思う
私の知人夫婦の話である。
夫・妻共に私と知り合って20年ほどであり、いい事も悪い事も知っている友である。

努力の甲斐あって、立派な邸宅を建て、子供にも恵まれ、
何不自由ない生活を送っている。
同世代の妻達が自転車の前と後に子供を乗せ買い物に行っている間、
生活用品・食料品を専門店に配達させ、気ままに暮らしている。

が、年々お互いが何を考えているか、わからなくなってきたと言う。
夫婦喧嘩さえなくなってしまったという。

あるとき、夫が「俺たち、仮面夫婦だな・・」といったそうである。

例えば、妻がおどけて「私達、仮面夫婦よね」というのとは意味が違う。
強い人なので、「私は泣かない」といっていたが、その心情を考えるとその話を聞いたときに、泣いてしまった。

その友人夫婦と私の共通の友人で、別の夫婦がいる。
その夫婦は、生活に追われアパート暮らしで、懸命に働いているが、
なかなか余裕のある生活はできていない。

しかし、先に紹介した夫婦の妻が、そのアパート暮らしをしている
夫婦を「幸せそうで、うらやましい」といっている。
贅沢もできないし、旅行にもいけないでいるが、
少ない楽しみを共に楽しむ姿が、とてもうらやましいと言う。

不自由の無い生活を営みながら、ため息をつく夫婦。
ひとつのおかずを半分こしつつ、笑って暮らす夫婦。

幸せの形は千差万別・十人十色。
不幸でない生活を幸せと自分に言い聞かせる時代である。

2004/05/14(金) 思い出すわし
友人から、電話をもらった。
同窓会があるらしい。

今まで同窓会には、あまりでたことが無いが、
色々と消息は聞いている。

多分、圧倒的にサラリーマン・主婦が多いと思うが、
わしですら、Σ('=';) ハッ!!とする友人がいる。

ニュージーランドでカウボーイしている奴
尺八の家元。
山奥で、山小屋に住んでいるなどなどである。

うちの学校は私立と言うこともあり、個性的な学校だった。

授業中に外で蝶が飛んでいると、授業そっちのけで虫取り網を手にして飛び出していく奴がいても、誰も止めなかったし、休み時間になるといきなりバイオリンを弾き始める奴がいたりして、今考えても相当面白かった。

かくいうわしも、中等部の時は考古学部に入っていて、
日曜日になると郊外の山に入っては、黒曜石の矢じりを見つけたり、
鹿の角を削って釣り針を作っていたりした。
(この頃の普通の中学生は、原宿にでも行っている。山には行かんな・・)
自分の部屋に帰れば、お手製の縄文土器が山のようである。

小学校の時は天文学部、中学は考古学部、高校で映画研究部である。
今考えると、どうやら現在のわしのもとになっていると良くわかる。

当時一緒に大学の発掘のお手伝いに行っては、何も出てこない穴に、
埋めたりしていた友人は、今ごろ何になっているか、興味深いこの頃である。

2004/05/13(木) わしは、果たして・・・
1週間ほど前だったと思うが、勝ち組負け組の意識調査が発表された。
ヤフーなどにもでていたから、見た方もいると思う。

細かい数字まで覚えていないので、恐縮だが、
年収1000万を超えると、「俺って、勝ち組だな」と意識する人が多いらしい。
反対に年収300万程度の人は、「俺は、負け組だな・・」と思うらしい。

年収1000万は、そんなにすごいのだろうか。
1ヶ月、100万以下である。
わしも、人生のうちで、それ以上の収入を得たこともあるが、
別に「成功したどーー」とも、思わなかった。
逆に、無収入で2年ほどぶらぶらしていたこともあるが、
特に「わしって、忘れられてるな・・」とも、感じなかった。

