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2004/07/02(金)
善意とは何か・・。
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最近、渋谷によく行き、南口の東急デパートのあたりをよく通る。
先日、そこで「イラク支援」「三宅島支援」などのチラシを持ち、 募金活動している人たちを見かけた。 一人一人持っているチラシや募金箱は手作りであり、それぞれの支援先が違う。 その割には、それそれが仲良しそうに言葉を交わしている。
しかも、そこは信号の前であり、信号待ちしている人々のところへ行き、「募金してください」といっている。
私の印象としては、募金するまで付きまとうといった印象である。
ずいぶん前であるが、報道番組の特集で偽者の募金活動をして、 実際には自分たちの生活費にしている団体の特集があった。 私は彼らもそういった人たちとの、印象を受けたというより、間違いないと思っている。
私の出身校はキリスト教の学校であり、毎週金曜日の礼拝の時間には、 募金袋がまわり、お金のあるものは募金し、気持ちのあるものはボランティア活動として活動をしていた。 ボランティアや募金活動というのは、必要不可欠なものであるし、 そういった気持ちを忘れてはいけないとも思う。
私自身、中等部・高等部の頃は、手話の通訳をしたり、 お年寄りの話し相手やお世話をさせていただいていたし、 今でもやってよかったと思っている。
しかし、そーいった人々の善意を利用し、自らの生活の糧に使用などとは、 「堕ちも堕ちたり」といった印象である。 たとえば、「生活できないので、お金ください」とでも言えば、 喜んで寄付させていただくが、送りもしないだろう募金には舌も出したくはない。
50メートル先の歩道橋では、ホームレスの方が先日も紹介した自立支援雑誌「ビックイシュー」を炎天下で売っており、 改札前では、盲導犬の募金活動している70歳くらいの方が、 30度の直射日光の中でじっとたたずみ、頭を下げ続けている。
先の怪しい人々は、信号待ちの人々に付きまとい、 「1円も出せないんですか??」と、募金を強要している。
この差はなんなのか?
案の定、彼らは私の所にも来た。 偽者「イラク救援の募金お願いします」 わし「あなたたち、ここで許可得てるの?」 偽者「・・・・」 わし「所轄警察の道路使用許可取ってるんだろうね」 偽者「・・・募金お願いします」 わし「1日1万円集まる??」 偽者「・・・」 わし「本当に助けたいなら、ここで活動するより、イラクに行くか、あなたが働いて全財産出したほうが早いと思うよ」 偽者「助けたいとは思わないんですか??」 わし「他の人たちには協力するが、あなたたちのような偽者には一銭も出さない」
わしの私的な印象だが、10年前渋谷にいたオウムの若者の眼と、 彼らから受ける印象は限りなく近い。
盲導犬には募金したし、ビックイシューも購入した。 しかし、善意の旗の下、人々を欺くようなものたちには、 今後どんなことがあろうとも、協力したくない。
今後、機会があったら是非是非、彼らの実態に迫ってみたい。
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