☆窓際社長の黄昏日記☆
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2005/06/20(月) 審査員KEN子先生
今日は10年程関わってる宜野湾市のイベント
「ライブギノワン」のテープ審査日だった。
沖縄県内最大のカチャーシー大会「はごろも祭り」と同時開催で
しかも会場はミスチルやサザンもやった憧れのステージ
「宜野湾海浜公園屋外劇場」である。
毎年、企画委員として審査、MCとして出演していたが、
私も歌で出たかったから、2002年は審査員を辞めて応募、
厳正なる審査にかけられた上で、正当に通過。(笑)
ちなみに去年はその祭り前日に沖国大にヘリが墜ちた。
「人が死ななかったから」祭りは行われたんだと思う。
今年の開催日は皮肉にも、墜ちた日「8/13」だ。

今年は応募総数、過去最高、60バンド中10組を選出。
今年の審査員は宜野湾市内のライブハウスのオーナー2人、
市内ジャズサークルの先生、某レーベルの敏腕MG、私の5名。
1バンド2曲ずつの応募を全員で一緒に聞き、
各自で点数つけて上位10組に挙手、審査員数で決まる。
5名の審査員中、3票まで揃えば過半数、まず7組が通過。
今回は残った3枠でもめた。いつもの事だが。

「若手にチャンス」で新人を採るか
「イベントとしての幅広さ」で別ジャンルを採るかノ??
私は「イベントのクオリティ」を主張した。

私が初めて見た時、このイベントには
ホントに尊敬する大好きな先輩バンドがいっぱい出てた。
そのライブは今でも思い出せる程。
でも正直、最近はそのドキドキがあまりない。
それは私が年を取って、若手がみんな年下になったからか?
いーや、違うな。
だって今、若手から見てそんな憧れになるバンドがいるか?

少なくとも私は今でもドキドキするバンドに時々会う。
つまり、その感性を失った訳じゃない事は確かだ。
でもこのイベントにはそれが少なくなって来たと思うと悔しい。
だからこそ「このイベントに出たい!!」と思わせるバンドを
必ず半分は出したいと思っている。
もちろん、「お?面白くなりそうだね〜」という新人もいたさ。
でも彼らも頑張って成長してこのステージを踏んで欲しいのだ。

この審査員の中では私が最も若いながらも
10年もココにいるのは私ぐらいというのもあって(苦笑)
みんなが説得に応じて「若手」を1つ切った。(ゴメン;泣)
だって「若手にチャンス」「イベントの幅広さ」としての枠は
もう高校生とかおじさんバンドとか新人に半分あげたじゃない?
それでも本当は私はまだ満足していなかった。
実は、私1票だけだったけど出したかったバンドが落ちたから。
でも審査員は私だけじゃないから仕方ない。

思えば、18歳からの4年間で
県内屈指に仕上げた琉大祭野外ステージが始まりだった。
1年目から仕切り役となり、音響照明を少しずつ良くして行き、
私が良いと思うバンドを良い時間に出した。
年々、応募数が増えた。
私の趣味が強かったとはいえ、良い判断だったから
「出たい」と思われるステージになったと多少は自負してる。
それで、なるべく幅広く多く出れるようにしてたけど
数を増やすという事は下のボーダーが下がるから
「カッコイイ」とそんなに思わない物も出す事になる。
手伝いも来ないで文句ばっかり言うヤツもいた。

他のイベントは「募集」するからには公平でなくてはいけないし
「審査員の1人」ではうまく叶わないもどかしさから
「ClapHands!!」を立ち上げて8月で7年目。
私の命がけイベントだから「好き」じゃなきゃ出したくない。
それに応えてみんな一緒に準備から片付けまで参加してくれる。
だからまた彼らの為に何かしてあげたくなる、
そんなCHの「1人審査員」、KEN子先生でした。


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