確かに、お金はいくらあっても邪魔にはならないし、
欲しいものを買ったり、良質の教育を得たり、美味な食事を得たりできるだろう。

我々30代は、バブル世代である。
六本木では、フェラーリ・BMWが「カローラ」と言われ、
世田谷のマンションが10億とか言った頃の時代である。

うちの父は製鉄会社の開発部から、一念発起して土方からはじめ、
不動産会社を立ち上げ、幸運にもバブル絶頂期に成功した。
当時、中学生ながら、父の収入には驚くものがあった。
月末になるとアタッシュケースにびっちりと万札を詰めて、帰ってきていた。
引っ越すたびに、済んだ地区の長者番付にのっていたから、成功者だったと思う。
日本で1番金のかかる私立にも通わせてもらったし、
広い家にも住まわせてもらった。
(中学の当時の私の部屋は、現在の私の部屋の倍はあった・・)

が、しかしである。
トラブルの90パーセントは、金で解決するし、不満も減るだろう。
だが、残りの10パーセントこそ重要であり、金では解決できない。

親元を離れ、援助も受けず、新聞配達から、わしは仕事というものをはじめた。
新聞屋さんでは、わしの部屋は「2畳」である。
部屋に案内されたとき、思わず「ここは物置か?」と思った・・。
給料も食費などを引くと、5万程度しか残らなかったが、
実家にいたときに比べると、なんともいえない幸福感はあった。

フリーター時代には、デートする金も無く、新宿の花園神社で待ち合わせして、
吉野家で牛丼デートしていた。

20代後半になり、何の縁か、たまたま高収入に恵まれ、物欲のとりこになって、
「ここから、ここまで、全部頂戴」的買い物もしたが、
今考えると、その当時の経験と言うのは、現在のわしのなんの基礎にもなっていない。
牛丼食べていた頃のほうが、確実にわしの根幹に近い。

もちろん、浪費せず堅実な人もいると思う。
しかし、現在の社会では満ち足りた生活をしようと思えば、
その目的であるはずの生活を犠牲にして、仕事をせざるを得ない。

矛盾である。

街行く人をみると、みんなが携帯を持ち、小奇麗な服を着て、
洒落た店で食事をして、そこそこの家に住んでいる。
そして、その生活を維持するために、その家を開けて、仕事をしている。
その価値観に慣れすぎて、その以下では満足感を得られない。

それが、ベストな選択なのだろうか・・。

わしは一人身で、恐らくこれからも1人であるだろうから、
自分の食い扶持と、葬式代さえあれば、別にことかくことも無い。
今現在は、高い車も立派な家も特に必要と思わないし、
本当に求めるものは、金では買えないものばかりである。

人それぞれの価値観ではあるだろうが、
1日1000円でも満ち足りた気持ちの生活をする人もいるし、
1億稼いでも、追い立てられるように働き続ける者もいる。

よく「立って半畳、寝て一畳」というが、
わしは年取ったら、田舎にでも引っ越して、魚や卵でも採って、
1杯のお米に手を合わせることさえできれば、それで充分満足だ。

わしの思う「勝ち組」とは、人生最後の一呼吸で、
周りに笑って「バイバイ、またな♪」と言える人生を送った人だ。

2004/05/12(水) 本日の事件
イラクなどでテロ活動を行っているアルカイーダが、報復を行った。
イラク人捕虜へ、米軍の行った虐待への報復と言う名目である。
目的は、アメリカ国内での嫌戦気分を高めるためだろう。

米国人男性をカメラの前におき、声明を読み上げたのちに、
ナイフでその男性の首を切り落とし、カメラに投げつけ、
「アラーは偉大なり」と雄たけびを上げた。

これが例の今井君以下自作自演グループの言う「抵抗運動」であろうか。

欧米のテロ制圧部隊の制圧方法に「イスラエル方式」と言うものがある。
突入の際、「伏せろ」の指示に従わないものは、全員射殺である。
また、テロリストが降伏した場合でも、後頭部に銃弾を打ち込み、射殺する。

この方法が生みだされたのは、理由がある。
1つは、人質のふりをして、抵抗するテロリストがいること。
2つは、降伏したように見せた後でも、自爆するテロリストがいることである。

チェチェンゲリラが、モスクワの劇場をのっとった際にも、この方式がとられたといわれている。

我々の敵と戦うときには、これほどの覚悟が必要なのである。
そして、我々日本人も無縁ではなく、
単に我々が後方にいるだけで、戦場にいることは変わらないと言うことを、自認しなくてはならない。

