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2004/08/23(月)
24時間テレビ・・
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昨日、毎年恒例の24時間テレビをやっていた。 小学校の低学年頃からやっている番組である。 身障者(この呼称が適切かどうかは難しいが・・)を励ましたり、 応援したり、恵まれない人たちの支援をする、もしくは使用としている番組である。
実際に入浴用の風呂のついた車に、24時間テレビのロゴを見たりするし、有意義な番組とも思う。
先日、ある本の広告をちらりと見た。 たしか「ボランティア・セックス」というタイトルだったと思う。
なにか心に引っかかるものがあったので、 自宅に帰ってから、色々検索したりして調べてみた。
非常に陰鬱な問題であり、私個人にとっては ボランティアという行為自体を根底から考えさせる問題であった。
体が不自由・もしくは知的障害がある人々でも、 当然性欲はある。 これが健常者(この言葉も適切でないかもしれない)は、 恋人・妻・夫のような性的なパートナーを得ることができなくても、 風俗産業のようなところもあるし、 近年では出会い系などでパートナーを探すこともできるだろう。
しかし、そういったところを利用できない・断られることの多い彼らは、非常に苦労しているようである。
良好な介護者に恵まれていても、性的な処理を懇願すると、 それまでの良好な人間関係が崩れ去ったり、 身体的に自己処理な不可能な者が、知的障害者に頼んだり、 また極端な例で言うと身内のものが処理したりなどという例もあるという。
ある看護婦の談話によると「性的な処理をすることまで、看護婦の範疇というならば、人に私は看護婦ですとは言えなくなる。」とあった。
また。ある主婦が彼らに「もしも、女性がボランティアとして体を開いてくれるとしたら、どうするか」と尋ねると、「1度しか体験できないのなら、しないほうがいいかもしれない」と語ったという。
もちろん、現在では障害者と健常者の結婚・恋人関係も以前ほど珍しくはない。 それに体に何かの障害を持つものは10人に一人といわれる統計もあるくらいだから、それに関して驚くこともない。 私自身、色盲である。
諸外国では、障害者に対しての性的なボランティアがある国もあるそうであるが、 日本では世間一般では黙殺されている問題である。
私自身も以前手話のボランティアをしていたが、 正直考えもしなかった問題であった。
100円募金にしても、手を引くにしても、 ボランティアというのはすばらしいとは思う。
が・・しかしである・・
「ここまではしてあげるけど、そこまでは見切れない」的な感じは否めないだろう。 私個人、仮に知的障害のある女性に頼まれたとしても、 (頼まないだろうが・・)素直に了解はできないと思う。
現在日本では専用の風俗店などが、もちろん料金を取って対応しているという。これはもちろん男性・もしくはゲイの方たちが多いらしく、女性用・レズビアン用は非常に少ないだろうと思う。
24時間テレビなどの力によって、非健常者が表に出て、生き方を模索するようになったことは、間違いなくいいことではあるが、 反面、タブーとしてこういった問題から目をそむけ続けるのは、・・・・。
うーん。うまくいえないが・・。
また、よく考えてみます。
(私の表現の中に不適切・不快感を与える言葉があったら、お詫びします。悪意はありません。)
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