わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/05/17(月) わしは、携帯電話が嫌い
わしも、一応携帯電話は持っている。
あまり使わない、すきでもない。
はっきり言えば、嫌いだ。
で、持ち歩かない日も多い。(電話の意味無いな・・)

そんな日は公衆電話を探すが、最近なかなか見つからない。
首都・東京なのにである。
あっても、新型の公衆電話で新型のテレホンカードを使用するものばかりだ。

携帯電話の普及で、公衆電話の台数はピークだった1984年の約94万台から急減、
現在は全国で約71万台という。

公衆電話が日本に初めて登場したのが1900年のことだ。
今は別の意味あいで重い日となった、9月11日だ。場所は新橋駅と上野駅。
それまでは電話所に行って頼まなくてはいけなかったのが、
人手を介さずにかけられることとなった。
同じ年、現在の銀座1丁目交番付近に、最初の公衆電話ボックスが登場している。
扉には「自働電話」。

自分で働くといっても、実際には受話器をとって交換手と話すことになる。
交換手の指示で、お金を入れる。
10銭か5銭。投入口が違っていて、入れると10銭は「ボーン」、
5銭はゴングのような「チン」という音がしたらしい。
その音を聞いて交換手が投入額を判断、通話先につなぐ。

最初の電話ボックスを写真で見ると、
形は六角柱、屋根の下がくびれた灯台のような姿をしている。
港から港へのみちしるべとなる灯台、
人から人へのコミュニケーションをつなぐ電話ボックス。
確かにどこか共通性があるような気がしないでもない。

公衆電話時代の青春像っていうのもある気がする。
六畳ひと間の共同アパート、アパートのピンク電話はたいてい誰かが長電話で使っているから、
寒い冬の夜、しっかり着こんで、小銭をポケットに街角の電話ボックスまで小走りにかけていく。

午後11時、話したい相手には時間を合わせて電話の前で待ってもらっている。
硬貨をいれて、番号をまわす。

すぐに出てくれるだろうか、呼び出し音が鼓膜に響く。
1回、2回。葉の散った街路樹を見ている。

カチャ、硬貨が吸い込まれる音がする。


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