しかし、この事件が米国民に与える影響は大きいだろう。
許さないとなるか、もうやめようとなるか・・。

米国軍は同胞を見捨てないことを徹底している。
損害が増えようと、必ず救援に向かうことを信条としている。
先月のファル−ジャ攻防も、3月末の米国人虐殺の報復である。

話し合いでは解決は難しい。歴史が証明している。
実現は難しいが、大国から帝国になりつつある米国による徹底的制圧しか、
問題は解決しないように思える。

φ( ̄_ ̄;) うーん 。もう少し考えよう・・。

2004/05/11(火) わしは思う。
本日、ニュース報道を見た。
2000年に茨城で、恋人と一緒に歩いていた17歳の少年が、
4人組の少年と思われる者達に、暴行を受け死亡している。

本日、犯人と思われる少年4人の似顔絵を公表したと言う。
当初は傷害致死として捜査していたらしいが、
金品を奪ったとの判断から、強盗殺人容疑に切り替えたようである。

問題は未成年の少年の似顔絵を出すべきかと言うことである。
私は、諸手をあげて大賛成である。

人権団体や、少年法に詳しい弁護士は、
「少年の人権を犯し」「将来性に問題を投げかける」という。

4人がかりで、1人をなぶり殺した少年の人権と将来性・・。

では、被害者の少年の人権と将来性は、誰が守ってくれるのか・・。

事件から4年経ち、当然自首もしてきてはいない。
仮に今後検挙できた時に、「反省してます」などといわれても、
納得できないのは、親御さんだけではあるまい。

厳罰を求む。

2004/05/10(月) 単細胞生物=わし
ある種の藻類の単細胞生物は、種を保存する際に、細胞分裂を繰り返す。
細胞分裂であるから、子供も孫も、親とまったく同じコピーである。
進化は無い。

しかし、不思議なことに、栄養分のない水の中に入れると、
単細胞同士が固まり始め、2つの細胞が結合して、協力生き延びようとする。

その後、栄養分のある溶液に戻してやると、くっついた筈の細胞が、
また1つずつの細胞に戻る。
当然その後、細胞分裂によって、子孫を増やすのだが、
面白いことに、その場合の子孫は親世代とは、色や形が微妙に異なる。

つまり、他の細胞と結合している間に、遺伝子を交換し、
子供世代は、その両親の特徴を受け継ぐようになる。

本来、最も効率的な増殖方法は細胞分裂に他ならないのだが、
過酷な環境にさらされた場合、全滅の危険がある。
そのため、他の細胞と遺伝子のやり取りをして、
なんとか環境に適応しようとするのだ。

これが「性」の始まりであり、我々の祖先が多細胞生物へと進化していく道である。

単細胞生物を我々に置き換えると、興味深い。
満ち足りたときは1人で平然と気ままに暮らしているが、
辛い状況になると、共に過ごしてくれるパートナーを求め、
また、望みがかなうとあっさりと別れて、
また1人でふらふらし始める。

φ( ̄_ ̄;) うーん なんとなく見覚えのある状況である・・。

さすがにわしは人間なので、細胞分裂こそできないが、
パートナーのいた時に、相手とやり取りした情報のおかげで、
昔のままのわしではない。

進化に備えているが、はてさて、もう少し一人旅は続くようだ・・。

2004/05/09(日) わしが見る恋愛と言うもの
今の世の中、右を向いても、左を向いても、「恋愛」である。
映画・音楽・出版物・友人の話題・恋愛話真っ盛りである。

メディアが恋愛話を取り上げる理由は、明快だ。
「売れる」からである。
それは、女性誌を読むと、顕著に現われる。

男性誌には、女性のヌードも載っているが、そのような雑誌とて、
片隅に社会性の高い問題は載っている。

が、女性誌の場合はそういった記事は、極端に少ない。
紙面の限られる出版メディアには、無駄なスペースは無い。
売れるための記事しかのせないのである。
つまり、必然的に掲載されている記事は、読者の望むだけのものとなる。
実に興味深いものである。

私は昭和40年代の人間であるが、当時に比べ、家庭は核家族化していき、
1人暮らしの人間の割合も急増した。
近所づきあいも減り、隣人の職業すらわからない。
人間関係は年々希薄となり、その隙間を埋めるように、
街行く人々は、携帯メールに没頭している。

