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2004/05/01(土)
はよ日記書けといわれるわし
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( ̄_J ̄)ノ みなさん、お待たせ!! ゴールデンウィークに入り、ちと日記を書かずにいて、毎日来てくれる方から、はよ書けとお叱りを受けました・・・。
(さぼってるわけではないのだよ・・わしの日記は、こうみえてなかなか考えてから書くのでな・・察してくれ・・)
昨日も書こうと思ったのだ・・。 ただ、最近竹内まりあや、古内東子の曲をジャズにしてる曲をよく聴くのだけれど、そういうのを聴くと、完全に自分の中に入ってしまって、朝になってしまったのです・・。ペコリ(o_ _)o))
いまさらながら世間はゴールデン・ウィークである。 ここ数年は生活の中に埋没している暮らしをしているので、3年前も、4年前の想いでも大して違いはない。
しかし10年ほど前から3年間ほどのゴールデン・ウィークのことならば、どんな服を着て、どこへ行き、なにをしていたのかは、すぐに話せるほどよく覚えている。
当時はこのわしにも、彼女と言う存在がいて、彼女に子供たちもいて、楽しく生活して休みになるとあちこちに遊びに行っていた。
夜中に一人で音楽を聴くと当時にタイムスリップしてしまうのです・・。 わしはもともと前だけを見て走り続けるタイプではないし、どちらかというと後を気にしながら、ぼちぼち行くタイプなので、こういう時間と言うのはきっと人様よりも多いと思う。 目をつぶると当時暮らしていた部屋の間取りが目に浮かび、このへんにテレビがあって、こっちはたんすなどと、考えている。
10年経ち、34にもなって今も一人だ。 その原因を考えることもあるが、縁も無かったろうし、努力も足りなかったろうとも思う。
ただ今思うに、当時のわしは彼女がいて当たり前で、ご飯を作ってもらっても当たり前、洗濯してもらっても当たり前だった。 その根底には、私が好きで愛情を与えている限り、愛情を与えられて当然と言う慢心があったと思う。
私がぎゅーとしてあげるから、さも当然のようにぎゅーとしてくれることを求めていたと思う。
ある日気がついてみれば、今まで手にしていると思い込んでいたものは、そこに無く、彼女の顔をみても見知らぬ他人の顔である。
人間と言うのは、不思議と不幸には耐えられる。不遇の時には、幸せに向けて準備して頑張れるものだ。 しかしながら、幸せなときにはなかなか幸せな時間にたいして準備するというのは、難しいものである。
ゴールデンウィークを向かえ、家族連れを見るたびに、そのことを実感させられる。
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