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2004/05/09(日)
わしが見る恋愛と言うもの
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今の世の中、右を向いても、左を向いても、「恋愛」である。 映画・音楽・出版物・友人の話題・恋愛話真っ盛りである。
メディアが恋愛話を取り上げる理由は、明快だ。 「売れる」からである。 それは、女性誌を読むと、顕著に現われる。
男性誌には、女性のヌードも載っているが、そのような雑誌とて、 片隅に社会性の高い問題は載っている。
が、女性誌の場合はそういった記事は、極端に少ない。 紙面の限られる出版メディアには、無駄なスペースは無い。 売れるための記事しかのせないのである。 つまり、必然的に掲載されている記事は、読者の望むだけのものとなる。 実に興味深いものである。
私は昭和40年代の人間であるが、当時に比べ、家庭は核家族化していき、 1人暮らしの人間の割合も急増した。 近所づきあいも減り、隣人の職業すらわからない。 人間関係は年々希薄となり、その隙間を埋めるように、 街行く人々は、携帯メールに没頭している。
一方、男性の場合、恋愛に対して「生殖的欲望」という巨大な阻害物もあるが、 やはり恋愛にすがる傾向がみられる。
友人との会話でも、敢えて話題を提供せずに観察していると、 各々問題や関心を持っているだろうと思いつつも、最終的に「恋愛」話になっていくことが多い。
人は皆幸せになる権利があるというが、 なにか恋愛と言うものが、それさえあれば幸せになれる・なれるはず・といったような「免罪符」的イメージとして、考えられているような気がしてならない。
結婚を経験し、その関係を紡ぎ上げていくべきと思われる人まで、 「恋愛」がどうしたこうした・自分発見などと言うものが多い。 結婚と言う「最も強固で緊密な対人関係」を手にした人々でも、 そんな調子なのである。
それぞれの問題を棚上げしつつ、辛い辛いと嘆き声をあげつつも、 ご熱心に恋愛パートナー探しには、皆御執心である。
距離を保ち、傍から見ていると、興味深い。
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