一方、男性の場合、恋愛に対して「生殖的欲望」という巨大な阻害物もあるが、
やはり恋愛にすがる傾向がみられる。

友人との会話でも、敢えて話題を提供せずに観察していると、
各々問題や関心を持っているだろうと思いつつも、最終的に「恋愛」話になっていくことが多い。

人は皆幸せになる権利があるというが、
なにか恋愛と言うものが、それさえあれば幸せになれる・なれるはず・といったような「免罪符」的イメージとして、考えられているような気がしてならない。

結婚を経験し、その関係を紡ぎ上げていくべきと思われる人まで、
「恋愛」がどうしたこうした・自分発見などと言うものが多い。
結婚と言う「最も強固で緊密な対人関係」を手にした人々でも、
そんな調子なのである。

それぞれの問題を棚上げしつつ、辛い辛いと嘆き声をあげつつも、
ご熱心に恋愛パートナー探しには、皆御執心である。

距離を保ち、傍から見ていると、興味深い。

2004/05/08(土) わしは考えた
先月、ホームレス自立支援の雑誌「ビックイシュー」を購入した。
「うつ」についての特集記事であった。
同じ頃に、ニュースなどでも「うつ」についての記事を多く見かけた。

驚いたことに、10人に1人、記事によっては5人に1人がうつと言う。

本当だろうか。
もちろん、本当としたら驚くべきことであり、国民病として、対策を考えなくてはならない。

知人でも、人ごみに入ると動悸が激しくなったり、駅で人身事故があったりするとあたふたと自分を見失いそうになる人がいた。
気の毒だとは思う。

しかし、本当にそんなにたくさんいるのだろうか。
「なにもしたくない」「死んでしまいたい」などという人が最近目に付く。
うつかどうかは興味も無いので、わからないが、私は甚だ疑問である。

勿論、私自身も社会人であり、へこむことも多く、悩むことも多い。
だが、背負っているものもあるし、死にたいとも思わない。
口にすることがあるとすれば、それは周囲に対して傷ついていることのアピールの変形としてである。

「私、うつです」といっている人々のうち、本当に病としてのうつはどれほどいるのだろうか。

私は「うつ」や「ひきこもり」などの社会問題自体を理解できない。

たとえ、死にたくても歯を食いしばって耐えていくのが、社会だと思っているし、それができない人々は病人として世間から保護する必要はあるだろう。

例えば、「うつで働けない」といっている人は、保護を得られないときは、自分の部屋で餓死を待つのだろうか。
例えば、ひきこもりの人々は、親が忍びがたきを忍んで、援助を打ち切った時、どうするのだろう・・・。

確かに現在の世の中は生きていくことも辛いかもしれないが、もっと想像もできない厳しい環境を生き延びている人々も多い。

戦中時代の日本・ポルポト時代のアジア・現在の北朝鮮。
それらのなかにもうつがいたのだろうか。
私自身は聞いたことも無いが。

これは私の考えだが、世の中と言うのは、辛かろうがなんだろうが、
頭に拳銃突きつけられ「走れ」といわれているようなものである。
そうしなければ、いきていけず、世間は回らなくなる。

引きこもりの両親がね「お父さん、つらいから働くのやーめた」
「お母さん、ご飯作るのやーめた」といったら、ひきこもりがなんと言うのか、是非聞いてみたい。

ちなみに、私自身、昨年大病をして、そりゃあ失神するほど痛い思いもしたが、生きていくために、仕事は当時も続けていた。

ps
ネットのチャットなどで、うつだと自慢げに話し、自分のほうが重いと自慢しあっている坊やたちを見ると、噴飯物とというか、笑止千万。

別の意味で哀れみを禁じえない。

2004/05/07(金) わし、敗れる・・・
先日の知人を中傷した掲示板についてである。

相手にしてはイカンと思いつつ、やはり腹の虫が・・・。

反論した・・。

理詰め通用せず・・。

馬鹿には勝てん・・。

おのれ!腕相撲やスクワットで勝負しろ、といいたいが・・。

うぬー。おのれ・・・。久々にわし敗れる。

無念である。

(もし面と向かえば・・投げっぱなしジャーマン・スープレックスに、
高角度パワーボムのあとに、クロスホールヒールドで、足捻じ切ってやる・・・がるるるるっ)

