わし的コラム日記
日頃、感じることを思うままに書いていこうと思う。
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2004/05/04(火) 今朝のわし
本日の日記は、私個人の意見であり、読む人の考え方にとっては、不快感を与えるかもしれない。
先に、その点に関し、まずお詫びする。

これを書いているのはむ、5日の夕刻である。
本日の早朝5時ごろ、知人がメールがはいった。
文章の様子に不安が見られたので、電話すると、ある伝言板に知人の事に関して、ありもしない中傷が書き込まれているという。
眠れずに泣いていた。
1時間ほど話して、電話を切った。

インターネットが98年ごろから浸透し始め、ADSLや定額制の登場で、かつてのネット人口を遥かに上回るネット人口の増加となった。
インターネットは個人発の情報が世界との交信となり、何者にも阻害されない情報物として、産業革命に並ぶほどの出来事である。

が、何者にも管理不可能な世界であり、それゆえにあまりにも無秩序だ。

もちろん、ネットの発達によってありあまる恩恵も多い。
以前なら調べごとに多大な手間と時間を割いていたが、現在ではキーボードを叩けば、瞬時に欲しい情報を手にできる。
おいしいお店も、なかなか思い出せなかった曲も調べられるし、英語の読解力のある人間なら、さらに数百倍の情報に接す事もできる。
これは人類の歴史上において驚くべきことであり、火・車輪にならぶ人類の宝であろう。

しかしながら、未だ発達途上であり、我々人間の倫理観は、
その発達スピードに追いつけずにいる。
ハード面の進化に我々は置いていかれている。
情報管理すべきといっているわけではない。
全ての現象には、メリットとデメリットがある。

かつて情報の交信が単なる個人間であった頃に比べ、ネットの登場であまりにも匿名性が高くなった。
20年前ならば、他との交流をさけ部屋に引きこもっていたはずの人々や、なにか揉め事はないかと盛り場をうろついていた人々も、ネットに参加している。
それ自体は悪いことではない。
だが、その匿名性の高さゆえの「悪意」というものが、あまりにもひどい。

なにか自分の意見や方針と相違する人物にあった際、ある程度のモラル・ポリシーを持っている人物なら、意見交換・討論によって、相互理解を図ろうとするが、残念ながらそういう思考形態をもてない人物がいる。

彼らとて、現実社会の住人でいることを避けられないから、あるものは「真面目な大学生」であったり、「人のいい主婦」「慕われる父親」であるはずである。決してフリークスではあるまい。

だが、彼らは、数多くの情報という名の現実を、自分の感性でもって思いのままに切り取り、組み合わせ、編集し、まったく別の現実を作り出す。
自分の主観的真実が大勢の人間に影響を与えていく様を見て、きっと世界を自分の思いどおりに創造できる神のような気分を味わったに違いない。

どんな情報に出所の怪しい曖昧な悪意に満ちた情報でさえも、他者と共有された時点で、現実と言う側面を持つ。他者にとってはある種の現実となる。
人間の根本は「悪」であり、救われない存在であろうと私は思う。

議論には鉄則がある。
「批判はすれど、攻撃せず」

我々日本人は単一民族ゆえ、周囲との兼ね合いを重視するがゆえに、他者との議論を避けがちである。鬱積した思いは悪意となり、中傷を生む。
しかも、ネット上では相手がどこにもいるかもわからず、卑劣な人間はネットの闇に潜み、相手の手の届かないことを自覚しつつ、相手をなぶり続ける。

モラルの無い人間にモラルを説いても無意味だ。
それは、狂犬病の犬に対し、手を差し伸べるようなものだ。
彼らの暴力を止めるためには、それを圧倒的に上回る暴力が必要である。
いつか、ネットの闇を貫く槍の出現と、それを目にした時の彼らの怯えた悲鳴を、私は心待ちにしている。


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