|
2004/05/13(木)
わしは、果たして・・・
|
|
|
1週間ほど前だったと思うが、勝ち組負け組の意識調査が発表された。 ヤフーなどにもでていたから、見た方もいると思う。
細かい数字まで覚えていないので、恐縮だが、 年収1000万を超えると、「俺って、勝ち組だな」と意識する人が多いらしい。 反対に年収300万程度の人は、「俺は、負け組だな・・」と思うらしい。
年収1000万は、そんなにすごいのだろうか。 1ヶ月、100万以下である。 わしも、人生のうちで、それ以上の収入を得たこともあるが、 別に「成功したどーー」とも、思わなかった。 逆に、無収入で2年ほどぶらぶらしていたこともあるが、 特に「わしって、忘れられてるな・・」とも、感じなかった。
確かに、お金はいくらあっても邪魔にはならないし、 欲しいものを買ったり、良質の教育を得たり、美味な食事を得たりできるだろう。
我々30代は、バブル世代である。 六本木では、フェラーリ・BMWが「カローラ」と言われ、 世田谷のマンションが10億とか言った頃の時代である。
うちの父は製鉄会社の開発部から、一念発起して土方からはじめ、 不動産会社を立ち上げ、幸運にもバブル絶頂期に成功した。 当時、中学生ながら、父の収入には驚くものがあった。 月末になるとアタッシュケースにびっちりと万札を詰めて、帰ってきていた。 引っ越すたびに、済んだ地区の長者番付にのっていたから、成功者だったと思う。 日本で1番金のかかる私立にも通わせてもらったし、 広い家にも住まわせてもらった。 (中学の当時の私の部屋は、現在の私の部屋の倍はあった・・)
が、しかしである。 トラブルの90パーセントは、金で解決するし、不満も減るだろう。 だが、残りの10パーセントこそ重要であり、金では解決できない。
親元を離れ、援助も受けず、新聞配達から、わしは仕事というものをはじめた。 新聞屋さんでは、わしの部屋は「2畳」である。 部屋に案内されたとき、思わず「ここは物置か?」と思った・・。 給料も食費などを引くと、5万程度しか残らなかったが、 実家にいたときに比べると、なんともいえない幸福感はあった。
フリーター時代には、デートする金も無く、新宿の花園神社で待ち合わせして、 吉野家で牛丼デートしていた。
20代後半になり、何の縁か、たまたま高収入に恵まれ、物欲のとりこになって、 「ここから、ここまで、全部頂戴」的買い物もしたが、 今考えると、その当時の経験と言うのは、現在のわしのなんの基礎にもなっていない。 牛丼食べていた頃のほうが、確実にわしの根幹に近い。
もちろん、浪費せず堅実な人もいると思う。 しかし、現在の社会では満ち足りた生活をしようと思えば、 その目的であるはずの生活を犠牲にして、仕事をせざるを得ない。
矛盾である。
街行く人をみると、みんなが携帯を持ち、小奇麗な服を着て、 洒落た店で食事をして、そこそこの家に住んでいる。 そして、その生活を維持するために、その家を開けて、仕事をしている。 その価値観に慣れすぎて、その以下では満足感を得られない。
それが、ベストな選択なのだろうか・・。
わしは一人身で、恐らくこれからも1人であるだろうから、 自分の食い扶持と、葬式代さえあれば、別にことかくことも無い。 今現在は、高い車も立派な家も特に必要と思わないし、 本当に求めるものは、金では買えないものばかりである。
人それぞれの価値観ではあるだろうが、 1日1000円でも満ち足りた気持ちの生活をする人もいるし、 1億稼いでも、追い立てられるように働き続ける者もいる。
よく「立って半畳、寝て一畳」というが、 わしは年取ったら、田舎にでも引っ越して、魚や卵でも採って、 1杯のお米に手を合わせることさえできれば、それで充分満足だ。
わしの思う「勝ち組」とは、人生最後の一呼吸で、 周りに笑って「バイバイ、またな♪」と言える人生を送った人だ。
|
|
|