2004/05/06(木) わしのコラム
まもなくホームページを作って、3ヶ月になる。
ありがたいことに述べ7000人近くの方に訪ねて頂いている。
予想を上回る数字であり、率直に驚いている。

先日ある方に「このホームページで、読むのは日記だ」、
他の方には「お気楽ホームページなのに、あんまりお気楽じゃない・・」などのお言葉をいただいた。

返す言葉も無い・・・。

最初は誰がきても楽しめる笑えるものにするつもりで、
記事なども当初その方針で書いていた。

しかし、来訪者はどうやら日記の方を中心に読まれているようだ・・。
(ちっ・・計算違いだ・・・)

この日記と言うのが曲者である。
面白おかしく日常を書けといわれれば、書けなくもあるまい。
が、わし自身を発信する形態として、HPを選んだ以上、
面白おかしくでは、いささか物足りない。

で、政治問題を書いたり、己の過去をさらしているのである。
たしかに題材にすべき事ではないことも書くし、
人によっては不快感を与えたり、傷つけてもいるだろうと思う。

申し訳ない。

が、人を傷つける覚悟の上で自分の意見を書くというのも、
それ以上の痛みを覚悟するもので、どうかそれに免じてご容赦いただきたい。

この日記のタイトルは「わし的コラム日記」である。

古代エジプトの建築物は石材で出来た円筒形の円柱が使われていた。
そしてこれらの柱には装飾として象形文字や絵などが段状に刻まれていた。
この柱を「コラム」という。
また、これらの円柱で囲まれた空間をコラムスペースと呼んだのである。

然るに、コラムとは内容ではなく、表示形式をさすものだと思われる。
世界で初めてコラムの連載を始めたのは、
イギリスの新聞「ロンドン・アドバイザー・リテラリー・ガゼット」であり、
1751年3月11日の事である。
恐らく新聞に掲載された、小さな枠に囲まれた小規模の随筆を、
ギリシャ・ローマ建築にみられる「コラム」に例えた雅な方が居たのだろう。

皆さんが読めば、目障りな言葉も出ると思うが、
30代のおじさんが、日々コツコツと自分の心に飾りを掘り込んでいると思って、
是非、ご容赦いただきたい。

「これからもよろしく」である。

2004/05/05(水) 悩むわし
最近、わしの身の回りや親しい知人などで、問題続出である。
日記も書こうと考えるが、様々な考えが錯綜してなかなか手がつけられない。

このHPを作るのに、お金は使っていない。ただだ。
掲示板も、広告が入る代わりにただで使わせてもらっている。

このホームページの形が出来上がる前は、
いろいろ無料の無料掲示板を探し、サンプルを観て回った。

そのひとつに驚くものがあった。
そこには、「荒し依頼」「荒らしてください」などと、多数の掲示板のことが書かれ、
それをみた嵐がそれらの掲示板を荒らしているのである。

言ってわかるようなら、そんなことはしないだろうから、いまさら彼らにどうこういうつもりは無い。

学力や、能力といったもの以前の、モラルと言うものが決定的に欠落しているのだろう。
哀れと言うほか無い。

わしは今年35になる。
もう少し上の世代の方々はかつて「新人類」「なんとなくクリスタル世代」などといわれていた。
わしの世代は学生時代、校内暴力が社会問題となっていた。
しかし、当時のいじめと言うのは、精神的というよりも直接的であり、
また不良の中にも番町的存在が残っていたりして、
陰湿さと言う点だけに関して言えば、現在よりも良かった気がする。

当時は「人を殴れば、殴られる」「殴るからには、殴られる覚悟は当然」という気風がまだあった。
弱いものをいじめる者もいたが、弱いものを助け強いものに挑戦するという、
彼らなりの美学と言うのも確実にあった。

しかし、現在はつっぱりも存在せず、誰が「わる」なのか、一目ではわからない。

新宿などで、ホステスなどに調子に乗って絡んでいたのに、
強面の筋者がでてきた途端に、土下座して失禁する連中を何度見たことか・・。

昨年、タクシーに乗ったとき、初老のドライバーと話をしたときに、
彼が「この国は、人の痛みのわからないおかしな国になってしまった」といっていた。

その言葉が、未だ耳を離れない。

本日は、乱文であった。
お詫びする。ペコリ(o_ _)o))

