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2004/05/08(土)
わしは考えた
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先月、ホームレス自立支援の雑誌「ビックイシュー」を購入した。 「うつ」についての特集記事であった。 同じ頃に、ニュースなどでも「うつ」についての記事を多く見かけた。
驚いたことに、10人に1人、記事によっては5人に1人がうつと言う。
本当だろうか。 もちろん、本当としたら驚くべきことであり、国民病として、対策を考えなくてはならない。
知人でも、人ごみに入ると動悸が激しくなったり、駅で人身事故があったりするとあたふたと自分を見失いそうになる人がいた。 気の毒だとは思う。
しかし、本当にそんなにたくさんいるのだろうか。 「なにもしたくない」「死んでしまいたい」などという人が最近目に付く。 うつかどうかは興味も無いので、わからないが、私は甚だ疑問である。
勿論、私自身も社会人であり、へこむことも多く、悩むことも多い。 だが、背負っているものもあるし、死にたいとも思わない。 口にすることがあるとすれば、それは周囲に対して傷ついていることのアピールの変形としてである。
「私、うつです」といっている人々のうち、本当に病としてのうつはどれほどいるのだろうか。
私は「うつ」や「ひきこもり」などの社会問題自体を理解できない。
たとえ、死にたくても歯を食いしばって耐えていくのが、社会だと思っているし、それができない人々は病人として世間から保護する必要はあるだろう。
例えば、「うつで働けない」といっている人は、保護を得られないときは、自分の部屋で餓死を待つのだろうか。 例えば、ひきこもりの人々は、親が忍びがたきを忍んで、援助を打ち切った時、どうするのだろう・・・。
確かに現在の世の中は生きていくことも辛いかもしれないが、もっと想像もできない厳しい環境を生き延びている人々も多い。
戦中時代の日本・ポルポト時代のアジア・現在の北朝鮮。 それらのなかにもうつがいたのだろうか。 私自身は聞いたことも無いが。
これは私の考えだが、世の中と言うのは、辛かろうがなんだろうが、 頭に拳銃突きつけられ「走れ」といわれているようなものである。 そうしなければ、いきていけず、世間は回らなくなる。
引きこもりの両親がね「お父さん、つらいから働くのやーめた」 「お母さん、ご飯作るのやーめた」といったら、ひきこもりがなんと言うのか、是非聞いてみたい。
ちなみに、私自身、昨年大病をして、そりゃあ失神するほど痛い思いもしたが、生きていくために、仕事は当時も続けていた。
ps ネットのチャットなどで、うつだと自慢げに話し、自分のほうが重いと自慢しあっている坊やたちを見ると、噴飯物とというか、笑止千万。
別の意味で哀れみを禁じえない。
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