☆窓際社長の黄昏日記☆
♪キノコ♪
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2005/05/07(土) 宮古島での告別式とユキヲの部屋
「カッコイイ写真」を持って1人で朝7時半の飛行機に乗った。
宮古までたった1時間弱。
お金さえ何とか頑張れば遠い所ではない。
でも「○○さえ行けないのに私が行っていいのか?」的な事を
何度も自問自答した。
もういいさ、「行かなきゃ」と思ったんだから。
もう飛行機乗ったんだから。
悲しい気持ちに順番はないよ、と言い聞かせた。

空港からタクシーで10分程。
仲間家には2年ぶりだが、なんだか自然に玄関に立った。
玄関からすぐの部屋に仏壇があり、ユッコがいた。
今朝は泣かずに「おはよう」って言えた。
先に気丈な父ちゃんと母ちゃんに会ったからかな。

お棺の上には誰かの結婚式の時の「綺麗な遺影」があった。
御家族には「かわいい娘」だけど
私達にとっては「カッコイイユキヲ」だからと思って
写真を出したら、すごく喜んでくれた。
あぁ、やっぱり来て良かった…。
告別式には異例の4枚の遺影が飾られた。

昨日の雷雨が嘘みたいに晴れてきた。
やっぱり「さすがユッコ」と思わざるを得ない。

前にも泊めてもらったユッコの部屋に荷物を置いて
親友達やおばさん達と朝御飯を頂いている内に
もう出棺の準備が始まるからと喪服に着替えた。
引き出物に御挨拶を入れたりしていると
続々と御縁の人達が集まって来て
お坊さんのお経が始まった。
その声がモンゴルのホーミーのように頭をグルグルと回る間、
いろんなユキヲの思い出を思い出していた。

最も嬉しかった事。
初めて宮古に来てこの家に泊めてもらった時、
御両親に「オレの尊敬するKEN子さん」と紹介してくれた事。
その時は私もユッコも坊主だったから
父ちゃんは「KEN子さんに見習ったのか?」と言い、
(本当はユッコが先だったのに)
帰る時に「次は彼氏連れて来ます」と言った私が
帰った後「ありゃ彼氏できんな…」と言われた事を
いろんな人に話しては二人で爆笑した。

週に2〜3回ペースで居酒屋で会う程
お互いよく呑むなぁと「酒神自慢」をしていた。
別の呑み会で来てるのに店員に
「あ、こちらですよ」とお互いの席に案内された事もしばしば。
ライブ打ち上げも移動が遅くなるとすぐ怒ってたな。(笑)
思い出は酒なしでは語れないだろうな。

内地のバンドから2年ぶりに音源が来て
「沖縄で覚えてるのはユキヲの呑みっぷりとKEN子の喋りっぷり」
それにウケて二人でイベントを考えようってなって
JKRSとCHの「ダブル★ブッキング」というイベントを作った。
ユキヲはINCUBEで出演、もちろん「打ち上げ隊長」だった。

結果的に「最後」になったユッコんちでの呑み会は
クリスマスパーリーだったな。
よく呑み、よく食べ、よく喋り、よく笑ったな。

…とか思い出してる間にお経が終わり、
最後にみんなで作った折り鶴と花を棺に入れて、出棺。
いつも呑み会の後は眠ってるユッコを起こして運んだ事を思い
あぁ、もうこの手に触れる事はないのかと思うと涙が出たが
「また呑もうな」と声をかけて別れた。

御火葬場まで私達が行っていいものか悩んでいたが
おばさん達が「みんな思いのある人達だから来なさい」と
同行させてくれた。
本当に懐の深い人達だ。

正午、本当にお別れだ。
みんな振り返って名残惜しそうに空を見上げていた。
日焼けしそうな程の快晴の空は
何にも邪魔させない彼女の通り道だった。

家に戻り、バンド関係の友達は保育園で
おにぎりやあんだんすー、すぶい、そばを頂いた。
みんなと一緒にご飯を食べると少し落ち着くなぁ。
こうしてみんなで集まってのんびりできる機会を
ユッコが作ってくれたんだと思うと
今度は泣くよりも「ありがとう」と思えた。

15時、お骨を拾いに行く。
私達も箸を持たせてもらって
御家族にはただ感服しどうしだった。

16時、告別式には本当にたくさんの人が集まった。
全国のバンドやライブハウス等からの花がズラリ並んだ。
ずっと人の列が切れる事がなく
彼女の人柄をただただ感じさせられた。
そこで私が披露宴司会をした新婦にも再会。
こうして御縁はつながっていくんだな。

告別式が一段落すると
おばさんや保育園の職員の人達が
じゅーしーやにがなーとかいろいろ出してくれて
「今日はあれの次の出発だから」って
宮古人らしい明るい呑み会になった。
やっと笑えるようになるまで
つらいみんなが一緒にいる為の儀式なんだろうね。

御家族や御親族には
「KEN子さん、今日は何時から歌ってくれるの?」と
言ってもらってたから後ろ髪引かれる思いで
ゆっくりしていこうか最後まで悩んでたけど
この「宮古の家」はどこにも行かないから
また「帰って来れる」と思って
よく一緒に呑んだ宜野湾のアパートは
ルームメイトのふゆかが出てしまったらもう行く事はない。
ふゆかは明日帰るというから鍵を借りて
今日本島に帰るみんなで呑み行く事にした。

送ってくれたダイチは一度帰ると言うから
1人で鍵を開けたのは10時頃、
電気のスイッチも分からずしばらく暗い部屋をウロウロして
いかにも慌てて出て行った部屋はすごくリアルで雑然としていて
「みんなで呑もう!!」なんて浅はかな事を言った自分を恥じた。
CDプレイヤーもない、あまりに静かな部屋を片付けながら
これまで普通に「もてなされていた」事に気付いた。

いつもドアを開ければ当然のように
ユッコやふゆかやみんながいて明るくて
ビールがあって食べ物があってにぎやかで…
それは彼女達がいたからこそだったんだな。

誰もいない1時間、
そんな事を考えながら
ビールをほぼ空っぽの冷蔵庫に入れて
半額で買った魚フライを開け
TVをつけて1本を開け小さく「乾杯」。

あつよしとタカシとアキラさんが来てからも、
どうモテナシて良いか分からず
人数が増えるまではダラダラと呑んでいた。
メイツも揃った頃からみんなで持ち寄った写真を見ながら
気付いたら私は寝てた。
起きると5名に戻ってた。
前は寝るのはユッコ担当で私は寝なかったはずだけどな。
寝てない2人を寝かして帰ったのは朝10時…


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