2004/05/04(火) 今朝のわし
本日の日記は、私個人の意見であり、読む人の考え方にとっては、不快感を与えるかもしれない。
先に、その点に関し、まずお詫びする。

これを書いているのはむ、5日の夕刻である。
本日の早朝5時ごろ、知人がメールがはいった。
文章の様子に不安が見られたので、電話すると、ある伝言板に知人の事に関して、ありもしない中傷が書き込まれているという。
眠れずに泣いていた。
1時間ほど話して、電話を切った。

インターネットが98年ごろから浸透し始め、ADSLや定額制の登場で、かつてのネット人口を遥かに上回るネット人口の増加となった。
インターネットは個人発の情報が世界との交信となり、何者にも阻害されない情報物として、産業革命に並ぶほどの出来事である。

が、何者にも管理不可能な世界であり、それゆえにあまりにも無秩序だ。

もちろん、ネットの発達によってありあまる恩恵も多い。
以前なら調べごとに多大な手間と時間を割いていたが、現在ではキーボードを叩けば、瞬時に欲しい情報を手にできる。
おいしいお店も、なかなか思い出せなかった曲も調べられるし、英語の読解力のある人間なら、さらに数百倍の情報に接す事もできる。
これは人類の歴史上において驚くべきことであり、火・車輪にならぶ人類の宝であろう。

しかしながら、未だ発達途上であり、我々人間の倫理観は、
その発達スピードに追いつけずにいる。
ハード面の進化に我々は置いていかれている。
情報管理すべきといっているわけではない。
全ての現象には、メリットとデメリットがある。

かつて情報の交信が単なる個人間であった頃に比べ、ネットの登場であまりにも匿名性が高くなった。
20年前ならば、他との交流をさけ部屋に引きこもっていたはずの人々や、なにか揉め事はないかと盛り場をうろついていた人々も、ネットに参加している。
それ自体は悪いことではない。
だが、その匿名性の高さゆえの「悪意」というものが、あまりにもひどい。

なにか自分の意見や方針と相違する人物にあった際、ある程度のモラル・ポリシーを持っている人物なら、意見交換・討論によって、相互理解を図ろうとするが、残念ながらそういう思考形態をもてない人物がいる。

彼らとて、現実社会の住人でいることを避けられないから、あるものは「真面目な大学生」であったり、「人のいい主婦」「慕われる父親」であるはずである。決してフリークスではあるまい。

だが、彼らは、数多くの情報という名の現実を、自分の感性でもって思いのままに切り取り、組み合わせ、編集し、まったく別の現実を作り出す。
自分の主観的真実が大勢の人間に影響を与えていく様を見て、きっと世界を自分の思いどおりに創造できる神のような気分を味わったに違いない。

どんな情報に出所の怪しい曖昧な悪意に満ちた情報でさえも、他者と共有された時点で、現実と言う側面を持つ。他者にとってはある種の現実となる。
人間の根本は「悪」であり、救われない存在であろうと私は思う。

議論には鉄則がある。
「批判はすれど、攻撃せず」

我々日本人は単一民族ゆえ、周囲との兼ね合いを重視するがゆえに、他者との議論を避けがちである。鬱積した思いは悪意となり、中傷を生む。
しかも、ネット上では相手がどこにもいるかもわからず、卑劣な人間はネットの闇に潜み、相手の手の届かないことを自覚しつつ、相手をなぶり続ける。

モラルの無い人間にモラルを説いても無意味だ。
それは、狂犬病の犬に対し、手を差し伸べるようなものだ。
彼らの暴力を止めるためには、それを圧倒的に上回る暴力が必要である。
いつか、ネットの闇を貫く槍の出現と、それを目にした時の彼らの怯えた悲鳴を、私は心待ちにしている。

2004/05/03(月) わしの好きなボクサー
前述の通り、わしは格闘技がすきである。
ボクシングも最近は見ることも減ってしまったが、好きである。
ボクシングの黄金時代は昭和であり、わしが見ていただけでも、具志堅・浜田・鬼塚・ユーリ・川島・辰吉など、キラ星のごとくである。

