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2005/01/08(土)
寝言
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愛犬ジュエル、4歳を迎えた冬である。 初めて会った頃は両手の掌に乗るくらいの大きさだったが、現在はずっしりと重く、大人になった。
新宿にいた頃は毎日が忙しく慌ただしく生活していたので、毎日散歩にも行けなかったし、出かけるときもケージの中に入れていた。 現在は、雨の日以外は近所の公園に散歩に行っている。 散歩のひもを引っ張る癖はなかなか直らないが、心の中から楽しくてたまらないという顔を見ると、「まぁいいか」と思ってしまう。
犬というのは、私にとってかけがえの無い存在だ。 今までの人生のうち、犬と一緒に生活していないのは20代前半の数年間だけだ。 子供の頃から、マルチーズの「クリス」・シェパードの「ボス」・シーズーの「マオ」・アメリカンコッカースパニエルの「リン」・そして現在のシーズー「ジュエル」である。
ジュエルの他はみんな虹の橋を渡り天国に行ってしまった。 貧乏時代、ドックフードを買えず一緒にカップラーメンを半分こしたリンも昨年の七夕に逝ってしまった。 あのリンの眠りについた顔を忘れることは無いだろう。
私には友達もいる。仕事もある。好きなときに出かけることも出来る。テレビも見れる。 だが犬は仕事もなく、私が連れて行かなければ外にも出られず、友達もなかなか作れない。
犬には、私しかいないのだ。
私が犬と話すと笑う友達もいるが、彼らはたとえ言葉を理解できずとも声をかけると尻尾をふり、安心した顔をする。
イライラした時には、つれなくしたり当たったりもするが、 彼らは私を簡単に傷つける牙を持ちながらも、愛するがゆえに彼らはそれを使おうとはしない。
ジュエルは、私がテレビを見ているとすぐ傍らでウトウトして寝言を言う。 むにゃむにゃ言って、足を動かす。 私が笑うと、目をあけて尻尾を振る。
私にとって「犬」という言葉は、「愛」という言葉と同じ重さを持つ存在である。
ジュエルの爪の手入れをした土曜の夜、ふとそんなことを想った。
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