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2005/06/13(月)
「KEN子」と「けんこ」の距離
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「FUNKISTは短期間で深く仲良くなったから良い質問ですな。」 …と今日のBBSのレスに書いたけど これってやっぱり皆さんにも聞いて欲しいな、と思ったので 「社長日記」にコピペしてみます。
**以下引用**
私は「イベンター」よりも前に…「アーティスト」!!(>_<")
自分がアーティストとしてやって欲しいと思う事を 好きな人達にしてあげたいと思ってイベントを始めたのね。 それがCD出したりマネージングしたりと忙しくなる内に 「人の為と書いて偽」(by父)になりつつあったから ようやく「すべりだい」で歌に戻って来れた訳さー。
だから最近は 自分が歌えなくなるようなスケジュールは組まないし テンション上げすぎてしまうライブイベントのMCもやらず ストレスもなるべく溜めないようにして 声をつぶすような呑み方もしない…たまにしか。(笑)
それでもやっぱり好きな人達には 「私にしかできない事」を贈りたいと思ってるから CHは続いているんだと思います。
「人の勇気になる事をしたい」と子供の頃から思ってた。 今はCHがそれだと信じたい。 私達の歌と共に…。
…ちょっとクサかったかな?(笑)
***以上引用***
文字制限があって、短くしてこんな感じだったんだけど BBSでも表記を変えてるのは、気持ちが違うからなんです。 敬愛するFUNKISTサイゴウがいいキッカケをくれたと思って なかなか口に出して言えない事を書きます。 (ここの日記はこんなのが多いなぁ…笑)
■『CHのばかシャチョ→☆KEN子』は…ほぼ芸人?!(笑)■
18歳から琉大祭の野外ステージを仕切り、大きく成長させ、 それから宜野湾市主催「ライブギノワン」や那覇祭り等、 野外無料のイベントばかりに関わって10年以上。 誰が呼んだか「沖縄インディーズの母」「姐御」は 多少ハッタリを利かせても「頼れる貫禄」が必要だった。
いろんな若手バンドのライブを見ては「どうでしたか?」と聞かれ 評論家でもないのに答えを探さなければいけないが それが番組のネタになる事もしばしば。 毎日のように送られてくるサンプルも一通り聞き、紹介する。 日頃からテンションも高いし、バンドの事をよく知ってて しかもマシンガンのようにず〜っと喋れるから MCやラジオやTVは天職だと思っている。 雑誌のコラム等も担当していて、好きなバンドを紹介しまくる。 人の期待に応えたがり。笑わせてなんぼ。(笑)
■『すべりだい☆唄者けんこ』は常に素顔■
だけど上記のように、 「KEN子」として10年以上も ずっと沖縄音楽業界に絡む仕事してたせいで 昨今の「沖縄インディブーム」の裏事情が見えすぎて 実は2004年頭は「音楽嫌い」「沖縄を去ろう」とまで 深刻に、真剣に、思い詰めていました。
でも、その頃、 2年前に私のバンドを抜けて東京でバンド活動をしていたサトシも ちょうど疲れて帰って来てたので まずは人間不信の改善の為に(笑)普通に「遊ぶ」事から始めて、 元ベースの星川君と3人で「久高島」や「ちゅら海水族館」へ。 その帰りに2人ですべりだいを滑ったのが名前の由来の1つ。
それから「心静かに、やる気のない音楽をやってみよう」って ウクレレとアコギを持ち寄って、狭い自宅で1畳セッション。 それがとても楽しくて、すごく気持ち良くて、 毎週、練習の時間だけが楽しみだった。(笑) インディーズの音源なんか全く聞かず、 最近聞いてなかった洋楽CDとかを聞き直す時間を大事にした。
それから1ヶ月で新曲が4曲、カバーが4曲程できた。 それをMDで録音してみた。「意外と上等〜☆」 誰かに聞かせたくなった。CDRに焼いて親しい人だけに配った。 ライブしたくなった。身内のライブにちょっとだけ出た。 そんな素直な「初期衝動」を再確認できて、嬉しくなった。
だから「すべりだい」で歌う時はすごく素直な気持ちなので 裸になるのと同じように、かなり無防備です。 だから人に土足で踏み込まれる事が怖いし、 ちょっとした事で感情が溢れ出してしまいます。 そんな環境を作って守ってくれてるサトシが大好きです。
■ジレンマ■
「KEN子」は好きなバンドがいる限り突っ走ってしまう。 「私にしかできない事」を贈りたい気持ちでいっぱい。 赤字だろうと、徹夜だろうと、「ばかシャチョ→」は頑張る。
一方「けんこ」は、ただただサトシと練習をして、 周囲に振り回される事なく、ただ平和に歌っていたい。 私達の歌や言葉がそっと誰かの「勇気」になれたら嬉しい。
やってる事は両極端。 今でも時々、共存できなくて悩む事がある。 だから別の名前で活動しようと考えた事もあるけど 私は1人なんだよなぁ…。
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