しかし、わしがリアルタイムで見ていなかったボクサーでたまらなく好きなボクサーがいる。

彼は昭和15年に仙台の農村で生まれ育った。
優しい人柄で、弁当を持ってこれない友人の分まで握り飯を作って持っていくような男であった。
子供時代に友人と遊んでいたときに、ドロが目に入り、かといって気を使うあまり親にも言い出せずに、左目を失明する。

高校時代にボクシングをはじめ、県大会を制覇するが、片目のハンディは大きくボクシングを断念し、上京する。

上京後、笹崎ボクシングジムに入り、再びボクシングをはじめるが、ボクシングスタイルは以前と一変する。
ボクシングの理想は「蝶のように舞い、蜂の様に刺す」といわれるように、ダメージを受けず相手を倒すことにある。

しかし、プロのリングで彼は両手のガードを下げ、相手のパンチを敢えて受け続けた。
それは左目が見えないため、アウトボクシングが苦手で接近戦を挑むための方法である。
対戦相手はここぞとばかりに打ち込むが、結局打ちつかれ、彼のパンチを受け、敗北を喫した。
その豪快で特異なファイトスタイルは人気となる。

のちに日本フライ級のベルトを手にするが、同じジムにファイティング原だが所属しており、当時の世界フライ級のベルトは原田のものだった。彼と原田の家族は親密な関係でもあり、同じジムと言うこともあり、彼は世界戦を経験することなく、グローブを壁に掛ける。

引退後、かつてあこがれていた芸能界に入るため、コメディアンの由利徹に弟子入りをする。
しかし、現役時代にあまりにパンチを受け続けたために、脳に障害が発生する。
舌が回らず、言葉が話せなくなり、台詞を覚えることも出来ず、横になれば小便を垂れ流した。

ある日、突然彼は由利徹のもとを去り、1年間行方不明になる。
家族同然だった原田の家族とも音信不通である。

しかし、チャンプに上り詰めただけの男であり、1年後に師匠の下に帰ったときには、全ての障害を克服して、常人と変わらない状態に回復している。

由利が言うには「オレたちは芸をしなきゃ客を笑わせることはできやしない。でも彼はそこに出てくるだけで客を笑わせる。これにはかなわん、どっちが師匠だかわかりゃあしない」というほどの芸風で、テレビや舞台で人気者となる。

私は子供の頃、親父に連れられ入った新宿の店で1度だけ彼を見たことがある。酒に酔いつぶれ、だらしなく眠りこけていた。
彼はそのキャラクターと酒のせいで、何度となく筋者に引きずり出されたらしいが、10人近い相手を殆んど一瞬で倒し、店に戻ってはまた酒を飲み続けたという。

彼は新宿・浅草の飲み屋で飲み続け、飲み代は支払わなかったといわれている。
飲み屋の主人たちが受け取らなかったといわれている。
一般に水商売の人間たちと言うのは、金に敏いものだが、彼は別格の存在だったらしい。

おそらくであるが、彼のもつ、なんというか地獄を見てきた男のやさしさにほれたのではないかと思う。

その後、彼は他界する。

ボクシングを描いた映画に「明日のジョー」という名作がある。
主人公の矢吹丈はノーガードでパンチを受け続け、相手を倒す。
ライバルのホセ・メンドーサと世界戦を戦うときには、彼と同じく視力も失っている。
風貌こそ違うが、モデルは彼ではないかと噂されるほど、似ている。

彼は昭和を代表するボクサーである。
現役時代、彼にダウン経験は無い。

私が最も愛するボクサーである。
心より尊敬する。

彼の名前は斎藤清作。
世間で知られている名は「たこ八郎」である。

2004/05/02(日) わしらは・・
プリズムをご存知でしょうか。
そうです。光を虹色にしてくれるあの三角のやつです。

あれで太陽の光を虹色にして、よーーーーくみると、何本も細い黒い線が現れます。
それは、光を発している太陽を構成している物質の影なのです。
太陽では500数種類の線が出るはずです。

