PIACERE崩壊への軌跡
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2004/08/18(水) ドワ城譲渡
今日は城主として最後のドワ城防衛でした。
情報漏れ防止のため、譲渡先のNOCONOCOの皆様と、他城の城主さんたちにだけ譲渡のことを前もって話していました。
終了20分前に、防衛に来てくださっていた方々に譲渡のことを説明し、10分前にNOCONOCOが布告、終了直前に譲渡となり、無事に終了しました。

もともと3月ごろに、当時Triggerがもっていたドワ城の防衛が、回をおうごとに減っているのを見て、何とか落とせないかなと思ったのが始まりでした。
毎回偵察に行き、2度攻めを主催して、一度目はjoin作業中に防衛が増えたということで攻め中止、二度目は他クランの引退攻めと重なりTriggerからは落とせたものの、混乱して最終的に取ることができず失敗。
この2回の失敗で、もう主催するのは無理だとあきらめていた時に、ギラン井戸付近を歩いていたらアスティーさんに呼び止められました。
再びTriggerが占拠していたドワ城の防衛が薄いということを聞き、アスティーさんが主催して攻めようとしていたようで、その入れ物プリとして私が参加しました。
攻め人数は少なかったものの、高レベルの人ばかりで、あっという間に門を抜けたのが今でも印象に残っています。
無事にドワ城を取り、次の回で放棄するはずでした。
しかし、攻めが来ず、そのまま城主に居座ることに…。
その後DestinyやLA、解放戦線等と激しい戦いもあり、あゆに2回も取られるという情けないこともありましたが、色々な人たちに支えられ、今日まで四ヵ月半に渡って防衛を続けてきました。
最後は全城制覇を達成し、新しい税収運用体制を他の城主さんたちと協力して作り上げ、全城防衛体制も整ってきたところで譲渡となりました。

譲渡理由として決定的だったのは私の時間的理由です。
もうすぐ大学の卒業試験が始まります。
はじめは、試験中でも防衛ぐらいはできるかなと思っていましたが、勉強を始めてみると、そんなに甘いものじゃないことがわかってきました。
1ヵ月半続く試験で、さすがにこれ以上城主を続けるのは無理だと判断しました。

そして、もう一つの理由が、クランの状態でした。
私は今のクランの状況を、第4次崩壊期と呼んでいます。
もともと大規模なクランではありませんでしたが、今ではON率の低下から、防衛時に自クラン員が5人もいないことさえありました。
当然他城の防衛ではそれより参加者は少なくなります。
ドワ城の税収を分配制にしていたのは、自クラン員の少なさも理由のひとつでしたが、今では全城定額制となっているため、もっとしっかりしたクランに城主を譲るべきだと思っていました。

そこで、いつもドワ城防衛に来てくれているクランの中で、参加人数の多いクランへの譲渡を考えました。
ハイネを落とすまでは、YGR、NOCONOCO、ナの国から来てくれる人が多く、あとはGeregereが多かったりのーさんだけだったりで、ERからも色々な人が来てくれていました。
この中で城主をしていないクランはNOCONOCOだけです。
しかもNOCONOCOさんには3月にうちがギランをもっていたときからずっと防衛に協力してもらっていました。
ということで、抜刀斎さんにお願いして、現在の税収運用方法を引き継いでくれるという条件の下、城主を引き受けていただきました。
今の戦争の状況で、譲渡を引き受けてもらうのは申し訳ないとは思いましたが、快く引き受けてくださり感謝しています。

城主としての4ヵ月半で、色々なことを学びました。
時にはストレスからか、胃がおかしくなったりすることもありました。
今の防衛は、どこの城も城主クランだけでは成り立ちません。
2マスの門が1つしかない城があったような時代とは全く状況が違います。
それだけ昔よりヘルプに来てくれる人の重要性が増しています。
税収の新しい運用方法も、そういうところから出てきたものだと思います。
ドワ城防衛も、多くの人たちの助けがあって成り立っていました。
ナの国、ER、YGR、Gere、SvA、SU、NoK、LS、NS、天乃、RW、ZEUS、EM、NOCO、そしてその他個人的に参加してくださった多くの皆様、長い間ありがとうございました。

↓は、譲渡終了後、疲れを癒すために行った温泉での記念撮影です。
PIACEREクラン員のみんなも長い間おつかれさまでした。

2004/08/17(火) 究極への挑戦
かなり更新あきましたが、それだけ忙しいということで…。
前回の日記からの間、何度か小規模な戦争もありましたが、私はOTでカボチャプリでふらふらしてたらLAに切り殺されたり、ケントでクラウン回しのために布告したら城門の弓兵に撃たれて死にかけたりと、まったりと楽しんでました。
FPKや中華排除もちょこちょこしていますが、どうしても時間がなくて戦争に行くだけの日がほとんどです。

今日からクラス別UBイベントが始まりました。
メンテ直後のSKT・DEUBに出るために、その場で落ちていたため、入ってみると一番乗りでした。
初回は張り切りすぎて、死ぬ気で粘ってたらそのまま死んでました。
13時からのプリUBにもAlPiacereで出ましたが、1ラウンドでSP骨に囲まれてクリア間に合わず死亡。
17時からのDEUBでは囲まれることが全然なくて、無事にクリア。
18時からのプリUBは、死ななかったものの帰還。
1時からのDEUBは、イフ叩いてる時にBEがわいて、あっという間に死亡。
復旧代痛すぎです_| ̄|○
UB楽しむのは今日だけにしようと思っていましたが、さすがに死にすぎました。
プリの武器を貸してくれたSoraianさん、ありがとうございました。

戦争はケントでCOI着てぼーっとしていると、終了直前にNAが攻めてきました。
WW防衛に行っていたなつきちさんにWISしつつ、万が一に備えてAlPiacereで布告。
結局無事に守りきれました。

明日で私の役割に一区切りつきます。
詳しくはまた明日以降に書きます。

2004/08/02(月) LA来襲
今日はドワ城防衛。
いつもと変わりなく開始後も過ごしていましたが、/whoでのチェックで怪しい動きをつかみ、警戒態勢に入りました。
ドワ城の左右の門とハイネの南北の門に見張りをつけ、攻めが来たらすぐにわかるようにして、ドワ城で待機。
模擬戦かもしれないということでしたが、その後もチェックを続けていると、やはりLAが動きそうな感じでした。

終了30分前(時間は適当です)にハイネにWhiteDearからの布告、続いてしばらくしてから攻めヘルプからの布告も。
でも攻めの姿は見えず、やはりLAが本隊のようでした。
そして終了15分前ぐらいにドワにLAから布告と同時にドワ左門にLAが現れました。

遊撃が右門にかたまっていたため、左門前の数人の防衛はすぐに飛ばされ、門もかなりダメージを受けていました。
しかし、すぐに後ろから防衛遊撃の人たちが来て、次々にLAを飛ばしていき、門を突破されることなく無事に排除。
その後LAはハイネ北門に向かったようですが、こちらも無事に排除できました。

そして、一応ドワGT警戒のためGTで待機していると、かんつばきさんが現れ、攻撃されました。
そこでタイミングよくラグ発生…。
POTを使うこともなく画面が動いた時には死んでいました_| ̄|○
布告していないかんつばきさんは塔を壊せるわけでもなく、その後排除されていましたが、布告状態のプリでも今日のような状態なら入り込めただろうなと思うとちょっと怖いですね。

結局無事に防衛できて終了。
短い時間でしたが、久しぶりの攻めで楽しかったです。
参加された方、お疲れ様でした。


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