120億年前に出来た星の場合は2本だけらしいです。
その2本の線は、水素とヘリウムの存在を示し、それはつまり、大昔の宇宙には水素とヘリウムしかなかったということになります。

水素は星の中で化学反応・核融合して、ヘリウムになり、ヘリウムは炭素になります。
星の内部のような圧倒的なエネルギーがないと、元素と言うのは生まれません。
太陽のような割と小さめの星では、ヘリウム程度しか生まれず、ベテルギウスのように巨大に星になると、重い順に元素を生み出しカルシウムや、硫黄、鉄ぐらいまでは生み出せるという話です。

私たち生き物は炭素で出来ていて、もともと宇宙には炭素はなかったのだから、星が爆発したときにその中で作られた炭素のちりが、集まって地球の中に混じって、それで我々が生まれるきっかけになったのである。

ただ、金やウランのような重い元素は巨大な星でもなかなか作られず、謎が多い。

巨大な星が崩壊すると、その中心部が直径10キロ程度の小さい星が出来る。
中性子星といわれるこの星がなかなかの曲者で、スプーン1杯の量で、何十億トンの重さになる・・。
ちと、想像しにくいが・・・。そうらしい・・。

その中性子星が「たまたま」他の中性子星と衝突すると、金が生まれるほどのエネルギーが生まれる。
たしか、6兆度だったかな・・。

男性が恋人に贈る金のアクセサリーは、こうやって出来ているのだ。
何十億年も昔に星の中で出来た元素が集まって、こうやって生物になり、星の衝突で出来た金を、恋人に贈っているのだ。

うーん。なんか、わし 今日はいいこと言ったような気がするなァァ。

2004/05/01(土) はよ日記書けといわれるわし
( ̄_J ̄)ノ みなさん、お待たせ!!
ゴールデンウィークに入り、ちと日記を書かずにいて、毎日来てくれる方から、はよ書けとお叱りを受けました・・・。

(さぼってるわけではないのだよ・・わしの日記は、こうみえてなかなか考えてから書くのでな・・察してくれ・・)

昨日も書こうと思ったのだ・・。
ただ、最近竹内まりあや、古内東子の曲をジャズにしてる曲をよく聴くのだけれど、そういうのを聴くと、完全に自分の中に入ってしまって、朝になってしまったのです・・。ペコリ(o_ _)o))

いまさらながら世間はゴールデン・ウィークである。
ここ数年は生活の中に埋没している暮らしをしているので、3年前も、4年前の想いでも大して違いはない。

しかし10年ほど前から3年間ほどのゴールデン・ウィークのことならば、どんな服を着て、どこへ行き、なにをしていたのかは、すぐに話せるほどよく覚えている。

当時はこのわしにも、彼女と言う存在がいて、彼女に子供たちもいて、楽しく生活して休みになるとあちこちに遊びに行っていた。

夜中に一人で音楽を聴くと当時にタイムスリップしてしまうのです・・。
わしはもともと前だけを見て走り続けるタイプではないし、どちらかというと後を気にしながら、ぼちぼち行くタイプなので、こういう時間と言うのはきっと人様よりも多いと思う。
目をつぶると当時暮らしていた部屋の間取りが目に浮かび、このへんにテレビがあって、こっちはたんすなどと、考えている。

10年経ち、34にもなって今も一人だ。
その原因を考えることもあるが、縁も無かったろうし、努力も足りなかったろうとも思う。

ただ今思うに、当時のわしは彼女がいて当たり前で、ご飯を作ってもらっても当たり前、洗濯してもらっても当たり前だった。
その根底には、私が好きで愛情を与えている限り、愛情を与えられて当然と言う慢心があったと思う。

私がぎゅーとしてあげるから、さも当然のようにぎゅーとしてくれることを求めていたと思う。

ある日気がついてみれば、今まで手にしていると思い込んでいたものは、そこに無く、彼女の顔をみても見知らぬ他人の顔である。

人間と言うのは、不思議と不幸には耐えられる。不遇の時には、幸せに向けて準備して頑張れるものだ。
しかしながら、幸せなときにはなかなか幸せな時間にたいして準備するというのは、難しいものである。

ゴールデンウィークを向かえ、家族連れを見るたびに、そのことを実感させられる。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.